2011-05-18 第177回国会 衆議院 法務委員会 第12号
それから、秦野章さんの「角を矯めて牛を殺すことなかれ」という本ですけれども、その秦野章さんの本の中では、検察が政治改革をしてやる、このようなことを思ってはならない、検察はあくまでも法と証拠に基づいて粛々とやるべきだというようなことを言っておられて、戦前の帝人事件でも、担当検事は同じようなことを、要するに、世の中で腐っていないのは検事と大学教授だけだ、だからおれたちが世直しをするというようなことを言ったということが
それから、秦野章さんの「角を矯めて牛を殺すことなかれ」という本ですけれども、その秦野章さんの本の中では、検察が政治改革をしてやる、このようなことを思ってはならない、検察はあくまでも法と証拠に基づいて粛々とやるべきだというようなことを言っておられて、戦前の帝人事件でも、担当検事は同じようなことを、要するに、世の中で腐っていないのは検事と大学教授だけだ、だからおれたちが世直しをするというようなことを言ったということが
昭和の十年代に帝人事件があったり、三井、三菱と民政党、政友会の癒着というものがあって、国民は大正デモクラシーで自由濶達、これは非常にいいんですが、自由濶達が行き過ぎたために野方図だという非難を受けたわけですね。 そしてその後、あなたのおじいさんの文麿公や後藤文夫さんが研究会をつくられましたね。これは昭和七年の一月ですよ。私は、近衛さんも日本のためを思って新しい運動に乗り出されたと思いますよ。
そういう点で、昭和九年の帝人事件というものが非常に古いあれでございますがございました。そしてまた、最近では昭和五十四年の宮崎県の黒木知事事件というものがございました。こういった二つの事件が想起されるわけでございます。
もう私がここで言うまでもありませんけれども、昭和十二年のですか十一年のですか、帝人事件のように検察ファッショになっても困る。とうとうあれは砂上の楼閣というようなことになったんだけれども、これになっても困る。
さらにまた、御承知のような帝人事件。これは昭和九年の五月ごろの事件でございますが、この事件は性格的に見ますと今度のリクルート事件に非常によく似たところがございます。大臣が二人逮捕された、大蔵省の次官も起訴された。その結果、齋藤内閣が総辞職した。東京地裁で裁判が行われまして、四年余にわたって二百六十六回の公判が行われたわけでございますけれども、全員無罪です。そして、それが確定しているわけです。
例えば、皆さん御承知の池田元首相の最大のパトロンであった財界の重鎮小林中氏は、戦前の帝人事件で被告とされ、無罪となったのであります。
ちょうど五十年前に一審で無罪が確定したところの、例えば帝人事件の場合に被告の座に置かれました河合良成さんあるいは三土忠造さん、それぞれ「帝人心境録」とか「幽囚徒然草」などをお書きになって、そこにおける、訴追された、無実を訴える者の苦しみを書いておられます。
戦前におきましても、帝人事件というようなことがありまして、結局はそういうことはなかったということで、検察の発動によって内閣を倒したということがありました。そのためにずいぶん多くの人が迷惑を受けたという例もあります。そういういろんな面から見ましてそういう検察庁法の文章にもなっているのではないかと思います。
その一番端的な例が、私がこの間も御質問申し上げました例の帝人事件、台湾銀行事件。あのときなどは、政府の意向、首相の意向も踏みにじってと言ってはなんでありますけれども、積極的に検察当局、捜査当局が動いて、そして財界や官界の不正を摘発しようとする猛烈な勢いを示された。特にこういうような民主主義の根幹を揺るがすような重大問題であります。私は積極的に出ていったらいいじゃないかと思います。
○小林(進)委員 私は二回、三回法務省が、行政庁が検察行政に不当に関与することの危険をしつこく質問してきたわけでありますが、この帝人事件に関する限りは立場が逆になりまして、いわゆる検察ファッショの危険もまた今日のこの段階にはあるのではないかということの立場で、いま帝人事件を質問したわけだ。 いみじくも検察庁が張り切ってやって時の齋藤内閣も倒した。
帝人事件をもって最後にいたしておりますか。
○前田(宏)政府委員 まあ帝人事件におきましてもいろいろなことが言われたわけでございますが、果たして言われたとおりであるかどうかということは、また問題があろうかと思います。
