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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2003-03-20 第156回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号

アフガニスタンで我が国が出した知恵として、これは創造的な外交のいい例だと思いますけれども復員庁という考え方があります。この復員庁という考え方は、復員兵、要するに武器を取って戦っていた人の武器を、刀狩りですね、昔で言う、それをして、その代わりお金を出し、あるいは教育をする、社会復帰ができるような教育をする。それをやって、その人たち平和裏社会に定着をさせる。

川口順子

2001-03-15 第151回国会 衆議院 総務委員会 第7号

その後、昭和二十一年六月になりまして、この第一復員省というものが復員庁第一復員局となったのですけれども、その際に、先ほど申しました地方世話部というものが地方長官の管理に属することになりまして、この関係の職員はいわゆる地方事務官、こうされたわけでございます。  そして、御承知のことと思いますけれども昭和二十二年に地方自治法が施行されました。

三沢孝

1993-05-14 第126回国会 衆議院 厚生委員会 第11号

佐々木(典)政府委員 朝鮮半島出身軍人軍属名簿日本名で書いてあるということなわけでございますが、実は私ども厚生省は、戦後、復員省あるいは復員庁を経まして、旧陸軍、海軍軍人軍属人事関係資料復員等業務を担当するということでお引き受けしてきたわけでございますけれども、その引き継ぎました資料につきましては、当時のものをそのまま引き継いだものでございまして、当時の創氏改名のものが登載をされているということでございます

佐々木典夫

1993-05-14 第126回国会 衆議院 厚生委員会 第11号

佐々木(典)政府委員 公安調査庁の資料というものにつきまして、「在日本朝鮮人の概況」という著作に基づくものだと、そこに厚生省の方の資料だ、厚生省というか当時の復員庁でございますか、「第二復員局調査」という備考があったということでございますので、その関連とおぼしきものを当たらせたわけでございますけれども、それに対応すると思われるものが発見できなかったということでございます。

佐々木典夫

1991-03-13 第120回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

そういうことを始めてまいって、それから昭和二十二年の十月に至りまして、担当している引き揚げ援護業務に密接に関連するということで、それまで復員庁というところでやっておりました旧軍人軍属復員、身分を解くということでございますが、復員等業務をその人事関係資料とともに引き継ぐことになったわけでございます。  

岸本正裕

1991-03-13 第120回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

そういうことでしてまいりまして、終戦から二年余りたちましてから初めて人事資料というものを復員庁から引き継ぎを受けまして、その人事資料をもとにして、今申し上げましたような人事関係残務の整理を行うということになったわけでございまして、これはそのときの経緯から明らかであろうと思っております。

岸本正裕

1981-03-31 第94回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

小熊政府委員 公務員の任免というか、これに関することでございまして、本来はその公務員の所属した本属長、ここの判断によるわけでございますけれども、一般的には、「外地戦犯者等復員処理について」という、これは昭和二十二年の七月十五日に復員庁総裁官房長から復員連絡局世話課あてに出された文書、さらに復員業務規程、これは昭和二十六年三月五日付の引揚援護庁調製によるものでございますが、そういった規程等によると

小熊鐵雄

1979-03-01 第87回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

それから今度は、復員省を廃止して内閣総理大臣が承継をし、それから二十一年六月の十四日に復員庁というのができた。これが第一復員局、第三復員局というものになっております。それから三十二年の十月の十五日に第一復員局、第二復員局厚生省が引き取った。そして一方には、一般邦人引き揚げのために引揚援護院というのが二十一年の三月十三日にできておる。

平石磨作太郎

1979-03-01 第87回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

○河野(義)政府委員 引き揚げ業務につきましては、いま先生がおっしゃいましたように復員省とか復員庁あるいは厚生省引揚援護庁、そういうところで引き継いで担当してまいったわけでございますが、実際の引き揚げ業務につきましては、全体についての責任厚生省が持って実施するわけでございますが、その中のいろいろ特殊の部門につきましては、日赤とかあるいは船舶運営会の協力を得て実施いたしたわけでございます。

