2005-03-29 第162回国会 参議院 文教科学委員会 第5号
この主張の中心となった民政党の当時の幹事長は小泉又次郎議員でありまして、小泉現総理のおじい様でございます。 両党におきましてスタンスの違いはございますが、義務教育の全国的な機会均等の観点から両党とも教育費の財源保障を重視していたことが分かります。 昭和五年になりますと、浜口雄幸内閣が市町村義務教育費国庫負担法の改正を行いまして、教員給与を国庫負担にすることになりました。
この主張の中心となった民政党の当時の幹事長は小泉又次郎議員でありまして、小泉現総理のおじい様でございます。 両党におきましてスタンスの違いはございますが、義務教育の全国的な機会均等の観点から両党とも教育費の財源保障を重視していたことが分かります。 昭和五年になりますと、浜口雄幸内閣が市町村義務教育費国庫負担法の改正を行いまして、教員給与を国庫負担にすることになりました。
当時の政治家、その中には小泉又次郎内閣参事もおられるし、いろんな方がおられました。 私は、今回のイラク自衛隊派遣に対して、イラクの戦争が本当に大義名分があるのか。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 突然私の祖父の小泉又次郎の話が出ましたけれども、又次郎は私の祖父でありまして、戦前確かに衆議院議員、貴族院議員、両方経験しておりますし、確かに戦後公職追放されております。それは戦前に要職に就いていた人は追放されているんですね。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) よく昭和恐慌の時代と似ていると言う方がいますが、私の祖父の小泉又次郎が浜口内閣に入閣したのが昭和四年、金解禁をめぐっていわゆる世界恐慌に至った当時の逓信大臣をしていました。
実は、小泉総理のおじい様でいらっしゃった小泉又次郎氏が、自由民権運動の中で最も大切に思われた民、民の権利ということを、小泉首相もまた、今、新たに思い起こしていただきたいと思います。 そして、この場で、小泉総理の国民に対する過去、現在、未来の責任についてお尋ねさせていただきます。
たしかおじい様のお名前は小泉又次郎先生だと伺っております。第三十三代逓信大臣就任。就任されましたのは昭和四年七月二日。それより二年有半、昭和六年十二月十二日までお務めでありました。 なぜかようなお名前を御披露申し上げるか。この今いただきました簡保の書の中に、この大臣にありましたときに、昭和五年十二月、高齢の被保険者に対する保険料払い込み免除制度の実施。
デフレをやりながら片方はインフレをやらなければという、三井と組んでそうしてドル買いをやるというようなあの小泉又次郎なり安達謙蔵あたりの構想で日本が救えたか。私はこわい、本当に不気味なほどこわい。
小泉委員の御質問を伺っておりましてふっと思い出したのでありますけれども、一昔前ではありませんで、五昔前にあるいはもっと前に小泉又次郎という私の尊敬します衆議院議員がいらっしゃいました。たしか小泉委員はそのお孫さんかなと思って拝聴いたしておったのでありますが、いろいろ政治に対する国民の皆さんの御信頼を取り戻す、どうしても取り戻さなければいかぬ。
ここにおいて、君は、同党の幹部として中央政界に名をはせておられた小泉又次郎氏に認められ、親しくその薫陶を受けることになり、政治生活との深いつながりを持つに至ったのであります。 昭和五年、文字どおり苦学力行の末、大学を卒業されたあなたは、そのとき浜口内閣の逓信大臣となっておられた小泉又次郎氏の大臣秘書となり、政治家たるべき素地の練磨に励まれたのであります。
正副議長の党籍離脱の問題につきましては、大正十四年、当時の帝国議会の五十国会におきまして、当時の議長でありまする粕谷義三氏並びに副議長でありました小泉又次郎氏、いずれも大正十四年のことでありまするが、党籍離脱をして、公平無私の立場で院の運営を行なおうという、きわめて高潔な態度をもって党籍離脱をしたことを、私たちは忘れることができないのであります。
御承知のごとく、戦前の帝国議会においてすら、衆議院では、大正十四年、第五十回議会において、粕谷義三議長小泉又次郎副議長が最初に党籍を離脱して、名議長の名を歴史に残しています。自来、党籍離脱が普通のこととなっていました。当時の記録によりますと、「議長、副議長は、憲政治下における最も名誉ある、かつ権威ある地位である。同時に公平無私の態度でその職に当たらなければならない。
(拍手) すでに戦前の帝国議会においてすら、衆議院では、大正十四年、第五十回議会の粕谷義三議長、小泉又次郎副議長を最初の例として、以後正副議長は党籍を離脱することが普通となりました。議長、副議長は、憲政治下における最も名誉ある、かつ権威ある地位である。同時に公平無私の態度でその職に当らなければならない。
また、わが国におきましても、ただいま提案者から御説明のありましたように、旧憲法時代、大正十四年三月、第五十回帝国議会におきまして、衆議院議長粕谷義三氏、副議長小泉又次郎氏、この両氏が党籍を離脱いたしまして、それ以来、おおむね正副議長は党籍を離れる慣行が長く続いておりました。
政友会に籍は置いておりましたけれども、一たび議長に選ばれるや、副議長であった小泉又次郎氏と協議の上、党籍を離脱して、長年、議会の議長はかくのごときものであるという見本を、松野君は議員として見られておったはずであります。