2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
私がまだ当選一回のころ、かつて祖父・河野一郎の派閥に属していた元議員の告別式の中で、やはり河野一郎と近しかった方が弔辞を読まれました。 その弔辞の中で、「君は河野一郎の三つの教えを忠実に守っていた」と故人を称えるくだりがありました。 第一に、衆議院議員の肩書きを最も大切にしろ。 衆議院議員という肩書きは、選挙で選ばれて、国民から与えられるものである。
私がまだ当選一回のころ、かつて祖父・河野一郎の派閥に属していた元議員の告別式の中で、やはり河野一郎と近しかった方が弔辞を読まれました。 その弔辞の中で、「君は河野一郎の三つの教えを忠実に守っていた」と故人を称えるくだりがありました。 第一に、衆議院議員の肩書きを最も大切にしろ。 衆議院議員という肩書きは、選挙で選ばれて、国民から与えられるものである。
型どおりの弔辞はここまでにします。あと少し、昔話をさせてください。 随分昔の話になりました。ある日、先生も同じ資格をお持ちの保育士をしております私の娘が、今度、羽田先生のお子様のお世話をさせていただくことになったと帰ってきました。宿舎では先生と私どもの部屋は三軒隣でありましたから、それからは、我が家ではよくお子様方のおうわさをしました。
昨年の沖縄の翁長前県知事の県民葬のときに、安倍総理の弔辞の代読に対して会場から、私もおりました、大きな声でうそつき、やじが出ました。このことについては、全ての本土のマスコミもそのことは触れました。しかし、NHKだけはそのことを一切報じなかった。
鴻池先生の御葬儀の話をして恐縮ですけれども、弔辞を読まれた方が、人柄があって、家柄があって、国柄があるというお話がございました。 本当に、日本国として、国柄を私も十分わきまえて、きょうも質問をさせていただきたいと思います。
官房長官が総理の弔辞を代読しておられました。そのときに、沖縄県民に寄り添うというくだりに来たときに、会場にざわめきといろいろな声が上がったんです。これは私も、総理が沖縄の心に寄り添うと言う場合に、やっていることとそして言うことが余りにも違い過ぎる、県民の心を逆なでする言葉だと。いつもその言葉を聞くたびに、私は心の中で、総理はうそつきだ、このように叫んでおります。
これは、もちろん私は葬儀に行って、多くのほかの同僚の県会議員さんもいらっしゃいましたし、実は、余計なことかもしれませんが、いわゆる弔辞も頼まれたのでありますけれども、ちょっと私は控えさせていただいたというようないきさつがあります。 それから、二十四年の十二月二十六日、Yさんでございますが、この方につきましても、二十三日にお亡くなりになられて、二十六日がお葬式でございます。
それぞれお葬式がされているんですが、現地の幹部の方々は出席していただいて、お参りをしていただいたんですが、これは私は、こういう時期だからこそなおさらなんですが、政務三役、大臣が出られなければ小川副大臣でもいいし、政務官でもいいと思うんですが、やはり現地に行って、できれば大臣のかわりに弔辞を読むとかあるいはお焼香していただくというようなことが、今までの慣例とか、あるいは殉職されたかされていないかとか、
この市民病院は、地方公営企業法の全部適用でなく一部適用でございますから、院長先生には人事権も経営権の大部分もないという状況の中で、私自身、よく携帯でお話をしたり、時には酒を酌み交わしながらいろいろなお話をお伺いしてきましたけれども、週休一日もない状況、院長みずからが宿直に立つという状況、さらに、新しいお医者さんのリクルートのために全国を駆け回るという状況でありまして、同僚のお医者さんの弔辞で、まさに
また、今、福山代表発起委員から弔辞の表明がございましたが、私も二十四年前、当時まだ三十九歳でございまして一年生議員でございましたが、昭和の年金大改正というのがございました。私も社会労働委員会の一年生の議員でございまして、伊吹文明それから野呂昭彦先生とともに、この社会労働委員会、当時、社会労働委員会と言いましたが、末席に座っておったわけでございます。
村人がたくさんその葬儀に詰めかけた様子が報道もされておりましたが、その場で中村哲現地代表が弔辞を述べておられます。その弔辞を紹介したいと思います。 伊藤君の遺徳については、多くの方々がさまざまに生前のことを述べられたので、私がくどくどと申すことは無用かと存じます。