第二番目はシーメンス事件、第三番目が陸軍をめぐる汚職事件、第四番目は帝人事件、第五番目は天皇機関説に対するもの、これに一体当時の司法省、司法大臣がどう関係したかというと、みんな指揮権発動だ。第六番目は血盟団事件の井上日召の取り扱いについて。第七番目には、いよいよこれは終戦後へ入りますが昭和電工事件。それから第八では政治と検察との争いの問題。それから第九番目はいわゆる造船疑獄と指揮権発動。
皆さんにはおなじみの深い政治家で、有名な三土忠造さん、戦争中文部大臣なんかにおなりになった、この人が帝人事件で偽証罪で六カ月未決へ入れられて「幽囚徒然草」という本を書いておられます。その「幽囚徒然草」の中にいまでも残っておるのは、英国における電話交換手のミス・サルビッジという少女が警察で調べられたときの状況を詳細に紹介しておられます。
帝人事件は、古井さんもよく御存じのとおり、砂上の楼閣ということになったのです。帝人事件を契機にして日本のファッショは進んだ——契機とは申し上げませんけれども、一つの現象としてなったことも検察陣は反省していただきたい。これは明らかに政治事件だと思っています。背景には、政治事件があった。今後検察当局は心して対処していただくよう強く要求いたしまして、終わります。
いままでにも汚職事件、それから非常に困難な事件など多々ございましたが、今度ロッキード事件がそういう類型の一つになると思うんですが、従来も、たとえば帝人事件など補充判事など一人置いて審理が終わるまでその判事を交代させない、ずうっと同一の判事で最後まで審理を遂げるというようなこともございました。
これは昭和十一年の帝人事件などがその典型的なものです。これは法務大臣もよく御存じでしょうけれども、あれなどは空中楼閣とまで言われてしまって、検察ファッショという非難まで検察陣営が受けたような気の毒な状態になりましたね。それから内田鉄道大臣の収賄事件、これも無罪になった。この戦後の昭電疑獄でも芦田さんあるいは西尾さん、頭株は皆無罪になっている。それから造船疑獄またしかりですね。
これまでの取り調べ結果を総合しますと、「東アジア反日武装戦線」は「狼」、「大地の牙」、「さそり」の三グループで構成され、「狼」グループが三菱重工事件、帝人事件を敢行し、「大地の牙」グループが三井物産事件、大成建設事件を敢行し、さらに「さそり」グループが鹿島建設事件を敢行し、さらに間組本社及び間組の大宮工場の同時爆破はこの三グループが共同して敢行した疑いが濃くなっております。
たとえば、これは古い歴史ですが、戦前の歴史でも、帝人事件の際に時の銀行局長が戒具を——戒具といってもそれは手錠ですが、手錠もかけて留置場で調べられた、あれくらいおそろしいことはなかったということを、帝人事件のあとの述懐をしておられるわけです。
これは去年の国会のここでも議論をしたのですけれども、昭和九年に帝人事件が発生したときに、その使用について国会の中で大問題になったのです。法務省関係の先輩である岩田宙造という当時の議員が、小原法務大臣に対して非常に激しく追及して問題になったんですよ。そのときにどういう議論をされているか。
○小柳勇君 ちょうど四十一年航空再編成、今度の新航空政策を見ますと、帝人事件というふうなものが過去にございまして、そういうものを連想するわけです。つぶれかかった会社をめんどう見ておいて今度うまくなったらわが道を行くというような、しかもそれは、日航がめんどう見てまいったでしょう。日航には国の財産が多数入っています。
○横路分科員 法務大臣、いま矯正局長そういう答弁をなさいましたけれども、あなたお考えになって一この問題は実はいまから三十七、八年くらい前に帝人事件という汚職事件があったときに、国会で大議論になっているのです。貴族院や衆議院のほうで大議論になって、こんな封建時代の遺物はすぐやめなさいということになっているのですね。それから延々といままで四十年間も行なわれてきているのです。
昭和九年に帝人事件というのが起きて、当時の大蔵省の銀行局長の大久保という人が収賄か何かで逮捕されて、市谷の刑務所に入れられた。そのときにやはり皮手錠をはめられて、そうして貴族院議員のほうでは岩田宙造さん、やはりこれは法曹会の大先輩、皆さん方の大先輩、法務大臣が小原直さん、その中でこういう議論をしているのです。