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22件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2016-11-25 第192回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号

恐らくそういう定義が普通に普及されるべきなんでしょうけれども、実は、教育学という学問世界では、教育政策というのは非常に有名な定義がございまして、宗像誠也という人の定義で、教育政策とは権力に支持された教育理念という定義をほとんどの教育学研究者が引用するという、教育学世界ではこれがクラシックな定義として定着をしている。  

大串正樹

1998-02-19 第142回国会 衆議院 本会議 第14号

宗像誠也さんという教育学者は、教育とは人間尊厳を確立する過程という言葉を残しています。  多くの子供たち家庭にも学校にも居場所を見つけられなくなっているのは、効率や競争原理を最優先しようという政治や経済や社会運営のありように、根本原因が潜んでいるからではありませんか。それぞれの家庭社会の真っただ中にあり、社会全体のひずみや不安定はすぐに忍び込んでくるのです。

土井たか子

1997-06-06 第140回国会 衆議院 予算委員会 第26号

○濱田(健)委員 宗像誠也という教育学者が「教育とは人間尊厳を確立するプロセス」という言葉を残していますが、大変失礼な言い方かもしれませんけれども岡光さんが小学校から大学までの学校教育の中で、今のあなたという人間を形づくるために一番ためになったということはどういうところでしょうか。

濱田健一

1996-02-23 第136回国会 衆議院 文教委員会 第3号

かつて宗像誠也という学者が、教育というのは人間尊厳を確立するプロセスだというふうな言葉を残しているわけでございますが、このいじめの問題は、その一人一人の子供の存在する尊厳というものを打ち崩すような課題でございます。ぜひ、今の大臣決意を一歩でも前進できるように私たちも努力をしてまいりたいというふうに決意を申し上げたいと思います。  

濱田健一

1993-11-19 第128回国会 衆議院 文教委員会 第1号

二点目ですけれども子供たちによりよく育ってほしいというふうに願っているのは私たちすべての大人なのですけれどもいじめ登校拒否、不登校というものが、数の増減はあるにしましても陰湿な形でやはりふえ続けている、残っていく、なかなか一掃できないという状況の中で、宗像誠也という学者教育とは人間尊厳を確立していく過程であるという言葉を残しております。  

濱田健一

1993-04-21 第126回国会 衆議院 文教委員会 第6号

これは宗像誠也さんがかつて、日本教育をゆがめるものに三つある、一つ教科書検定一つ勤評一つ学テだ、こう言ったことがありますけれども、大分前のことでありますが、しかし私はこの言葉をやはり一つの至言として聞くべきだと思っております。  きょう吉田正雄議員が時間をかけまして、しかも綿密に資料に基づいて質問をされました。

山原健二郎

1975-06-26 第75回国会 参議院 文教委員会 第17号

ですから、具体的な人の名前を挙げて失礼ですが、その当時、いまは亡くなられた東大教授をやっておった宗像誠也さんであるとか、今度はいま、ことしですか、神奈川の知事になった長洲一二さんとかいうような方々が、やはり社会科教科書執筆に当たっておりましたが、昭和二十八、九年から三十年、そのころから後には、そういう人が執筆陣からだんだんおりていったと言うか、おろされていったと言いますか、そういう事実が出てきております

槇枝元文

1964-02-28 第46回国会 衆議院 文教委員会 第7号

それからあと四分ありますから簡単に一つ聞いておきたいと思うのですが、東京新聞の一月九日と十日の夕刊に「教育、その課題」として、私はこの方面はしろうとでありますが、その方面日本権威者であります宗像誠也という東大教授が、勤評実施以来の日本教育は非常に危機に瀕しておる、こういうことを二日間にわたって連載をされております。

楯兼次郎

1963-03-07 第43回国会 参議院 文教委員会 第8号

特に私からお尋ねいたしたいのは、この講演において、日教組倫理綱領を書いた人の名前が十五名書いてある、こう大臣は言われて、宗像誠也、宮原誠一柳田謙十郎中島健藏上原専禄羽仁説子、十五名ですからあと九名おりますが、あとは忘れたと、特に覚えておかなければならぬほどりっぱな学者でないように思うからと、こういうお話でございましたが、私はその際特に覚えておかなければならないような学者でないという人たち

小林武

1963-03-07 第43回国会 参議院 文教委員会 第8号

あなたが荒木萬壽夫として個人で、造次顛沛、胸の中に反論の構想を練っていたり、あるいは奥さんに向って、ぶつぶつ、宗像誠也はけしからぬやつだと言うのと全く違って、文部大臣として公開の席上で批判をなさるということは、国家権力発動というか、発動というと戦前のような忌まわしいニュアンスがつきまとうのですけれども、学閥的に言えば作用の一態様である。

