運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

2005-03-29 第162回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

この主張の中心となった民政党の当時の幹事長小泉又次郎議員でありまして、小泉総理のおじい様でございます。  両党におきましてスタンスの違いはございますが、義務教育の全国的な機会均等の観点から両党とも教育費財源保障を重視していたことが分かります。  昭和五年になりますと、浜口雄幸内閣市町村義務教育費国庫負担法の改正を行いまして、教員給与国庫負担にすることになりました。

鳥居泰彦

1993-06-01 第126回国会 参議院 逓信委員会 第12号

たしかおじい様のお名前小泉又次郎先生だと伺っております。第三十三代逓信大臣就任。就任されましたのは昭和四年七月二日。それより二年有半、昭和六年十二月十二日までお務めでありました。  なぜかようなお名前を御披露申し上げるか。この今いただきました簡保の書の中に、この大臣にありましたときに、昭和五年十二月、高齢の被保険者に対する保険料払い込み免除制度の実施。

常松克安

1980-10-29 第93回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第2号

小泉委員の御質問を伺っておりましてふっと思い出したのでありますけれども、一昔前ではありませんで、五昔前にあるいはもっと前に小泉又次郎という私の尊敬します衆議院議員がいらっしゃいました。たしか小泉委員はそのお孫さんかなと思って拝聴いたしておったのでありますが、いろいろ政治に対する国民の皆さんの御信頼を取り戻す、どうしても取り戻さなければいかぬ。

石破二朗

1969-11-29 第62回国会 衆議院 本会議 第1号

ここにおいて、君は、同党の幹部として中央政界に名をはせておられた小泉又次郎氏に認められ、親しくその薫陶を受けることになり、政治生活との深いつながりを持つに至ったのであります。  昭和五年、文字どおり苦学力行の末、大学を卒業されたあなたは、そのとき浜口内閣逓信大臣となっておられた小泉又次郎氏の大臣秘書となり、政治家たるべき素地の練磨に励まれたのであります。  

中嶋英夫

1965-12-09 第50回国会 参議院 本会議 第12号

正副議長党籍離脱の問題につきましては、大正十四年、当時の帝国議会の五十国会におきまして、当時の議長でありまする粕谷義三氏並びに副議長でありました小泉又次郎氏、いずれも大正十四年のことでありまするが、党籍離脱をして、公平無私の立場で院の運営を行なおうという、きわめて高潔な態度をもって党籍離脱をしたことを、私たちは忘れることができないのであります。

久保等

1965-07-30 第49回国会 参議院 本会議 第2号

御承知のごとく、戦前帝国議会においてすら、衆議院では、大正十四年、第五十回議会において、粕谷義三議長小泉又次郎議長最初党籍を離脱して、名議長の名を歴史に残しています。自来、党籍離脱が普通のこととなっていました。当時の記録によりますと、「議長、副議長は、憲政治下における最も名誉ある、かつ権威ある地位である。同時に公平無私態度でその職に当たらなければならない。

佐多忠隆

1959-06-23 第32回国会 参議院 本会議 第2号

(拍手)  すでに戦前帝国議会においてすら、衆議院では、大正十四年、第五十回議会粕谷義三議長小泉又次郎議長最初の例として、以後正副議長党籍を離脱することが普通となりました。議長、副議長は、憲政治下における最も名誉ある、かつ権威ある地位である。同時に公平無私態度でその職に当らなければならない。

佐多忠隆

  • 1