2007-05-10 第166回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号
そして、役員はどうなのかというのは、お配りをいたしました資料の二枚目でありますけれども、理事長の青山氏は、建設技監から最後は国土交通省事務次官をお務めになって、十五年の七月に国土交通事務次官を退職して、そして翌年の十六年四月からこの水資源機構の理事長についていらっしゃいます。そして、副理事長に当たる太田氏は、農水省の局長御出身であります。
そして、役員はどうなのかというのは、お配りをいたしました資料の二枚目でありますけれども、理事長の青山氏は、建設技監から最後は国土交通省事務次官をお務めになって、十五年の七月に国土交通事務次官を退職して、そして翌年の十六年四月からこの水資源機構の理事長についていらっしゃいます。そして、副理事長に当たる太田氏は、農水省の局長御出身であります。
建設省に戻られてからは、河川行政に進まれ、河川計画課長、関東地方建設局長、河川局長を歴任され、その後、建設技監を経て、昭和四十七年、建設事務次官となられました。 この間、重要水系の工事基本計画の策定、急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律の制定など、幾多の困難かつ重要な仕事に尽力されました。
あなたに改めて伺っておきたいんですが、建設省から人をもらうためには、建設官僚の再就職あっせんをしている建設技監等に、どのくらいの報酬を出すからなどと具体的に伝えて相談しないと検討してもらえないよと言ってはりますね。
ただ、こういうことによりまして、例えば事業者団体の会合等の場で、関係事業者やらあるいは事業者団体が公共工事の受注計画、そういったものにつきまして任意に情報あるいは資料を収集して、あるいは提供を行うということもまた独禁法上認められているものであろうというふうに考えておりますので、多分私どもの建設技監が答弁したのは、インタビューにおいてこういう趣旨でお話したんだろうと思います。
同センターの理事長は広瀬利雄・元建設技監。センターによると、出向者の六人は現職の土木技術職が中心で、いずれ同省に戻る予定になっている。 そういうふうなことが書いてございます。 こうなりますと、国民の信頼というのは得られない。やっぱりそこで公正な第三者機関というんですか、そういうふうなものを持ってこなきゃならぬ。なるほど第三者機関が逃げ回っていたというふうな話も聞いております。
これはどういう構成かと申しますと、建設省の建設技監を会長としまして、大臣官房、計画局、土木研究所及び東北・北陸地方建設局、北海道開発局並びに積雪寒冷地域の一道九県、つまり北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、新潟、富山、石川、この担当官によってこういう協議会が発足されているんです。 これを見まして、私聞きたいのは、それじゃその後五十一年来具体的にどういうふうに通年雇用になったか。
さてそこで、私がいつも言っているのですが、実は昨年も災害直後、高秀建設技監が現地を見に来てくれまして、その後も高秀さんといろいろ議論をしたことがあるのでありますけれども、例えば五十八年度の千曲川工事事務所の改修予算は多分十四億二千万くらいではないか。ところが一昨年は、あの樽川で約八十億、昨年は常和地区を中心にした千曲川で三十一億でありましょうか、激特事業として予算を追加をされている。
○清水分科員 そこで、実は去年も高秀建設技監と話し合った際に申し上げたのですけれども、率直に言って河床整理の必要のある箇所が随所にあるんですね。しかし建設省の側に言わせますと、そんなに河床は上がっていないということを言われまして、河床整理はどうもちゅうちょをされる、もしくは箇所によっては砂利採取を許可しない。
○政府委員(粟屋敏信君) 建設省におきましては、昭和五十一年十二月に通年施工化技術研究協議会を設けまして、その構成員は、建設技監が会長でございますが、その他技術担当の責任者、土木研究所長、東北・北陸地方建設局長、北海道開発局建設部長、積雪寒冷地域の北海道、東北、北陸の各県の土木部長でもって協議会を構成をいたしまして通年施工化対策を研究しておるところでございます。
このマル秘文書には、県知事と四国電力株式会社社長大内三郎、立会人といたしまして、自由民主党政務調査会四国地方開発委員長高見三郎、同じく元委員長廣瀬正雄、建設省建設技監古賀雷四郎、この三名が立ち会いとなっておるのであります。そしてこれによりますと、こういう覚書になっております。