河野義男

1974-04-02 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

久保政府委員 従来の経緯を、先に私から申し上げたいと思いますが、海上自衛隊の九十九条は、お読みになりましたようなことでございますが、掃海業務は、終戦直後、海軍省がやりまして、その後、復員庁第二復員局、そして運輸省が昭和二十二年にやり、たしか昭和二十三年に海上保安庁が引き継いだわけであります。

久保卓也

1972-04-20 第68回国会 衆議院 社会労働委員会 第18号

それで四月に七名の委員方々をお願いいたしておりまして、お名前を申し上げますと、専売公社の副総裁の泉さん、それから日本住宅福祉協会理事長紅露みつさん、毎日新聞の顧問五島貞次さん、それから日赤副社長の田辺繁雄さん、それから専修大学教授田邊繁子さん、それから石川島播磨重工業の顧問をしております中山定義さん、それから元復員庁官房長森田俊介さんという七名のいわゆる本問題に関する学識経験のある方々をお

中村一成

1970-09-11 第63回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

この死亡者連名簿留守名簿その他の書類につきましては、それは部隊長連隊長だと思いますが、それが復員庁のほうに正式の書類として提出したものでございます。いろいろ上官の方がこの書類につきましてお話しになっている点につきましては、私どもはそれなりのいろいろの背景についてはよく事情はわかりますけれども、私どもとしては、いま申しましたその諸般の文書によりまして処理をいたしているわけでございます。

武藤き一郎

1968-03-27 第58回国会 衆議院 外務委員会 第6号

また、これは日本のほうの復員庁調査によりましても、当時占領政策に対しまして、いろいろ不平を持っている者たちがいろいろなたくらみをしているというようなことで、数千人の者を逮捕いたしまして、そのうち約五千人を処刑したというような記録がございます。これが一番大きな、シンガポールの住民がいわば血債というものの対象にしている事件でございます。  

小川平四郎

1952-04-03 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号

○初見証人 復員局にわかりましたのは、つまりこれは海軍省から引継いで復員省になり、復員庁となり、ただいまの引揚援護庁の第二復員局残務処理部というように、ずつと引継いで来ておりますので、あそこで沈んだということは、現在の復員局といたしましては初めから知つてつたというわけなのであります。

初見盈五郎

1952-03-12 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

それですから仕事をやるためにはたいてい目途が必要でありまして、この目途も、国防軍が実際に仕事にかかるということがありましたときも四、五百名と言つておりましたし、それから復員庁で今度帰つて来てよく聞きましても、四、五百名というふうに調査しておりますから、確実なところは四、五百名だろうと思います。

神保信彦

1950-05-01 第7回国会 衆議院 大蔵委員会 第63号

私はさつそく当時厚生省におつたものでありますから、復員庁吉積事務官とともに留守業務部に行きまして、一切を調査したわけであります。もちろんその前に舞鶴に参りましたり、あるいは函館へ参りましたりして、そういう問題に対しては内容は聞いておりますが、しかし何と言つても千葉の留守業務部が一番わかるというようなことで、数日実態調査というものを見たわけです。

淺岡信夫

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

そうしたら、実は舞鶴復員庁で調べたら、岡山県には君以外に高山秀夫というのがいない、それで確度は乙だけれども通知したのだ。留守家族というものは、自分の子供が死んだかどうか非常に心配しているのに、それではあまりにも無責任ではないか、その責任を、私は昨年帰りまして、十二月だと思いますが、服部さんに対して抗議したことがあります。

高山秀夫

1950-02-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第13号

若し米進駐軍がいなかつたら、或いは全日本国民の世論に訴えて、現内閣参集面院及び復員庁初め当局の絶大なる支援と熱烈なる帰還促進運動がなかつたら、この最も厳しい冬季間に、前例なきこの輸送はなされなかつたであろうということを痛感したのであります。そのことは日本土陸と共にますます強く感じられたのであります。そうして今まで第一梯団におられた人も続々と我が日の丸梯団に入団して来たのであります。

久保田善藏

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