1967-12-26 第57回国会 衆議院 石炭対策特別委員会亜炭に関する小委員会 第2号
ですから、明らかにこれは重油規制法など解かれました関係もございまして、それらがすべて重油ボイラーにかわっていく、それと同時に昔の数字でございますと、これは名古屋付近の工場あたりが非常に亜炭をボイラーとして、工場並びにその付属施設でありますところの工員宿舎、そういったところで使っておりまして、その影響が非常にございます。
ですから、明らかにこれは重油規制法など解かれました関係もございまして、それらがすべて重油ボイラーにかわっていく、それと同時に昔の数字でございますと、これは名古屋付近の工場あたりが非常に亜炭をボイラーとして、工場並びにその付属施設でありますところの工員宿舎、そういったところで使っておりまして、その影響が非常にございます。
小企業の人たちは、個別で福利厚生施設を充実するというわけにいきませんので、これは共同給食あるいは共同の工員宿舎というふうに、協同組合等を中心にいたしまして福利厚生施設を充実させるという方針で指導いたしておりまして、今度御審議願いますところの中小企業振興事業団あるいは厚生年金の関係等によりまして、共同施設としての福利厚生施設の建設をしていくということも考えております。
そのはか、そういった借り上げました土地の上に建っておりました旧工員宿舎のようなものが、戦後の住宅事情のために市町村の公営住宅というようなものに利用されているものがございます。でございますので、お返ししようとしてもなかなか返せないという土地がございますけれども、全然利用していないというような土地につきましては、お話し合いがつき次第、すみやかにお返しするという措置をとっております。
ある工場の工員宿舎等は、一階でございましたが、それは全部水の底につかったような状況でございますから、御想像いただけると思いますが、大体は、この町は商人と勤労者の住んでいるところでございますが、店の物なども全部どろまみれに埋まっているような状況でございます。
で、御質問のありましたような建物は、大体旧軍時代に工員宿舎――主として工員宿舎として大量に、それから当時非常に大急ぎで急造したバラック建てのものだろうと存じますが、終戦後十年以上経過いたしまして、こういう建物がかなりありまして、その維持に非常に困惑しておるところでございますが、今まで予算の関係がありまして、なかなか国としての補修ができかねたのでございます。
会社などで工員宿舎などを作る場合におきましては、相当の刺激になるであろうということを期待しておるわけであります。
たとえば、今度見て来た札幌郊外豊平町、旭川、帯広近郊の音更あるいは函館における引揚寮の状況を見ますと、これらの大部分が明治三十四年に建築されたところの軍用建物の兵舎、うまや、倉庫あるいは戦時中のバラツクの工員宿舎が充てられておりまして、ここへ行つて来たとき、受田君などはほんとうに涙を流しておつたのでありますが、非常な惨状であります。
○専門員(森荘三郎君) 三百二十号は前回にもちよつと申上げました通り、国有財産の売渡代金の未納が数件ありまして、そのうちの一つに呉にあります海軍の航空廠の工員宿舎を大阪鉄鋼線工業株式会社に売渡したのであります。ところがこの会社がその代金を納めないものでありますから、当局はこれを解約しまして、ほかのほうへ売却したということであります。
そのうちの一つといたしまして、海軍の航空廠の工員宿舎を大阪の鉄鋼線工業株式会社に売却をした。ところが、その代金を納めないものでありまするから、政府ではこれを解約をしまして更に他のものにそれを売払つたのであります。
然るにもかかわらず引揚者住宅は非常にぼろな住宅におるので、これに対して優先入居の方途がないので不均衡ではないか、これに対して何か対策を持つておるかどうかという御質問だと考えますが、第一番に引揚者住宅の経緯を簡單に申上げますと、引揚者住宅は昭和二十二年度までは兵舎とか或いは工員宿舎等を臨時応急的に転用いたしまして、これに充当いたしておりましたのでありますが、これで造りました住宅が約七万世帶くらい入つております
○説明員(安福信雄君) 只今の、或いは私の説明が足りなかつたかと存じますが、兵舎とか、工員宿舎等に住んでおります者で非常に環境の惡いものは現に順次建直しておるのでございます。
それから売渡代金、これもたくさんここに並んでおりますが、この中で一番大きいのは裏に書いてあります三百二十号、大阪鉄鋼線工業株式会社に売りました元広島第十一海軍工廠、これの工員宿舎でありますが、九百十九万円、これが収納未済になつております。
実はこの施設について笠松に女子の收容所を設けて取りあえず暫定的に收容を開始するということで工員宿舎の曲つたようなところに五十名ほどの女子を收容したのであります。炊事場等は小屋のようなものを暫定的に充て、浴場についても本当にお湯が沸く程度の施設をし、職員の事務室とても殆んど既存の建物をそのまま使うという状況で開所したのであります。
二千八百五十五戸云々の問題は、これは新たにお帰りになつた人のための住宅ではございませんで、従来お帰りになつた人で、戦時中に臨時構築しました兵舎或いは臨時構築しました工員宿舎のように、一、二年建物としての存在をすればいいであろうというような建物を利用いたしまして取りあえず応急収容いたしました建物が、現在に至りましては腐朽破損が甚だしくて、破損倒壊に瀕しておるというような人々に対応する住宅でございますのでその
○政府委員(宮崎太一君) 私は引揚者のことだけについて藤原委員に申上げたいと思いますが、引揚者の住宅につきましては御承知のように応急住宅といたしまして、毎年多額の経費を出しまして、今年も五億の経費を以ちまして無縁故住宅を作つたわけでございますが、先ほどお話になりました集団住宅でございますが、集団住宅と申しますのは引揚が盛んでありました頃に、現在の建物とか、或いは会社の工員宿舎とか、或いは公共の建物とかを
○青柳委員 本請願の要旨は、「土浦住宅」は元霞ケ浦海軍第一航空倣工員宿舎で、現在は約七百帶、三千五百人の引揚者が居住している。しかし、もともと工員宿舎なので、一般家庭生活には適当でなく、とくに保健衛生あるいは火災防止方面の施設は極めて不備であるから、この建筑物を地方に無償で拂下げて、さらに改良補強工事を施行されたいというのであります。
現在利用されているもののうち、公的なものとしては、病院、引揚者寮、小学校、孤兒院等があり、このうち引揚者寮に使用している建物は、旧工廠の工員宿舎であつて、約三百棟、六百家族を収容し得るものである。現在はその約六〇%が使用されている。住宅料は月六十円くらいである。又産業方面のものとしては、国際陶器株式会社、日本製網株式会社川棚工場等がある。
次に横須賀市沼間に停車場設置の請願でございますが、この沼間は終戰後海軍工廠の工員宿舎を利用して戰災者、引揚者等が住んでおられ、その數も三千餘人に達しておりまして、かつほとんど京濱方面への通勤者である關係上、鐵道利用者が相當多いように承つておるのであります。
毎日新聞に報道せられてあります要点を申上げますと、廣島市基町営團住宅にありまする同胞援護会経営の引揚孤兒收容所は厚生省から設備不完全という理由でまたまた引越しを命ぜられ加茂郡仁方町元海軍工廠工員宿舎に移ることとなつたが、地元町民の猛烈な反対で立ち消えになつて、今移轉先が問題になつている。同收容所には現在二歳から十七歳までの九十名の孤兒が收容されている。