2021-02-22 第204回国会 衆議院 予算委員会 第15号
今お話ございました、私も昨日、常磐道の相馬インターチェンジから新地インターチェンジの間ののり面の崩落現場を視察してまいりましたが、改めて、こののり面対策、そしてあと、先ほどお話ありました砂防ダムの整備、これも、九十九か所の砂防ダムの結果、平成三十年の西日本豪雨災害ですとか昨年七月の豪雨災害でしっかりと効果が表れたということからも明らかだというふうに思っております。
今お話ございました、私も昨日、常磐道の相馬インターチェンジから新地インターチェンジの間ののり面の崩落現場を視察してまいりましたが、改めて、こののり面対策、そしてあと、先ほどお話ありました砂防ダムの整備、これも、九十九か所の砂防ダムの結果、平成三十年の西日本豪雨災害ですとか昨年七月の豪雨災害でしっかりと効果が表れたということからも明らかだというふうに思っております。
それから熊本地震、これは南阿蘇鉄道の土砂崩壊の現場であったり、阿蘇大橋の崩落現場であったり、熊本城も見てまいりました。 それから、北海道豪雨に関しましては、根室本線の橋梁を復旧している現場であったり、あとは、南富良野町の空知川の周りのジャガイモ畑が水につかっている現場等々も見てまいりました。
具体的には、例えば平成二十八年の熊本地震では、発災当初、人が立ち入ることが危険であった阿蘇大橋地区の土砂崩落現場における亀裂等の状況の把握、あるいは平成二十九年七月九州北部豪雨におきましては、大分県日田市における斜面崩壊による河道の閉塞の全貌の把握、あるいは福岡県朝倉市の赤谷川等におきまして、堆積しました土砂あるいは流木、流れてきた樹木でございますけれども、そういった状況の把握に活用しております。
初めに、南阿蘇村の阿蘇大橋崩落現場で長野南阿蘇村村長より被災の概要について、また国土交通省九州地方整備局より復旧作業の状況等について説明を聴取し、現地を視察しました。 阿蘇大橋は、昭和四十六年に供用が開始され、九州中央部を貫く国道五十七号と南阿蘇村を結ぶ交通の要所でありましたが、四月十六日の本震により発生した大規模な土砂災害により崩落しております。
まず国交省ですけれども、これは火山災害の現場ですとか土砂崩落現場などの上空の確認ということも含めておやりになられているというふうに思うんですけれども、現状での活用の状況ですとか配備の状況、今後の方針などはいかがでしょうか。
写真の崩落現場も、幅三十メートル、高さにして十メートルほどの大きな爪痕であります。 そこで、これは大臣が就任する前の話なんですが、環境省として、この岩手・宮城内陸地震の崩落事故については詳細調査候補地の選定手順の中に考慮していましたでしょうか。環境大臣に伺います。
きょう、ここに来る途中、笹子トンネルの崩落現場も、車中からでありますけれども視察しました。私どもは、昨年の一月に、この調査会として、現地におりて作業を見守ったりいろいろお聞きしたりして、視察をしたところであります。
だって、基地のフェンスだって危ないんですよ、崩落現場を放置していたら。ところが、米軍は、余り使っていない地域なものだから、人身に被害も与えないものだから、どうせ、日本政府がお金を出して移転するまで放置していてもいいやぐらいの気持ちなんですよ。恐らく、交渉に当たっている人はそうなんです。
次に、村内の中条橋の崩落現場を視察いたしましたところ、村道にかかる橋は、川の中央付近で二つに折れ、橋桁が川底に落下しておりました。 県の担当者から、昨年三月十二日に発生し、栄村が震度六強の揺れに見舞われた長野県北部地震で橋が損壊した上に、今冬三メートルを超える積雪があり、雪の重みが原因で橋が崩落した可能性があるとの説明がありました。
資料二につけてありますけれども、これは先ほどの崩落現場のさらに接近した写真でありますけれども、今回の土砂崩れで国道百六十九号線は橋梁ごとダムに水没をいたしました。そして、この道は、奈良県奈良市から川上村を通り和歌山県新宮市に至る一般国道であり、村にとっては命綱とも言える重要な道路です。
