1984-07-13 第101回国会 衆議院 大蔵委員会 第34号
○堀委員 実は、昭和四十六年十二月十四日、大蔵委員会に今の平山疫学部長さんと財団法人癌研究会研究所実験病理部長の高山昭三さん、財団法人癌研究会研究所長吉田富三さん、人間科学研究所長の宮城さんに参考人として来ていただきまして、私が質問させていただきました。
○堀委員 実は、昭和四十六年十二月十四日、大蔵委員会に今の平山疫学部長さんと財団法人癌研究会研究所実験病理部長の高山昭三さん、財団法人癌研究会研究所長吉田富三さん、人間科学研究所長の宮城さんに参考人として来ていただきまして、私が質問させていただきました。
それから石田富三というのがおりますが、これは大阪におりまして、大阪の支社の元次長をいたしておりましたが、これは大阪の災害対策としてできます電話局の建設に対しまして非常に経験を持っておりまするので、私どもやめた後からも参与として現在その仕事を助けてもらっておるわけでございます。
○政府委員(長屋茂君) 科学技術会議議員吉田富三君は、昨年四月二十七日死去し、また、兼重寛九郎及び藤井隆の両君は四月五日任期満了となりましたが、藤井隆君を再任し、吉田、兼重両君の後任として米澤滋及び吉識雅夫の両君を新たに任命いたしたく、科学技術会議設置法第七条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため本件を提出いたしました。
考 人 (日本建設業団 体連合会専務理 事) 渋江 操一君 参 考 人 (全国中小建設 業協会理事) 島田 善雄君 参 考 人 (全国建設労働 組合総連合会合 理化技術対策部 長) 谷内 富三君
それから、御意見開陳の順序は、渋江操一参考人、島田善雄参考人、谷内富三参考人、三富榮司参考人、鈴木安丸参考人、下田謙治参考人、橋本政雄参考人、奥山二郎参考人の順序でお願いいたします。 それでは、まず渋江参考人にお願いいたします。
本件審査のため、本日、参考人として日本建設業団体連合会専務理事渋江操一君、全国中小建設業協会理事島田善雄君、全国建設労働組合総連合会合理化技術対策部長谷内富三君、日本管工事工業協会会長山本秀夫君、同協会管工事資材対策委員長三富榮司君、塩化ビニール工業協会理事鈴木安丸君、塩化ビニル管・継手協会会長下田謙治君、同協会専務理事渡辺藤四郎君、全国管工機材商業連合会副会長橋本政雄君、同連合会理事奥山二郎君の御出席
佐々木研究所、これは吉田富三所長、ガン細胞を使った細胞遺伝学、染色体の研究。こんなふうに言ったほうがわかりやすいのです。それから東京医科歯科大学、これは加納六郎教授、医動物学。研究項目は、衛生上有害なハエ類の研究。こう言ったほうがわかりやすいのです。それから横浜市立大学、これは医学部の吉野亀三郎教授、細菌学。研究項目はウイルス病の診断。これもこう言ったほうがわかりやすいのです。
○長澤政府委員 科学技術会議のメンバーには、御承知のとおり吉田富三先生であるとか、あるいは藤井隆先生であるとか、あるいは黒川眞武先生というような常任の学識経験者がございますが、いずれもライフサイエンスであるとか、ガンであるとか、あるいは公害であるとかの御専門家でございます。
首都圏整備委員会委員に本多丕道君を、 公安審査委員会委員長に大場茂行君、同委員に我妻源二郎君、大野勝巳君、櫻田武君、谷野せり君を、 電波監理審議会委員に阪本摘房君、八藤東禧君を、 日本電信電話公社経営委員会委員に武田満作君、土井正治君を、 労働保険審査会委員に伊集院兼和君を任命したことについて、それぞれ本院の承認または同意を、 また、科学技術会議議員に芦原義重君、黒川眞武君、藤井隆君、吉田富三君
————————————— 続きまして、科学技術会議議員杉野目晴貞君は、四月十四日死去し、また、土光敏夫、篠原登及び加藤辨三郎の三君は、十月二十九日任期満了となりますが、杉野目君の後任として藤井隆君を、土光、篠原、加藤の三君の後任として芦原義重、黒川眞武及び吉田富三の三君を、それぞれ任命いたしたく、科学技術会議設置法第七条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため、本件を提出いたしました。
次に、科学技術会議議員に吉田富三君を、中央更生保護審査会委員に三宅富士郎君及び吉田次郎君を、社会保険審査会委員に小西宏君を、労働保険審査会委員に柳澤三男君を、それぞれ任命するにつき同意を与え、原子力委員会委員に山田太三郎君を任命したことにつき承認を与えることに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
また、内閣から、科学技術会議議員に芦原義重君、黒川眞武君、藤井隆君及び吉田富三君を、運輸審議会委員に津田實君を、中央更生保護審査会委員に三宅富士郎君及び吉田次郎君を、社会保険審査会委員に小西宏君及び畠中順一君を、労働保険審査会委員に柳澤三男君を任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
ちょっと御紹介いたしますと、特別委員は前の東大の病院長上田英雄先生、それから臨床家でありかつまたラジオ、テレビのドクターとして有名な近藤宏二先生、それから国立公衆衛生院長曽田長宗先生、それから心理学者の、かつ精神医学者の宮城音弥先生、それから癌研究所長の吉田富三先生、この五人の方の総合的な御意見でございます。
