1986-03-05 第104回国会 衆議院 逓信委員会 第3号
私、この十五年間、逓信委員会一筋に所属をいたしまして勉強させてもらっておりますが、実は大臣、廣瀬郵政大臣、村上郵政大臣、この十五年間に、佐藤現大臣を含めますと、私どもの同郷の大分県から実に三名の郵政大臣が就任をされております。単純に勘定しますと五年に一人ずつ大分県から郵政大臣が出られておる、こういうことになるわけでございます。
私、この十五年間、逓信委員会一筋に所属をいたしまして勉強させてもらっておりますが、実は大臣、廣瀬郵政大臣、村上郵政大臣、この十五年間に、佐藤現大臣を含めますと、私どもの同郷の大分県から実に三名の郵政大臣が就任をされております。単純に勘定しますと五年に一人ずつ大分県から郵政大臣が出られておる、こういうことになるわけでございます。
これはもう非常に古い話でございまして、昭和四十六年、廣瀬郵政大臣ですね、この辺の第二副チャンネルの利用ということでお願い書が出ておって、その後ずっと電波技術審議会等々で審議をしてきておったわけでありますが、最終的には、まだ漏話を生ずる受信機があるというようなことで、もうちょっと一踏ん張りというような状態になっておったと思うのであります。
郵政省が原因者責任主義という態度を打ち出されましたのは、昭和四十七年三月九日の衆議院の逓信委員会におきまして、当時の廣瀬郵政大臣が初めて明らかにされたというふうに私は承知いたしております。今日、テレビの都市難視につきまして社会的にも大きな問題になっておりますし、また、各地で受信者と原因者の間で紛争も起こっているわけです。
昭和四十七年当時でございますけれども、廣瀬郵政大臣、ここにもいらっしゃいますが、物価がどんどん上がるという日本の国の特殊な状態の中で、予算委員会におきましても、この逓信委員会におきましても、廣瀬郵政大臣の御答弁によりまして、電電公社の認可料金というのは重要なものであるからへ物価上昇に配慮して、郵政審議会にかけて今後やっていきますという明確な答弁があっているのです。
○福田(篤)国務大臣 御指摘のように、元廣瀬郵政大臣の本委員会における答弁並びに前村上郵政大臣の答弁、私も拝見いたしまして、この際、やはり事務当局が申しましたように、私といたしましては、認可料金について審議会にかけることが筋が通っておる、したがって、具体的にその実現化に向かって検討いたしたいと考えております。
そしてこの件については、昭和四十六年三月二十五日並びに昭和四十七年四月十九日、それぞれ質問し、議事録では廣瀬郵政大臣あるいは井出現官房長官はすぐにこれを直すということを言明しているのであります。すぐに直すということは直ちに直すことであって、もう逓信大臣は存在しないということなのでありますが、依然として村上逓信大臣がまだ存在するのであります。これはちょっとおかしいではありませんか。
これらにつきましては、先生が御指摘いただきましたように、井出郵政大臣あるいはまた廣瀬郵政大臣の当時にそういった点御指摘いただきまして、当時大臣からそれぞれ法律を改正する際に、それぞれの法律の改正案におきまして一括してそれぞれの字句を改めてまいりたい、かように申し上げているところでございまして、今回公衆電気通信法は改正ということになりまして、そういう措置をとったわけでございますが、その他の法律につきましても
これは廣瀬郵政大臣のをずっと読んでみますと、「認可料金といえども国民の生活に重要な関係を持っておる基本的な料金と申しますか、調べてみましたら認可料金はずいぶん数がたくさんあるようでございまして、」「そのうちの大きな問題と申しますか、生活に関係の大きい問題、なるべくたくさん取り上げたいと思っております」とあって、「郵政審議会にかけて御審議いただく、その御答申をいただきまして、最終的には私が認可決定をするというようなことにいたしたいと
廣瀬郵政大臣は、最初に四月にここで議論しまして、また五月の逓信委員会で、最後のところでこういうふうに言っておられますよ。「料金の諮問について、」云々というところから始まりまして、まあ廣瀬郵政大臣の心情を、「どうも私、決定するについて、何となく自信がないような感じがいたしまして、そのときも何か相談相手のようなものをつくっちゃどうかというようなことも事務当局とも相談したのでございます」。
これに対して廣瀬郵政大臣が、いろいろチェックすることについても答弁をされております。また、統一見解としてモニター制度をやるということになったようだが、その点はどうかというような質問に対して、これは六十七沖繩返還協定特別委員会における議事録でもいろいろ廣瀬郵政大臣は答弁をしております。
先ほど私は電波を掌握する所管の長としての廣瀬郵政大臣の国会答弁の内容の一部を御披露申し上げましたが、あれは当時の日本の国民の考え方であり、政府の考え方であり、いまもまたわれわれの考え方として当時とごうまつも変わらないし、このVOAを一日も早く撤去せよというこの考え方は今後も変わらないでありましょう。
私と当時の大臣との質疑応答の速記録を持ってきておりますが、当時の廣瀬郵政大臣との質疑応答の中で二カ年据え置くということになっているけれども、二カ年を持たずしてやると郵政大臣と外務大臣はお答えになっているんですよ。したがって二カ年を待たずして予備折衝はしなかったということでありますね。
○国務大臣(原田憲君) 当時の廣瀬郵政大臣が国会において発言いたしておりますことと私はごうも変化はありません。その態度で今後とも外務省とよく相談をしてまいりたいと存じます。