次に、霧島市国分重久地区の県道都城隼人線道路崩落現場を視察いたしました。 大雨の影響で道路が陥没し、あふれた水で立ち往生していた自動車四台ががけ下に転落しましたが、乗っていた人は消防隊員の迅速な判断により救助され、無事であったとのことでありました。 次に、南大隅町根占山本地区の船石川土石流現場を視察いたしました。
また、その崩落現場の道路を見ますと、非常に道路がでこぼこになっておりまして、アスファルトががたがたになっていた。話を聞きますと、水流で、それだけの力でアスファルトががたがたになったということで、相当ひどい勢いだったというふうに認識をしております。
崩落現場では、中日本道路株式会社や地元建設会社が夜を徹して、それこそお盆の真っ最中でありますので、仮復旧へ向け、懸命の作業をしておられた姿を見ました。そして、仮復旧の工法の途中変更もちゃんと記者会見をして、さすが会社組織にしたということで公団とは対応が違うなと思ったんですが、地震発生から四日後の八月十五日には、日本の大動脈である東名高速道路の通行どめを解除できた。
同部隊は、発生当日の六月十四日から二十一日までの間、現地で活動し、一関市でヘリコプターにより孤立者を救助したほか、土石流により旅館が倒壊した宮城県栗原市の駒ノ湯温泉や土砂崩落現場等で行方不明者の捜索等を実施するなど、困難な現場での活動を重点的に行い、地元岩手、宮城両県警察の災害警備活動に寄与したところでございます。
と同時に、この資料の三ページ目に妙見の大規模崩落現場という写真をつけておきました。上が崩落直後、下が昨年十一月。おかげさまで、この三月二十四日、ここも開通することになりました。ここは、皆川優太ちゃんがお母さんと一緒に車ごと土砂の下に巻き込まれ、皆川優太君が救出をされた現場です。
今回の崩落現場につきまして、復旧の時期、先生お尋ねの復旧の時期でございますけれども、現在、西日本高速道路株式会社におきまして、御遺族の方、被災者の方あるいはまた地域の地元の方々に対しまして、崩落原因の説明あるいは今後の対策工事の説明を誠心誠意行っているところでございまして、これらの方々及び地域の御理解が得られ次第、私どもとしては昼夜連続態勢で鋭意工事を進めて、できるだけ早期に山陽自動車道を復旧させたいというふうに
○榊政府参考人 お尋ねの中越地震でございますけれども、新聞等で派手に報道されましたが、長岡市妙見町の土砂崩落現場におきます、優太君でございましたか、男子救出に当たりまして、警視庁の警察犬のうち災害救助に従事する救助犬が投入されまして、救出活動に貢献したところでございます。
次に、長岡市妙見の土砂崩落現場を視察いたしました。 幼子が地震発生後四日目に救出された現場は、道路上に百四十メートルにわたって巨岩や大量の土砂が崩落するなど凄惨な状況にありましたが、早期復旧に向けて査定の申請を進めているとのことでありました。 次いで、川口町において、新潟県中越地震による新幹線橋梁及び国道十七号和南津トンネルの被災現場を視察いたしました。
それから、新潟空港を経まして長岡市それから小千谷まで行ってまいったわけでございますが、あの新幹線の脱線の現場も視察をいたしましたし、それから、小千谷市の横渡地区の大変大規模な土砂崩落現場も視察してまいりまして、本当に商店街が傷んでいる、そういうこともつぶさに拝見をいたしまして、今回の地震が本当に大変な震災であるということを痛感をした次第であります。
長官も視察に現地へ入られていたということなんですが、きのうから長岡の崩落現場で、私もずっとテレビを見ておりましたけれども、行方不明になっていたワゴン車の中から、皆川優太君が無事、九十二時間ぶりですか、元気な姿を見せたときは、本当に私もテレビに拍手をしました。しかし、残念ながらその後、貴子さんは死亡していたということをきのう病院の側は発表なさったわけですね。
これは、崩落現場の土砂を全部取り除くことができない、多分人命が巻き添えになっていることはないだろうということを推定しながら今別の対応をしておるわけでありますけれども、そういう意味では連続して悲惨な事故が続いたということであります。全国にそういう危険地帯は多いのでありますけれども、連続して起きた、三度目起きないという保証はないというのが地元の皆さんの脳裏には入っておるわけです。