2018-07-11 第196回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号
私の住んでいた郡山市は、福島第一原子力発電所からは六十キロメートルほど離れていますが、当時は同心円状に避難指示、屋内退避命令が広げられていき、徐々に放射能汚染地域が広がっていく恐怖におびえる毎日でした。それでも、国はより危険な地域から順次人を避難させてくれるものだと私は信じていました。
私の住んでいた郡山市は、福島第一原子力発電所からは六十キロメートルほど離れていますが、当時は同心円状に避難指示、屋内退避命令が広げられていき、徐々に放射能汚染地域が広がっていく恐怖におびえる毎日でした。それでも、国はより危険な地域から順次人を避難させてくれるものだと私は信じていました。
屋内退避命令が出ておるんですけれども、屋外には出るなと。しかし、水道水もない。避難命令は出ていませんけれども、どうしようかと。そして、いわき市へこの飯舘村のもう一つの施設は入所者を移送しました。バスで移送したものですから、どうですか、本当につらいつらい、亡くなりました、御存じのとおり。
ただ、今思えば、今回の事故の際の十キロ圏内への屋内退避命令は、総理大臣の陣頭指揮のもと、政治主導で速やかな対応がなされたことは評価に十分値する、そのような確信をして戻ってまいりました。 ところで、中曽根弘文大臣、御就任おめでとうございます。いや、御苦労さまでございます。