○中曽根国務大臣 先ほど、伊藤さんの御葬儀での中村さんの弔辞を拝聴しまして、私も非常に胸にくるものがございました。 NGOの皆さん方は本当に過酷な環境の中で大変その地域の復興のために御苦労されているわけでありまして、私は本当に敬意を表しているわけであります。
そんなことをいろいろやりながら、じゃ、あなたの葬式で友人代表があなたのことをどういうふうに弔辞を読むのか、その友人代表の弔辞を書きなさいとか、そんなのもやります。そうやって自分の人生というものに向き合うということをやらせるということによって彼らのスイッチが入りますね。 それからもう一つは、先ほど言われたように、僕の人生これでいいんですよという感じになっていますよね。
○木村(仁)副大臣 我が国といたしましては、事態を大変重大に考えまして、まず福田総理からズン・ベトナム国首相あて、九月二十八日に、また高村外務大臣からキエム・ベトナム副首相兼外相あて、二十七日に、それぞれ弔辞を発出いたしました。また、九月三十日の現地での合同慰霊祭には、我が国から服部駐ベトナム大使、葉山大成建設会長等が出席をいたしました。
○安倍内閣総理大臣 先ほど委員が引用されました中曽根先生が、私の祖父の岸信介の葬儀の際、弔辞を読んでいただいたわけでありますが、その弔辞の中で、政治家が信念に従って行動すればするほど毀誉褒貶はつきものであり、まさにその毀誉褒貶はどんどんこれは大きなものになっていく、こんなことをおっしゃっていたわけでございますが、私は、自分の信念に従って、まさにみずから省みて直くんば、自省しながら、自分がやっていることは
まだ若い四十代の方が亡くなったんですけれども、弔辞の中で友人が、今日の間違った日本社会を象徴する事故であったということを言われたことが大変、私、印象的なんです。今、社長と大臣、いろんなやり取り言っていました。特に山本委員と大臣との話聞いていて、非常に重苦しいものを感じました。
弔辞では触れております。
少しぐらい伝わったかなと思いまして、私の友人も他界しまして、弔辞読みましたけれども、もっと、何というんですか、全国のそういう状況ぐらい把握していただきますようにお願い申し上げます。強くお願い申し上げます。 次に進ませていただきますけれども、障害者の基本計画及び障害者プランの検証でございますが、ちょっと時間がないんで読ませていただきますけれども、議事録に残さなきゃいけないので。
報道によりますと、五億円の加藤参考人の住宅建設を中堅ゼネコンに依頼された、そして断られると一千万円を要求して佐藤容疑者が取ったとか、また、加藤夫人が後援者の弔辞を読むと六百万円の請求があった、さらに、ライジングプロから佐藤容疑者へ一億五千万円の資金提供があり、その中の一億円が加藤氏サイドに渡ったと報じられております。
それから、六百万の弔辞。 その工務店は、私の親の代から深い深い信頼のあるつき合いをしている工務店でございます。人格者と言われています。そして、その店と佐藤三郎が私の知らないところで六百万のコンサルタント契約をしていたということは後で知りましたが、そのコンサルタント契約を終えて二、三カ月して先代が亡くなりました。そのときに、私の家内が私にかわって弔辞を読みに行くのは当たり前じゃないでしょうか。
最近アメリカのブラウンという議員が亡くなったんですが、彼はアメリカの科学技術委員会を三十年ぐらい務めた人で、「ネーチャー」にちゃんと弔辞が出て、彼がどういうことをやったかというのが出るわけですよ。
この方は、葬儀のときにも友人代表という形で大変感激的な弔辞を読まれた方なわけですが、この先生がこういうふうにおっしゃっているわけです。国民的合意がない限り、法制化しても今までの混乱がなくなってすんなりいくとは到底思えない、こういうふうに言っているわけなんです。
またここに、石川先生の葬儀に際しまして、友人の三原東高校の東風上校長先生の弔辞の一文がございます。これも御紹介したいと思います。 それでも二十七日には、なんにも言うてくれんかった。隠さんでも良かったのに、辛かったんだろうと思います。石川さんが口癖のように言っていた「こうなことは、口が裂けても言われんけぇえのう。」を思い出します。