2015-05-15 第189回国会 参議院 本会議 第17号
家出息子がやっと顔向けできた感じでありました。 与野党逆転、ねじれの委員会でしたが、東日本大震災発生時の平成二十三年予算委員会においては、国家の危機に対処するため、与野党理事の協力の下、財務大臣のみの出席など柔軟な委員会運営をしてくださいました。そして、二十六回に及ぶ委員会を開催し、国難に対する予算委員会の責任を果たしていただきました。
家出息子がやっと顔向けできた感じでありました。 与野党逆転、ねじれの委員会でしたが、東日本大震災発生時の平成二十三年予算委員会においては、国家の危機に対処するため、与野党理事の協力の下、財務大臣のみの出席など柔軟な委員会運営をしてくださいました。そして、二十六回に及ぶ委員会を開催し、国難に対する予算委員会の責任を果たしていただきました。
家出息子みたいなもんですよね。そうすると、一番迷惑をかけたのはその飛行機を操縦してきた人間なんであって、ソビエト政府のこれが意思ではないんだというふうに考えられるわけですから、そうすると、その飛行機はそのまま持っていってくれとか、あるいは返すから引き取りに来てくれとかいうことで、飛行機はそのまま返してやるということが穏当な方法じゃなかったのかという気がする。
東京は、私たち地方学生にとってあこがれの都会でありますが、これは単に家出息子や家出娘が都会にあこがれるものではなくて、私たち若い者の全体が、都会にあこがれているのが現状であります。しかるに現状は住宅等の絶対数の不足から来る高い生活費を必要としまして、決して楽ではない。