1955-12-06 第23回国会 衆議院 法務委員会 第2号
ただいま申し上げたように、私ども中国へ参りましたときに、毛沢東さんからもそのお話がございましたから、お約束をしてわれわれ議員は帰つたのでありますが、十一月四日、数人は中華人民共和国へ帰りたいと言うのを、本人の意思に反して、しいて台湾に強制送還をやつている。
ただいま申し上げたように、私ども中国へ参りましたときに、毛沢東さんからもそのお話がございましたから、お約束をしてわれわれ議員は帰つたのでありますが、十一月四日、数人は中華人民共和国へ帰りたいと言うのを、本人の意思に反して、しいて台湾に強制送還をやつている。
第四日の二十五日は、木曽福島市に汽車で到着、ここよりバスにてダム地帯に向い、牧尾橋ダムサイト、王滝、三岳両村の水没地帯等を視察して木曽福島市に帰つたのでありますが、現地及び木曽福島市におきまして、水没地帯農民のダム建設反対の陳情、ダム計画進行に当つて地元との交渉が不十分であったとの意見、森林軌道の水没に関する問題等々について陳情を聞きました。
これは将来の問題でもありますが、そんなふうな感じを持つて帰つたのであります。 それからホテル、ホテルは実はこちらから言い出したので、ラングーンにはたつた一つのホテルしかなくて、そのほかにはあまりろくなホテルがない。ラングーン以外のところでは、マンダレーみたいなところもホテルがない。旅行者がふとんからかやから持つていかけなればならない。これはインドの田舎はそうなんです。
従つて、今後のことにつきましても、さような発表の方法であろうかと推察いたしまして、私どもはそれ以上につつ込んで聞いてもむだだと思つて帰つたのでございます。 なお、先ほど御遺骨のことが出ました。
また一般としても、いかにも国がやつていた競馬が昔の競馬に帰つたのだという感じを持たれておる事実は、この人事の問題等に関連してあると思うのであります。この点においてしばしばそういうことを聞くのです。もう農林省の手を離れたのだ、自分たちが競馬をやるのだ、こういうことを競馬の理事者は盛んに言つておるわけであります。日本中央競馬会法の三十一条には、「競馬会は、農林大臣が監督する」。
しかしながら全然見込みがないということじやないが、これはなかなかむずかしいという印象を受けて帰つたのであります。その後総理が行かれて、やはりラドフォード大将にも話されたようでありますが、そのほかのときにも話があつたようであります。その応答を聞いてみますと、私のときよりは大分受答えがいいようでありまして、これはかなり向うでもよく考えているように私はとりました。
それで部隊は二十一年五月に帰つたのでございますが、二十三年、二十四年という頃戦闘が起つたのでございますが、その頃のことでいろいろ脅迫があつたとかということ等も、そういう御記述もこの中にあるようでございますので、その点は一つ、何でございますか、現地復員云々ということからはちよつと切り離れた問題ではないかと、かように考えて、いらつしやつたかた、直接私のほうにもお見えになりましたそういうかたにも、こういう
そうしてその日はそれでわかれまして帰つたのでありますが、すぐ翌日は、目下モスクワにおいて大々的に開催されておりますソ連邦の農業博覧会、これはソ連だけの国内的な博覧会で、よその国のように各国が陳列しておるのではありません。
これは特に、松本治郎氏がわが党の参議院議員で日本中国友好協会会長をしておりますから、その代理というので帰つたのであります。
そのほか軽傷が五十名ございますが、皆すぐ家に帰つたのであります。丁度現地は嬉野町から非常に近い関係もありますし、運転士が丁度助かつておりますので、運転士と助かつた人と引出すと一緒に、車掌は血まみれになりながら窓から出る、嬉野に国立病院もございますので、そこからすぐ参りましたので、七時二十分に出まして、もう九時には全部嬉野の病院に収容いたすというように、その点は事故としては割に都合よく行きました。
特に劔木委員がこの間の報告においても申された通りに、学生諸君に対しては、諸君は静かに勉強しておいてもらいたい、これはきつと諸君の要望に副うように文部委員会としても最善の努力をする、こういう約束をしてお帰りになつた、我々もそういう約束をして帰つたのであります。
そうしていろいろと妥協点も見出しましたが、未解決の上も、ありましたので、後日又再びお会いすることを約して帰つたのであります。然るに、帰りますとすぐその翌日は懇談の状況が一変して、更に私たしがこの結果を市の教育委員長に報告しない前に、いや、私たちが恵楓園に行くときには、もうすでに市の教育委員会は四名の通学を決定したのであります。
そのときの模様は新聞などにもよく報道されてありますが、かなり詳しい、微に入り細にうがつた診察をして帰つたのであります。たとえて言いますと、朝十時ちよつと過ぎに参りまして、患者をつかまえましていろいろ根掘り葉掘り聞き、そうして血液なども自分で採らしてくれというので採らしてやりました。
この夕焼け雲は、子供の時分から風か出るときにそういう夕焼けが光るということを聞いておりましたので、腹の中では私はそう思つて帰つたのですが、湯川から電車に乗つて競馬場というところで電車をおりて、それから私の家までバスで行くのですが、そのバスを待つておるころでしたから、おそらく六時ちよつと過ぎぐらいに、あまり感じなかつた風が念にまた吹き出しまして、行つておる間風に押されるというかつこうです。
その報告は持つて帰つたのです。例えば石川県のごときも行きまして、これはちよつと前に参りましたが、八月一ぱいにまあ実施するという見込みを以て帰つて来た。それに基いて実はこれはそういう見込みの部分も加えて出したような実情でございまして、若干そういう点が間違つておるかも知れません。
そこで私は責任を感じておつたのでありますが、国の方へ帰つて演説会などをやつて、五日の日に帰つたのであります。いろいろ新聞を見ると、大分決算委員会の国政調査の範囲が非常に広まつておるように思いまして、これはわれわれの権限にある事項だというふうに私は考えた。
たとえば疎開という問題でございますが、疎開あるいは帰国の時期、つまり終戦前に帰つたのか終戦後に帰つたのかということ、これはわれわれは調べられる限り調べております。
そこへ野坂事務官がやつて参りまして、お前は宮崎事務官にわいろをやつて三十五万円ということに判を押したのではないか、けしからぬといつて、罵詈雑言をして四十七万円に更正決定をして帰つたのであります。この野坂事務官のごときは、最も模範的な悪例の一つであると思う。
出張して二日働きまして、そのあくる日に、君ら帰れと言われましたから、帰つたのでありますが、これはどうもおかしいと思つてあくる日新聞を見ましたところ、彦根東高校生が学校へ行つたために大垣工場に転勤とか出張命令が出されたというので、あわてて帰したのだと私は思つております。以上であります。
私先般国のほうに帰つたのですが、西のほうは今までメイ虫駆除に追われて、而も「いもち」が来るのは必至だというので戦々兢々としておるような状態である。昨年でさえ、すでに広島県で「いもち」の駆除が遅れたために十万石の減収を来たしたと称しておるのです。だから私はこれは時間の問題で、今頃、七月半ば頃からまあ折衝しておつて見通しが付かんようなことでは、これは又昨年の広島県の轍を踏むのじやないか。