それからなお、事務次官の通達以外に、すでに薬液注入工法に対する調査検討委員会を組織して開いておりますが、これは建設省の省内の建設技監を委員長にした委員会でございますが、その中に国鉄の方も入っていただいて検討を始めておりますので、当然国鉄でもその趣旨に沿った措置がとられているのではないかというふうに考えております。
そういう点では、このたびも現在新聞が伝えているところによりますと、渥美前厚生省児童家庭局長、それから片山前林野庁長官、それから黒住前運輸省自動車局長、それから古賀前建設省建設技監、梶木前農林省建設部長等、まだそのあと農林次官なり大蔵次官であった前職の人たちも立候補をうわさされているわけでありますが、現在は地位利用ということになっておりますが、そういう個別的な地位利用というよりも、官庁という組織体を使
現に先ほど来指摘をされておるような、もう時間がありませんから申し上げませんけれども、古賀雷四郎という前建設技監ですか、あの方の問題があってみたり、あるいはまた防衛庁の政務次官が再度にわたって選挙区で一種の選挙運動を、しかもきわめて非常識なやり方で選挙運動をやっておるということが再度新聞にも報道されておる。そういうことがほとんど相次いで行なわれておるわけであります。
また最近、前建設技監古賀雷四郎氏の島根県主催歓迎パーティーがございまして、これは参議院選に出馬予定の元高級公務員が、それに対して県が歓迎の会をやったことはちょっと選挙上問題があるんじゃないか、このようにも言われておりますし、こういった問題があとを断たないわけです。
今度も、新聞の伝えるところによりますと、いま私が申し上げました黒住前自動車局長、渥美前厚生省児童家庭局長、梶木前農林省建設部長、古賀前建設省建設技監、片山前林野庁長官、すでにこれだけの名前があがっておるわけでありますけれども、いずれも、これらは現実にはその地位を利用して選挙をするので、こういうふうな問題が起きておるというふうに私どもは承知をしておりますし、それをたまたま黒住氏の場合はやり方がまずかった
中央の、名前はあげませんけれども、建設省の河川局の治水課長から地方の建設局長、東北、中部、近畿の建設局長をして、建設技監までされた方がどこをねらったか。承認の理由によると、内容を見ますと、この方は建設業法、法律百号、に基づく事業の登録、必要に応じ報告、検査等を行なう計画局建設業課にお勤めです。
自来、内務技師、国土局道路課長、関東土木出張所長を経て、国土局長兼内務技監に栄進され、建設院技監、建設省設置に伴い、建設事務次官、建設技監として、技術陣の最高責任者の地位に立たれ、昭和二十五年建設事務次官を退官されるまで、実に三十有余年の長きにわたり、国土建設行政に精根を傾けてこられたのであります。 君は、剛毅濶達、卓越した識見と敏腕をもって事に処し、その実行力は抜群でありました。
建設省は、先ほど申しましたとおり、直ちに建設省の防災業務計画によりまして、新潟地震災害復旧対策本部を設置いたしまして、これは特に建設技監と担当課長六名をきのうの夕方現地に派遣いたしまして、これは任務がなかなか大きいのでございますが、これらに対してもう最善の努力をして復旧に当たりたいということで、各役所とも同じでございますが、これも遺漏なきを期してやっております。
既定路線の建設は、北回り路線によって経費の軽減をはかることより、最も資源に富み、かつ経済価値も高く、国家的にも最も有利とされるわけでありまして、これらのことは、法律制定前にも十分調査、審議を遂げられて、去る昭和二十九年八月第五回国土開発中央道審議会(会長、建設大臣)におきまして、当時の菊地建設技監の結論どおり、技術的にも可能なものとして、この路線法の決定を見たと信じておりますが、幾多の困難はあるとしても
○富樫説明員 今回建設技監を拝命いたしました。道路局長のときは、非常に御懇切な御指導をいただきまして、大過なきを得ました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。(拍手)
その予備費支出までのつなぎといたしまして、現地へ、ただいま建設省の方からもお話がありましたように、建設技監が出ておられましてその配下の技官も現地の調査をいたしておられますから、それに基きまして緊要を要するものにつきましては、ごく簡単な調査が本省の方に送られまして、それを審査いたしまして、それに基いてつなぎ資金を支給せられていくということになります。
それを翌年の二十三年に、当時の建設技監である岩沢氏が川路村長を呼びまして、そうして知事の厳達命令にかわるものとして予防対策として千三百万円とってそうして三百万円で天竜峡付近の岩盤を除去し、一千万円でもって川路地積ヘコンクリートの長さ十数メートルにわたる水制を五、六本入れた。そこでこの工事をしたために対岸の帝江村においては、昭和三十五年の六月に大災害を受けて、七十町歩以上の耕地を流失してしまった。