2019-06-04 第198回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第4号
科学技術予算というのは、本当に数兆円規模で非常に大きな予算なんですけれども、どう使いこなすかというのが、本当に精通している、現場のわかる国会議員がまず少ないと思うものですから、かつて、それこそ、小渕先生の御尊父であられる小渕恵三総理のときに、小渕内閣のときに、有馬朗人東大総長を文部大臣に登用するなんということをされて、そういう研究現場がわかった方を登用するということで大分改革も進んだんじゃないかと。
科学技術予算というのは、本当に数兆円規模で非常に大きな予算なんですけれども、どう使いこなすかというのが、本当に精通している、現場のわかる国会議員がまず少ないと思うものですから、かつて、それこそ、小渕先生の御尊父であられる小渕恵三総理のときに、小渕内閣のときに、有馬朗人東大総長を文部大臣に登用するなんということをされて、そういう研究現場がわかった方を登用するということで大分改革も進んだんじゃないかと。
これは実は情報の話とは別なんですけれども、私が小渕恵三総理の総理秘書官をしていた当時、警察の不祥事が発生し、あるいは発覚し、国会でも大議論となりました。結果、警察刷新会議というものができて、警察改革を行った。なぜこうなったんだろうかと思ったときに、やはり、組織として自己観察の能力とモラルを失ったのではないかというふうに思った次第であります。
ちょっと話がそれるんですけど、私が最初にお仕えした総理は小渕恵三総理大臣でありました。いつもおっしゃっていたのは、一番しんどいのは党首討論だと。本当に前の日は眠れないし、それだけもうすごい真剣勝負なんだなということを、まだ未熟な私は総理の漏らされた一言で重く受け止めていたところです。
時の総理、今は亡き小渕恵三総理の政治信条は、自民党から選ばれた内閣という意識は全くなく、国会から信任された内閣だから、野党側の意見を徹底的に聞き、妥協できるところは妥協するという姿勢で臨んでこられました。
小渕恵三総理は、事務方が大反対する中、当時、日本国内で八つの、サミットの首脳会談、候補地がありましたが、最も可能性が低いと言われていた沖縄をメーン会場に決定をしました。 鹿児島県出身の山中貞則先生は、初代沖縄開発庁長官、また唯一の名誉県民でもございます。梶山静六先生や、また先週御逝去されました野中広務先生や、沖縄振興に心血を注がれた多くの先生方は、今でも沖縄県民の心の中に残っております。
前回の質疑で、九一年の海部首相の在日韓国人問題に関するメッセージ、あるいは九五年の村山談話を経て、一九九八年の小渕恵三総理と金大中大統領との日韓共同宣言を御紹介をいたしました。
その後、この入管特例法が制定をされ、その後の一九九八年、小渕恵三総理と金大中大統領との間で「日韓共同宣言 二十一世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」という高らかな宣言が発せられています。
しかも、小渕恵三総理時代からの御友人であられれば、なおのことだと思いますよ。それはそう思いますよ。 ですから、私が代表でないからで済まされないということを申し上げているんです。政治家小渕優子さんを支えるための団体でしょう。そのために集まった仲間でしょう。監督責任は、これだけの資金のやりとりをしているんですから、やはり、政治家小渕優子大臣におありになるのは当然なんです。
時の今は亡き小渕恵三総理の政治信条は、自民党から選ばれた内閣という意識は全くなく、国会から信任された内閣だから、野党側の意見を徹底的に聞き、妥協できるところは妥協するという姿勢で臨んでこられました。もちろん、総理の信念の下に、私も独裁政治のようなことができるといった発想は持ったこともなく、反対されても議院内閣制は与野党の国政を運営することが基本だという思いで政治に関わってまいりました。
実は、この日韓関係について、私は平成十年に参議院議員になったんですが、その直後、小渕恵三総理大臣でございました。その年の十月に韓国の金大中大統領が来日しまして、小渕総理と金大中大統領との間で二十一世紀に向けた新たな日韓パートナーシップということの共同宣言を発しております。
これは、一九九八年の第百四十四国会において、ほかならぬあなたが当時の小渕恵三総理に対して行った質問であります。 日本外交がまさに八方ふさがりの様相を呈している今日、まさにこのことを菅総理にただしたいと思います。
平成十二年七月十九日、時の小渕恵三総理の肝いりで二千円札が発行されました。この紙幣は、沖縄県首里城の守礼の門が図柄に採用されておりまして、沖縄の振興と平和の発信、シンボルとして役立つものと期待していたわけでございますが、ことし一月現在、二千円札の発行高は二・四億枚、紙幣全体の構成比で二・三%と、普及、利用が伸び悩んでおります。
私は学生時代、亡くなった小渕恵三総理と同級生でございまして、親しい関係にございました。以後、森さんそして今の小泉さんと総理がかわられました。
まず外務省のようでありますが、このデルフォ・ゾルジの犯罪について、あるいは波元路伊という名前で日本に帰化をしているという件について、イタリアのノーベル文学賞受賞者のダリオ・フォという方、あるいはフォンターナ爆破事件遺族の会会長ルイジ・パッセラという方から、アピール文あるいは手紙というもの、要請文というふうなものが当時の小渕恵三総理大臣に出されたという事実があるようでありますが、それは確認をしていらっしゃるのでしょうか
その当時、民間企業の役員に名を連ねていたことは事実でありまして、そのことを当時の、今の総理大臣、小渕恵三総理には何ら話しておりません。それは非常に手落ちのあったことでございまして、本人も深く反省をしている、そういうふうに私は伺っております。
しかし、この一年、特に最近のあなたの政治行動を見るとき、これが私どもが知っているかつての、上州ではおぶっつあん、おぶっつあんと親しまれておりますが、小渕恵三総理の本当の姿なのか、一体どちらが小渕恵三総理の本質であるのか、私は大変疑問に思っております。
先ほどの自自の、自由民主党総裁小渕恵三総理と、そして我が党の小沢一郎党首との間での合意書の一番頭の部分をもう一度読ませていただきますと、 いま、日本は国家的危機の中にある。世界経済の先行き不安やアジアの経済の混迷を背景に、わが国経済の停滞と不況の深刻化は、戦後、最大の経済危機に至った。政治への不信、行政の肥大化、北東アジアの安全保障の不安など、緊急に解決しなければならない課題が山積している。
それで、この沿革を若干おさらいをしておきますれば、なぜこの時期になって、副大臣の導入、それから政務官の導入、政府委員制度の廃止ということになったかと申し上げれば、これはもう皆さんもよく御存じのように、昨年末、自由民主党総裁であり内閣総理大臣であられる小渕恵三総理大臣と、自由党の小沢一郎党首が、やはりこれからの日本をこのようにしていくんだ、そのために強固な政権をつくらなければならない、国家国民のために
自由民主党総裁は小渕恵三総理大臣なんですよ。三会派がこっちにあって、政府はここにあって、別なところで何かやりとりしているというようなことじゃないんですよね。だから、三会派が出てこないと総理自身が政府の最高責任者として言えないということについては極めて国民は奇異に感じますよ、これは。