1959-02-05 第31回国会 衆議院 法務委員会 第3号
昭和二十九年十月二十二日徳島地方裁判所において、昭和三十二年九月三日高松高等裁判所において、富士茂子の命により、犯人が外部から侵入したごとく擬装するため、電灯線及び電話線を切断し、かつ犯行に供した刺身ぼうちようを投げ捨てたというような虚偽の証言をなし、第二に、阿部は、昭和二十九年十月二十二日、徳島地方裁判所において、また昭和三十二年七月三十日高松高等裁判所において、富士茂子の命によって篠原澄子からあいくちを持ち帰つた
昭和二十九年十月二十二日徳島地方裁判所において、昭和三十二年九月三日高松高等裁判所において、富士茂子の命により、犯人が外部から侵入したごとく擬装するため、電灯線及び電話線を切断し、かつ犯行に供した刺身ぼうちようを投げ捨てたというような虚偽の証言をなし、第二に、阿部は、昭和二十九年十月二十二日、徳島地方裁判所において、また昭和三十二年七月三十日高松高等裁判所において、富士茂子の命によって篠原澄子からあいくちを持ち帰つた
その際に氏名等を質問をしたのはどういうわけかと聞きましたところが、これは郵便局側の説明の概要を上司に報告する必要があつたので尋ねたのだ、他意はないのだという話もあつて、一応了承して帰つた、こういうのが私ども入手しております情報で一ございます。事実でございます。
○森本委員 そうするとこの矢吹三等陸尉というのが米子局に来て聞いたのは、本人の住所、氏名と年令、生年月日だけを聞いて帰つた、こういうことですか。
従いまして、ただいま古屋委員の御質問のうち、夜中に事が行われたというのは、ほかの一般の帰つた者が夜中に立つたのでございますし、それは汽車の都合でそういうふうに夜中に事件になつたわけでございます。それから、なぜそれまでに別に置かなかつたかということの理由は、以上申し上げたような理由からでございます。
帰つた、内地へ着いたうれしさからか、何もそういうことはない、非常にけつこうだといって返事しておられましたので、私も援護局の方に対して遠慮して、どんなものを配給しておるか見せてくれということは言わなかった。しかしながら、その後また昨日の新聞にこういうことが出ております。
大体向うの案もまとまつたのでありますが、なおそれでもどうもとてもそのうちにはちよつと合理的でないものもありますししますので、まあわれわれが現場を見て帰つた知識で、さらにそれをわれわれの方で整理しまして、そうしてこれでどうですかという案を出したのであります。
それからインドから帰つた人がいろいろインドの悪口を言う。これはまあどういう事例があつたか存じませんが、時に私たち日常仕事をしておりましてそういう顕著な事例を聞いておりませんので、お答えできないような次第であります。
ねしたいことは、これは新聞にも報道されておるようですが、衆議院の人事委員会の一部の方々が大臣といろいろお話合いをされて、そして国家公務員とか或いは地方公務員等に対する年末手当の増額の件について、今日あたりの閣議でかなり具体的な決定が行われるであろうからということで会談されたことが新聞にも報道されておりますし、而も併せてその記事の中には、大体内容の具体的なものとしては、この程度のものだという確認をして帰つたという
そして、帰つてみて、前に帰つた方は、何か戦犯としての取扱いで、とにかく帰つても顔を合されないとか、いろいろな待遇において非常に困られて苦労があつたというようなことも聞きました。同時に、それに関して感じることでありますが、中共をまわつて帰る途中私の感じたのは、金の換算率というものが違う。われわれが十年近くも海外で苦労して何百万元もの金をためた、あるいはわずかな金をためた。
その中には、ぜひ帰りたいということで、身がわりにだれかを押しつけまして、自分は実は課長でも何でもありませんからということで、課長代りを置いて帰つた人もあるわけです。ですから、鞍山製鉄所の中にはほんとうの技術者もおりますし、にせの技術者もおります。大体技術者が多いわけです。その人たちが残りまして、鞍山の復興にかかつたのでありますが、一九四九年だと思いますが、またまた八路軍が今度巻き返して来た。
それから、一九四八年だつたと思いますが、大方の人が帰つたあとに残つた人、この人たちに対して、自願で残るのであるということの証明を中国におる方全部がさせられました。そのことについて一斉申し上げたいことは、この地に帰つた人が、自顔で残つていた人であるかないかによつていろいろ差別があると思われますが、これをぜひとも修正してほしいと思います。
○国務大臣(緒方竹虎君) 私も総理が五十三日の間外遊をして参つて、今お述べになりました各国を通しての共産党の問題に対する考え方、その他日本の将来、日本の経済自立の将来について一つのはつきりした考えを持つて帰つたと思います。
我々が今まであらゆる方法で、国内において知り得る最大限度の方法で知つた数はこの通りだ、実際は向うの、中共でないとわからないと思うけれども、我々のあらゆる努力を以て知り得た数はこれだけで、そうしてこれに対して昨年帰つた人たちから聞くと、なお八千六十三名は確実に生存しているということである。どうしても中共が言つておられるのと、私どものとは食い違うというとおかしいですが、ぴんと来ない。