対ガン科学に関する問題調査のため、本日、参考人として財団法人ガン研究会ガン研究所長吉田富三君及び東京大学教授太田邦夫君に御出席を願っております。 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席くださいまして、ありがとうございます。
力局次長 倉本 昌昭君 文部省大学学術 局研究助成課長 手塚 晃君 国立がんセン ター研究所長 中原 和郎君 参 考 人 (東京大学教授)太田 邦夫君 参 考 人 (財団法人ガン 研究会ガン研究 所所長) 吉田 富三君
○渡部委員長 参考人のうち、財団法人ガン研究会ガン研究所長吉田富三さんは、先ほどから三時半に退席したいというお申し出がございまして、退席なさいます。よろしゅうございますね。 吉田参考人には、たいへん長時間にわたり御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げたいと思います。
北島 武雄君 参 考 人 (国立がんセン ター研究所疫学 部長) 平山 雄君 参 考 人 (財団法人癌研 究会研究所実験 病理部長) 高山 昭三君 参 考 人 (財団法人癌研 究会研究所長) 吉田 富三君
本日御出席の参考人は、国立がんセンター研究所疫学部長平山雄君、財団法人癌研究会研究所実験病理部長高山昭三君、財団法人癌研究会研究所長吉田富三君及び人間科学研究所長宮城音弥君の各位であります。 参考人各位には、御多用のところ御出席いただき、まことにありがとうございます。喫煙と健康の問題について、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
ガン研究所の吉田富三先生、元東大病院長の上田英雄先生、それから心理学者の宮城音弥先生、それから臨床家でありかつ評論家である近藤宏二先生、それと国立公衆衛生院長の曽田長宗先生、この五人の先生に特別委員をお願いいたしまして、五人の先生がさらに御検討になり、また委員会におきましても参考人として各界の大家、医学の大家並びに、何といいますか、一応世論を代表すると思われる方々の懇談会なども開きまして、その結果、
○説明員(有本富三君) 具体的に商品の評価等についてどういう調査ができ上がっておるかということにつきましては、私残念ながら、いま具体的には覚えておりません。
○説明員(有本富三君) ただいまの先生の御意見、全く私同感でございます。私自身もそういう気持ちに常になっておる次第でございます。ただ場所によってなかなか部品とかサービスとかという面で困難があるというふうに聞いておりますが、これも一昔前に比べますと、相当日本の車が在外公館あるいはその他の出先機関で使われるようになっておることも事実でございます。
○説明員(有本富三君) ただいま申し上げましたように、具体的なものにつきましては私ちょっといまど忘れいたしまして記憶がございませんが、大体海外の調査機関を通じていろいろな問題の調査をさしておるわけであります。
また第九点、杏雲堂病院のもとの院長でありました佐々木隆興博士、彼はガン研の吉田富三博士の師匠格であります。昭和二十八年、日本内科学会で、医学には縦の両面がある、東洋医学と西洋医学である、この長短を取捨し、よりよい治療をせなければならぬと言っております。佐々木博士は、その後文化勲章を受けたことも御承知のとおりであります。
ところが、せんだってこの五月十八日の朝日新聞、例のアメリカ軍からの研究費をもらった云々というあの記事のしまいのほうに、佐々木研究所の所長の吉田富三博士ですね、吉田博士のことばとして、「日本のガン研究がこれまで伸びたのは大半はアメリカの援助資金による」、こういうことを吉田博士が語られたということがあるのですね。まあこれは間違いじゃないだろうと思うのです。特にカッコしてある。
委員長 三池 信君 理事 原田 憲君 理事 藤井 勝志君 理事 坊 秀男君 理事 山中 貞則君 理事 吉田 重延君 理事 平林 剛君 理事 堀 昌雄君 理事 武藤 山治君 伊東 正義君 岩動 道行君 臼井 莊一君 大泉 寛三君 奥野 誠亮君 押谷 富三君 鴨田 宗一君 木村 剛輔君
良方君 栗山 礼行君 加藤 進君 ――――――――――――――――――――― 昭和四十一年十二月十九日(月曜日) 午後二時三十一分開議 出席委員 委員長 天野 公義君 理事 小平 久雄君 理事 河本 敏夫君 理事 櫻内 義雄君 稻村左近四郎君 臼井 莊一君 内田 常雄君 大泉 寛三君 大竹 太郎君 押谷 富三君
昭和四十一年十一月八日(火曜日) 午前十時四十六分開議 出席委員 委員長 三池 信君 理事 原田 憲君 理事 藤井 勝志君 理事 坊 秀男君 理事 山中 貞則君 理事 吉田 重延君 理事 平林 剛君 理事 堀 昌雄君 理事 武藤 山治君 伊東 正義君 臼井 莊一君 大泉 寛三君 奥野 誠亮君 押谷 富三君
昭和四十一年十月十九日(水曜日) 午前十一時二十五分開議 出席委員 委員長 吉川 久衛君 理事 押谷 富三君 理事 濱地 文平君 理事 勝澤 芳雄君 理事 田原 春次君 理事 山田 長司君 原 健三郎君 安宅 常彦君 神近 市子君 中村 重光君 楢崎弥之助君 長谷川 保君 畑 和君 華山 親義君