2007-02-28 第166回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号
そういう中で、二〇〇六年に都市問題研究というところが出した冊子に、元の赤池町財政課長さんの安武憲明さんという方が、「はじめに」という形で、こういうことをおっしゃっているんですね。「午前中の農作業を終え昼食をとったあと、うとうとしていると北海道新聞社からの電話、「夕張市が再建団体の申請を検討していることは知っていますか」とのこと。
そういう中で、二〇〇六年に都市問題研究というところが出した冊子に、元の赤池町財政課長さんの安武憲明さんという方が、「はじめに」という形で、こういうことをおっしゃっているんですね。「午前中の農作業を終え昼食をとったあと、うとうとしていると北海道新聞社からの電話、「夕張市が再建団体の申請を検討していることは知っていますか」とのこと。
○上田耕一郎君 はっきり答えないので言いますと、昭和六十年四月二十三日、社労委員会で、共産党の安武洋子議員の質問に対し、厚生省は「二五%ぐらい」こう答えている。しかし、もう既に二八%なんですよ。それで、今二十万で二八%なんだから、四十万近くなってごらんなさい、必ず四割になりますよ。しかも、安武さんの質問に対して、当時の吉原健二年金局長は、今の次官です、こう言っている。
この点につきましては、太子工場の汚染が問題になったときに、これは一九八四年四月十六日の参議院決算委員会で我が党の安武洋子議員が汚染の解明、企業責任の明確化、トリクロロエチレンなどの排出規制を要求いたしました。当時、佐竹さんですが、水質保全局長が答弁いたしました。
これを共産党の安武さんが質問した。一億何がしかしかない東京興産、その社長はあなたの山王経済研究会の幹部どころですけれども、この人がやっている東京興産、ほかのところは全部大手なのに、そこをわざわざ入れて、それを質問されて、野島という人をあなた知っていますかと聞かれて、あなたは何と答えたか。野島さんはよう知っている、この人は東大を出てデベロッパーをやっておる、非常に見識のある、権威のある方だ。
この問題は、最初に参議院の内閣委員会で我が党の安武議員が質問をいたしまして、防衛庁はこれは統一見解でないとか地位協定の解釈が誤りだ、解釈が誤りだったら、地位協定を実質上変えるようなことを今でもどんどんやっているのですから、地位協定を変えればピンクニーの言うとおりになっていくのですから、地位協定の解釈などというのは問題にならない。
次に、米軍のための有事法制の問題についてお伺いしたいと思いますが、日本の有事ではなくて極東有事の際に、自衛隊の米軍への役務の提供について、この問題については一九八一年の七月二十八日の参議院の内閣委員会で我が党の安武議員の質問に答えて当時の塩田防衛局長は、自衛隊関係法上できないと、こういうふうに答えておられますけれども、この見解は今も変わりないんでしょうか。
○諫山博君 昭和六十年九月十九日の参議院の決算委員会において、共産党の安武洋子議員が中曽根総理の関係した東京興産の違法な政治献金問題について取り上げております。警察の説明は「今後事実関係を把握した上で、適切に私どもとしては対処いたしたいと思っております。」となっていますが、この事件はどうなりましたか。
昭和六十一年五月二十一日(水曜日) 午後一時二十二分開会 ————————————— 委員の異動 五月八日 辞任 補欠選任 山田 勇君 田渕 哲也君 五月九日 辞任 補欠選任 海江田鶴造君 福田 宏一君 上野 雄文君 青木 薪次君 近藤 忠孝君 安武 洋子君
去る九日、近藤忠孝君、上野雄文君及び海江田鶴造君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君、青木薪次君及び福田宏一君が選任されました。 また、十三日、工藤万秒美君が委員を辞任され、その補欠として山崎竜男君が選任されました。 また、十四日、山崎竜男君が委員を辞任され、その補欠として名尾良孝君が選任されました。
牧君 上野 雄文君 五月七日 辞任 補欠選任 吉川 博君 沖 外夫君 上野 雄文君 村沢 牧君 栗林 卓司君 伊藤 郁男君 五月八日 辞任 補欠選任 宮島 滉君 大木 浩君 村沢 牧君 瀬谷 英行君 近藤 忠孝君 安武
午後一時開会 ————————————— 委員の異動 四月二十四日 辞任 補欠選任 浜本 万三君 青木 薪次君 四月二十五日 辞任 補欠選任 浦田 勝君 鈴木 省吾君 竹山 裕君 福田 宏一君 出口 廣光君 井上 吉夫君 橋本 敦君 安武