そこへある日三十数才のふちなしめがね、合オーバーを着た一見サラリーマン風の男がたずねて来て、この勤め人を呼び出して、株の取引をするがごときことを、言うて、その日はそれで帰つたそうですが、翌日また現われて、その会社の近所のすし屋に呼び出して、きようは折り入つてあなたにお願いがあるんだ。あなたは一体だれだ。それは聞かんでくれ、あなたが私に協力すると言えば自分の職能を明らかにする。
それから給与保険の方でございますが、給与保険の方も、拿捕された船はおおむね給与保険がついておりまして、支払つておるわけでございますが、船は帰つて来ないが乗組員が早期に帰るというようなもの、あるいはまた船は帰つたが乗組員は一部残つているというような関係から、残つておるものをつかむことはなかなか困難なのでございますが、三枚目の紙にございますように、昭和二十八年度の月別に支払つた分は、四月には乗組員として
郵政省に勤めるようになり、今日まで相当勤めているわけですが、家族とも四名あるそうで、僅かに四級職の何号か、五号でしたか、八千八百円程度の給料しかもらえない、家内の内職の収入を含めて九千円で非常に困るのだ、こういう不合理は何故是正してくれないのだろうか、私たち戦地に行つたのは、自分の私利私欲のためではなくして、たまたま健康であつたからということの理由で、而も国の要請に応じて働いていろいろな苦労をされて帰つたそうですが
羽田さんも帰つたなら村の人に聞いてごらん。そうやつてみなとつているんだよ。だから農民の中から、いろいろ分納にしてくれとか言つて来る。私は何でもかんでも延納というのは反対なんだ。もし来年凶作になれば、全部延納しちやつたらどうするかということも考えているんだ。
いずれにしましても今御引例のように六日分の処方箋をもらつて薬局から薬をもらつて帰つた患者があつたといたしました場合に、その患者につきまして医者の責任のある証明をもらうために出先機関が医師のところに行くのであります。医師としては六日間の処方を出しましても――その六日間というのは労務に服せないという証明がありますれば、傷病手当金を出すべきものと考えます。
で、この点について、アメリカの最高裁判所がどう言つているかといいますと、これはよくアメリカのピケについてはソンヒル事件というのを挙げるのですが、私があちらから持つて帰つた一九五〇年の最高裁判所のピケについての一番新らしい判決を見ると、このピケについて一般的な規定を設けるということは到底できない、これはピケ権と、それから第二者の権利の間に憲法上のボーダー・ラインを引くということ、ボーダー・ラインを一般的
我々の二万数千名が、而も戦争から帰つた荒武者どもがデモをやつて、警察を包囲すると、何もできない。警察というものは無力であります。そういうような点からいたしまして、果してこれを励行し得るや否や、つまり羊頭掲げて狗肉を売るの策に終りはしないかという点を非常に心配しておるのであります。
その通りでございますが、その書類のうちに、団体交渉を続けるために必要なる書類があるのに、それを持つて帰つたということでございますが、この書類の提出にあたりましても、できるだけ団体交渉を続けておる間の妨害をしてはならないということをわれわれは考えまして、その強制捜査をする時間を非常に遅らせたのであります。
○説明員(羽田武嗣郎君) 只今大蔵政務次官から、こちらの委員会においての御要望に対して大体の大蔵省の今までの考え方についてのお話が山本さんからあつたのでありますが、実は農林省といたしましては、まだ政府部内としては委員会で以て二つの意見を御披露することは甚だ如何かと思いますけれども、まだ本部長も帰つたばかりでございまして、これから調整をいたし、又農林省としては実は山本政務次官のお話になりました大蔵省の
私どもは帰還者の帰つた数を積み重ねたものでございます。而もそれがはつきり十三名というものもありますれば、約二十名というものもございます。そういうものを積み重ねたものでありますので、これらを以て直ちに違つておる、合つておるというようなことは、ちよつと言いかねるのではなかろうかというような状況になつております。
それで日にちはいつかはつきりわからないけれども、約一月ほど前に警察の人が来て盗聴器をつけさしてくれと言われて、そして菓子折を置いて帰つたということを聞いたわけなんです。そうして主人は承知の上でそういうことをして、そしてある日田中球恵さんにつけられているということを教えてもらつたというわけなんです。しかし私は絶対にその菓子も食べてないし買収されてないから、あなたには教えるとおつしやつたわけなんです。
日本に帰つた人々の生活はどうであるか、と言うのであります。 私は、その大部分のものはすでに職業について、住居も与えられました、こう答えたのであります。ところが、それがほんとうであればまことにうれしいことである、こう重ねて言われるのであります。私といたしましては、さらにそれに答えて、中国から帰つて来た日本人の方々に対しては、就職についても優先的なあつせんをいたしております。