豊瀬禎一

1962-08-21 第41回国会 衆議院 予算委員会 第2号

東大宗像誠也、宮原誠一、一橋大の上原専禄、それから羽仁説子評論家中島健蔵務台理作、こういう人人の名前をあげて、これらの諸君は日教組から高い謝礼をもらって倫理綱領解説を書いた。心にもない解説を書いたのではなかろうかと演説をしておるのであります。この人たち大学教授社会的地位もあれば、相当見識を持った人々です。

野原覺

1958-09-05 第29回国会 衆議院 地方行政委員会 第11号

この言説をなした者は、東大教授教育学宗像誠也という人物であります。この上原専禄なる教授は、たしか商大かどっかの教授であります。これが日教組国民教育研究所運営委員長でございまして、宗像誠也なる人物は、その下で運営委員長をいたしております。ここに運営委員が六名おりまして、その大部分、ほとんど全部が大学教授でございます。

加藤精三

1958-06-24 第29回国会 参議院 文教委員会 第3号

宗像誠也氏が学問的に教育学立場から、評定はもう完成したものがないというお話でございましたが、現在の教育学の程度からいたしまして、あるいはそうかとも思うのでありますけれどもしかしながら、日々の教師教育活動におきまして、またそれをまとめまして学校長学校運営しております際に当りまして、さようなものがまだ完成しないからといって、学校教育がその面におきまして何ら触れていなかったならば、私は教育の内容

木下一雄

1955-10-04 第22回国会 衆議院 文教委員協議会 第1号

まず四つ偏向タイプのものをここに取り上げておるのでありまするが、あるいは宮原誠一氏の編にかかる「一般社会」であるとか、あるいは宗像誠也氏の編にかかる中学校の「社会のしくみ」であるとか、こうして四つ教科書が事例として取り上げられて、数多くの編著者がその中に具体的に、その個人価値評価まで書かれておるのであります。

辻原弘市

1955-07-29 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号

それから宗像誠也さん、この人は教育出版役員であります。その他ありますが、私のもとに参っております資料講師団方々は、このように各出版会社の顧問なり役員なりをいたしておるのでありますけれども、こういう点は、御調査なさっての上でお選びなさったのでありますか、それとも、こういうことは知らないで講師団としてお迎えしたのかどうか、承わりたいと思います。

佐々木秀世

1955-07-29 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号

佐藤証人 その第一でありますが、この評価基準を作成する場合に諮問申し上げました講師方々でございますが、これは、先ほども申し上げましたように、全国研究集会の場合に教科書問題の部門を担当されました講師方々、つまり東京大学教授宗像誠也氏を中心とするところの岡津守彦氏、それから同じく東京大学教授をやっておりますところの勝田守一氏、それから教育大学梅根悟氏、同じく教育大学馬場四郎氏、それから和光学園

佐藤幸一郎

1955-07-25 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第15号

それから、社会科に、宗像誠也、渡辺操金沢嘉市、塩野谷敏夫北海道社会科教育連盟、——これじゃ、団体著者なんです。文部省団体著者と認めるわけはない。これが著者の中に入ってくると、この契約はばけもの契約であって、実は金をやっているのだと私どもは推察するのですが、これは私ども一個の独断ではなくて、少くとも常識ある者をしてこの契約を判断せしめるならば、契約書というものじゃないのです。

松岡松平

1955-07-08 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第10号

われてくるようになった原因一つとして、日教組講師団人々がこの教科書編集に参加しておる、あるいはその編集において相当強力な立場を持っておる、こういうことを一因としてあげられたのでありますが、これもやはり同じ本によりますと、主として日教組講師団日教組立場から考えて社会科の編成に重点を置いておる、ういうふうに書いてありまして、「宮原誠一Z社高等学校社会科G社中学校勝田守一O社宗像誠也

山中貞則

1954-03-03 第19回国会 衆議院 文部委員会 第12号

東大宗像誠也教授は、純粋な動機から出発した研究結論がたまたまある政党の政策に近いようなものになつたとしても、それが政治的偏向ということにたるならば教育研究は上つたりだ、こう言つておりますが、これはまつたくその通りであります。大学においてはそうでございましよう。学問というものは結論を予想して探究しては生れて来たいものでございますから、大学においてはそうでございましよう。

伊藤郷一

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