また、四月二十五日、橋本敦君、浦田勝君、竹山裕君及び出口廣光君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君、鈴木省吾君、福田宏一君及び井上吉夫君が選任されました。 また、四月二十六日、鈴木省吾君が委員を辞任され、その補欠として安孫子藤吉君が選任されました。 また、本日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として近藤忠孝君が選任されました。 —————————————
昭和六十一年五月八日(木曜日) 午前十時開会 ————————————— 委員の異動 四月二十四日 辞任 補欠選任 橋本 敦君 安武 洋子君 四月二十五日 辞任 補欠選任 水谷 力君 藤田 正明君 久保田真苗君 安永 英雄君 安武 洋子君 橋本 敦君
異動 四月二十三日 辞任 補欠選任 添田増太郎君 井上 吉夫君 安孫子藤吉君 鈴木 省吾君 青木 薪次君 浜本 万三君 四月二十四日 辞任 補欠選任 井上 吉夫君 出口 廣光君 鈴木 省吾君 浦田 勝君 福田 宏一君 竹山 裕君 安武
○安武洋子君 じゃ最後に、今おっしゃった趣旨で地元との話し合いがつくまではこういうものに対しては私は認可をしないという毅然たる態度で臨んでいただきたい、そのことをお願いいたしまして私の質問を終わります。
○安武洋子君 競馬会の意向だけをお聞きになっておられて、駅ビルというのがもう場外馬券場として強行的に着工をされているということは御存じはないと、こういうことでございますか。
○安武洋子君 そんなことない。それは地図が間違っている。
○安武洋子君 抜本的な対策というのは、どういうことですか。
○安武洋子君 それをやったんです。
昭和六十一年四月十四日(月曜日) 午前十時二分開会 ————————————— 委員の異動 四月七日 辞任 補欠選任 市川 正一君 安武 洋子君 四月十一日 辞任 補欠選任 八百板 正君 佐藤 三吾君 四月十二日 辞任 補欠選任 安武 洋子君 下田
去る四月七日、市川正一君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君が選任されました。 また、四月十一日、八百板正君が委員を辞任され、その補欠として佐藤三吾君が選任されました。 また、四月十二日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として下田京子君が選任されました。 —————————————
昭和六十一年四月七日(月曜日) 午前十時一分開会 ————————————— 委員の異動 三月七日 辞任 補欠選任 橋本 敦君 上田耕一郎君 三月十日 辞任 補欠選任 服部 信吾君 桑名 義治君 安武 洋子君 橋本 敦君 三月十一日 辞任 補欠選任
○市川正一君 実は最近、私、本委員会にも委員として出ております兵庫県選出の安武洋子議員と一緒に協力いたしまして、関西方面の幾つかの実態について調査をいたしました。しかし、依然としてトラブル、苦情は減っておらぬのです。
服部 信吾君 伏見 康治君 藤原 房雄君 三木 忠雄君 峯山 昭範君 矢原 秀男君 和田 教美君 市川 正一君 上田耕一郎君 小笠原貞子君 近藤 忠孝君 佐藤 昭夫君 下田 京子君 立木 洋君 内藤 功君 橋本 敦君 宮本 顕治君 安武
昭和六十一年三月十二日(水曜日) 午前十時開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月十一日 辞任 補欠選任 安武 洋子君 橋本 敦君 井上 計君 柄谷 道一君 抜山 映子君 秦 豊君 三月十二日 辞任 補欠選任 中西 一郎君 石井 道子君
○安武洋子君 中身を言ってください。
昭和六十一年三月六日(木曜日) 正午開会 ————————————— 委員の異動 二月十五日 辞任 補欠選任 内藤 功君 安武 洋子君 三月六日 辞任 補欠選任 白木義一郎君 藤原 房雄君 ————————————— 出席者は左のとおり。
去る二月十五日、内藤功君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君が選任されました。 また、本日、白木義一郎君が委員を辞任され、その補欠として藤原房雄君が選任されました。 —————————————