1998-03-12 第142回国会 参議院 国民福祉委員会 第3号
家族中心主義、さらには企業という職場にある種の家族主義を求めてきたのではないかな。 この家制度が崩壊し、今日に至るまでの家族の担ってきた役割、そして社会の連帯ということについて、地域、企業が果たしてきた役割についても一言伺ってみたいと思います。
家族中心主義、さらには企業という職場にある種の家族主義を求めてきたのではないかな。 この家制度が崩壊し、今日に至るまでの家族の担ってきた役割、そして社会の連帯ということについて、地域、企業が果たしてきた役割についても一言伺ってみたいと思います。
医療における家族中心主義は危険ですらあります。家族性善説に立つのは危険です。世の中を見れば、家族内のトラブルがどれほど人間を苦しめているかわかるでしょう。脳死者本人と関係の悪い家族が、何らかの利益を引き出したくて臓器提供を承諾することだって考えられるのです。
ホームヘルパーが少ないとか、預かってくれるところが少ないとか、外国と比べて家族中心主義になっている日本の現状から考えるならば、そこまで考えて当たり前と違うかな。私はそう思うので、これはあえて意見だけ言っておきます、今すぐここをどうということはありませんから。 それから次に、昨年の九月から実施されている国家公務員の介護休暇制度では、これは今度の法律とちょっと違うんだよね。
服装のごときも、今日から考えますれば、そういうことがよかつたか悪かつたかは別問題でありますが、海軍士官のごときかつこうをさせるほど、紀律中心主義によつて日本の国鉄というものの発展を強く促して参り、その次に相当期間を経ましたあとに床次竹二郎総裁が出て参りまして、大家族中心主義というものを唱えて、この旗じるしのもとに鉄道というものの非常に大きい発展を試みた。
從つてその家に屬するというか、父母に屬するという建前から、家族中心主義の何らかの方法で、今までの家族制度という言葉はいずれにいたしましても、そういつたような意味のものをこしらえることが、私は日本將來のためのみならず、將來國家がいろいろな建設をいたしますのにも、これが基礎となつていくのではないかと考えます。