2021-03-15 第204回国会 参議院 予算委員会 第11号
そういう環境に菅総理の御子息がいらっしゃったこと自身が私は大きな問題で、それは総理が幾ら自分はあずかり知らないと言っても、そうはいかないですよ、元々総理の秘書官なんだから。 そこの政治責任はおありではないかと僕は思うんですが、総理、いかがですか。
そういう環境に菅総理の御子息がいらっしゃったこと自身が私は大きな問題で、それは総理が幾ら自分はあずかり知らないと言っても、そうはいかないですよ、元々総理の秘書官なんだから。 そこの政治責任はおありではないかと僕は思うんですが、総理、いかがですか。
幾ら自分が練習して技を磨いても、プロの格闘家としてやっていくには、安定した練習場所の確保やサポートスタッフの確保、トーナメントを企画して運営してくれる興行主、そしてトーナメントをコンテンツとして買ってくれるテレビ局、あとは広告主などがそろうまで待たなきゃいけない状況でした。運よくちょうどブームが来たからよかったんですが、この有機畜産業は今そのときと同じような状況にあると思います。
ただ、彼の場合は、恐らくですが、実行犯として自分が虚偽公文書作成罪に関わってしまったという問題や、それを言ったところで、財務省全体から自分が責任を押し付けられて、押し潰されてしまうんじゃないか、幾ら自分が言っても、検察は信用してくれない、警察、検察は信じてくれないんじゃないか、あるいは、もう自分一人で責任をかぶせられて、自分はもう潰されるだけだという思いもあったのではないかというふうに思っております
幾ら自分たち放送事業者の表現の自由が大事だからといって、他者の表現の自由をないがしろにしていいはずがございません。ですから、私どもは、国民の表現の自由に放送法の枠を超えて放送事業者独自の判断で規制をかけることは行わないと決めました。 わかりにくくて大変恐縮ですが、二つの表現の自由が関係するためのわかりにくさであると御理解いただければ幸いでございます。
検事が責任を持って我々に出した資料は、幾ら自分たちに不利益なものでも簡単に撤回が認められる。 これは本当におかしなことだと思いますよ。だから私は、これは大問題だと言っているわけですよ。ほかの官僚とは違うんです。責任重大なんです。 こういう中で、今回のこの大臣の説明を見ますと、何が起きたのか、どういう理由で間違いが生じたのかというのはあるんですけれども、そこからすぐ再発防止策に飛んでいる。
実は、自治体にいたときの経験から、自治体の課長や課長補佐が、僕も類似した事業をやってきたんですが、幾ら自分たちが何とかしたいと思っても、総理秘書官と官邸で会ってレクやお知恵をかりるなんということは見たこともなければ経験したこともありません。なぜ、そういう一自治体の課長や課長補佐が官邸にまで行ってレクを受け、こうしたらいいですよという知恵もいただいてやってきたのか。
自分が早く学校に行ければ、B君が幾ら自分よりも給料を多くもらったとしても、A君はそれは問題ないんです。問題は、残業時間を減らすというときにどういうことが起きるかということなんです。 B君に対して、もっと早く配ってくださいと言っても、僕はもう無理だよ、こう言われれば、これはしようがないんです。
ですから、公証人の方から、この保証契約というのはあくまで債権者と保証人との間の契約なんですよ、債務者の方で幾ら自分が払うからと言ったとしても請求されるんですよとか、例えばそういう日常的にある具体例だったりとか、普通の法律知識がない方でも分かるような説明をやっぱりしていただくと。
幾ら自分は関係ないと思っていても、他人から怪しいと思われれば通報されて、いつの間にか警察の監視対象、捜査対象になりかねない。 大臣にお聞きするんですが、共謀罪が新設されたら、おちおち観光もできない、非常に息苦しい、そういう社会になっていくんじゃないですか。
私自身も、計算しようと思っても、幾ら自分が払っているかということがわからない。それぐらい複雑になってしまっているのが今の現状だと思います。
幾ら自分たちが負担しなきゃいけないか、三十七億しか年間の予算がない町が、どこまで自分たちでやって、きちっと財政が破綻しないでやっていけるかというその確証が一カ月たった今の段階でないんですよ。
○松沢成文君 外務大臣、竹島、北方領土、あるいは南シナ海の西沙、南沙諸島、これ、幾ら自分の国だ、自分の領土だと叫んでも、一度他国に実効支配されてしまったらもう二度と返ってこないんですね。これが国際政治の現実なんですよ。もしかして、それを取り戻すとしたら、戦争を仕掛けて取り戻すしかないですよ。尖閣をこのまま放置すれば、中国に侵略される可能性は私は否定できないと思います。
幾ら自分が知らなかったからと、大体、知らない人から献金をもらうこと自体が私はおかしいと思いますけれどもね。 知らなかったで済ますおつもりなのかもしれませんけれども、これ以外に不適切な支出、収入というのはなかったというふうにここで断言できますか。
私の方は、じゃ、お受けしましょうと言っていたら、小泉総理から叱られまして、幾ら小野さんが本気で質問しても、幾ら自分が誠実に答えても、外から見ればなれ合いだ、やらせだと受け取られるから、自分が総理の間は質問したいなんて言うなと言われまして、ついぞお父様には質問する機会はなかったんです。
しかし、私は、自分の体をちょっと皆さんの前にさらけ出すのはやめますけれども、幾ら自分のここを、手を指でつねっても痛いということが言えないんです。そして、今日も昼も食べたんですけれども、刺身なんかを食べても私自身は味が取れません、刺身とか、食べている品物が味が分からない。これは本当に普通の人から言わせると何かおかしいというふうになるかもしれない。しかし、私はそれでずっと生き続けておりますので。
しかし、幾ら自分の病院がずっと急性期でやっていくんだと思っても、地域医療ビジョンは将来の疾患別患者数の推計も行いますから、患者さんがいないところで幾ら急性期医療を展開しようといっても、だんだんこれは必要がなくなってきますよね。
それはいろいろな状況がありますが、しかし、幾ら自分たちが考えていることが正しい、正義だと思っても、民主主義というのはやはりコンセンサスが必要ですし、あえて敵をつくる必要がないところで敵をつくってしまったようなところも第一次安倍政権のときにはあったのではないかというふうに思います。 特に、今の状況というのは、ますますこの日本が、歴史におけるターニングポイントでもあると思うんですね。
実際に、今回の件でも、幾ら自分が被害者だと主張される共著者がいても、その共著者は大いなる責任があります。 残念なことでありますが、私自身、例えば私が見た研究者でも、自分がかわいがっている後輩が、留学中であるにもかかわらず、全部の論文に共著者と入れるというような恥ずかしい研究者を知っております。こういった研究者には、当然研究の場から退場していただかなければいけない。
しかしながら、女性の場合、特に女子大生なんかの場合、十八歳時点で、いずれ二十五歳ぐらいには結婚をして子供を二人ぐらい持ちたいと思っていたときに幾ら自分が返さなければならないというような負担を考えると、なかなかその借金をすることすら踏み切れないで退学をしていく学生が多いというような現実がございます。