それから郵政大臣も、やはり、廣瀬郵政大臣の例をあげましたけれども、この際、もっと、大いにやって、男を上げてほしいと思うんですよ。よろしくお願いします。 次に移ります。
だから、廣瀬郵政大臣がかつて一般市中銀行の金利を下げるときにずいぶん抵抗されて、零細な庶民に犠牲を負わすべきじゃないといって頑強に抵抗された、そういったことがあるわけです。そうしてその結果、庶民に犠牲を負わしたらいけないということで、肩がわりといってはなんですが、小口貸し付けというものが生まれたと私は思っておる。 そういう意味で、やはり大臣も私はいまどきほど存在価値を示すときはない。
○小沢(貞)委員 これは、いま十万を二十万にしようというのは、いま委員長をやっておられる廣瀬郵政大臣が非常な熱を燃やして創設されたわけであります。ただこれが予定の額まで消化されておらない、貸し出しがいっていないということは、たぶんきのうあたりどなたからか質問があったと思います。
もう井出郵政大臣のころから委員長の廣瀬郵政大臣、ずっとこの点について非常に努力してきていただいて、北人事局長もだいぶ努力しておるようですから、きょうはもうこれ以上言いませんが、しかし私がいま深川の局に行った例を申し上げましたけれども、社会党の代議士というと敵が来たような顔をして、五十分も門の外に立たせておくというような状況ですから、いわんや現場の全逓の組合員に対するものの見方というものは、まだ日常でも
これは廣瀬郵政大臣もたいへん努力されたと思うのですけれども、一向に解決しない。でありますから、この点について大臣の所見をちょっと聞いてみたいと思います。
ですから、この前も郵便貯金のときに、昨年廣瀬郵政大臣がたいへん苦労されて、利率の問題のときにもがんばったんですけれども、ここへ来た大蔵の担当官などの話を聞いていますと、まさに大蔵省が生殺与奪の権を持っているような話が出てくるわけですよ。
私たちは、前回の庶民金融をつくる場合におきまする一件当たり十万円という、こういうちゃちなことでなくて、少なくとも五十万円ぐらいのものをしたらどうかという意見も出しましたし、また預金利子を引き下げるときにおきましても、庶民のための郵便貯金——郵便貯金法の精神にもあるようなこの精神を生かして、引き下げ率はできるだけ少なくするようにというような意見もずいぶん出しましてね、廣瀬郵政大臣もかなり粘ったんですけれども
それで私は、今度は大臣、もう一つこういうような問題の中で——前の大臣は廣瀬郵政大臣でしたね、廣瀬郵政大臣が辞任される直前に、やはりこのマル生問題解決のために努力され、心配していたんです。特に今後絶対これをやらせない、したがって、ということでいろいろわれわれも協力するために踏み切りました。そして今後のために確認を得ました。そのために法案も成立し、現行のようになっております。
○阿部(未)委員 私は、最近の歴代の郵政大臣、特に井出郵政大臣、廣瀬郵政大臣、そして今日の久野郵政大臣、それぞれの大臣の労使関係について正常化したいという所信とその施策について疑うものではございませんし、また特にここにお見えの郵政当局の幹部の皆さん方においても、労使関係の正常化について熱意を持って取り組んでおるというふうにこの国会の議論を通じて理解をしております。
それは、去年の六月の十五日に、当時の廣瀬郵政大臣と竹下事務次官と北人事局長お三人とわれわれ議員団との間に、郵政労使の正常化の問題についてかたい約束があったんですよ。もう世上言われる郵政労使の関係というものを正常化するために、われわれは廣瀬大臣の意向をくんで、誠意を持ってそれに当たる、実績でごらんくださいということだったんですよ。私はまたまたでたらめをという気持ちを率直に持っていたんです。
そこで事業遂行の最も責任ある立場の郵務局、貯金局、保険局以下、いま北局長が約束を肯定されたわけでありますから、その当時久野さんは大臣じゃありませんから、新大臣の前で、われわれと当時の廣瀬郵政大臣との間にいわゆる約束されたことをどう受けとめられておるのか、順次局長からものの考え方を述べてください。
○政府委員(溝呂木繁君) 去年、廣瀬郵政大臣がいろいろお約束になったことは私ども聞いております。したがいましてその意思を体して郵務局長としては郵便事業の中でそれをどのように進めていくかということになろうかと思います。常にいろいろ問題が起きてくる、また、えてして郵便の職場に問題が多いということも承知しております。
特に四十六年、廣瀬郵政大臣のときだったと思います、あなたのほうの通達、三十号、五十号が出たあのときでありますけれども、大臣や人事局長がここで、委員会ではそのようなりっぱなきれいな答弁をされても、現場の管理者にはそれが徹底していない。私どもは具体的な資料とその事実を直接大臣に披瀝をして、そして、親の心子知らず、というあのことばが入った通達が出ている経過もあるわけなんです。
○国務大臣(久野忠治君) 預金者貸し付け制度ができたときの経緯は御指摘のとおりでございまして、前廣瀬郵政大臣の御努力には高く私は敬意を表したいと思うのでございます。
UV転換というお話が四十二年に小林郵政大臣のときに閣議で出まして、それから歴代大臣をずうっと通じて廣瀬さんまで、私はこのあとを追って次々に質問を続けてまいりましたわけですが、その辺の事情は大臣もすでにお聞き取り及びのことと思っておりますけれども、四十七年の三月二十八日に、私、当委員会におきまして廣瀬郵政大臣に質問をいたしました際に、どうも諸般の事情から考えて、小林さんが当時言っておったように十年でUV