2017-03-22 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第4号
こうした中、学歴偏重社会を改めようとする動きが拡大し、学校制度の見直しも進められました。また、昨年成立した教育機会確保法は、学校以外の場での学習活動の重要性や休養の必要性に言及するなど、これまでの学校教育の在り方とは異なる方向性が示されるようになってきていると考えます。
こうした中、学歴偏重社会を改めようとする動きが拡大し、学校制度の見直しも進められました。また、昨年成立した教育機会確保法は、学校以外の場での学習活動の重要性や休養の必要性に言及するなど、これまでの学校教育の在り方とは異なる方向性が示されるようになってきていると考えます。
国の一九九二年の調査研究協力者会議の報告では、不登校の社会的な要因として、社会においても学歴偏重等受験競争をあおる風潮などが学校や親に不安感を与えており、それが日常生活の中で子供自身にプレッシャーやストレスを与え、将来への不安感を感じさせ、学習への意欲や将来への希望を失わせてしまっているとして、それ以来、定義に社会的要因、背景を明記したわけです。
高学歴化、教育の機会均等を拒むものではありませんけれども、学歴偏重、貨幣価値優先になりがちな社会通念化から、中卒でも高卒でも真面目に仕事に向き合うことに価値があるという社会であることも私は大事なことだ、こういうふうに思います。 そのためには、職業倫理を小学校、中学校、高校で教えることが大切と考えておりますけれども、職業倫理教育の必要性について、大臣のお考えをまず聞いておきたいと思います。
ややもすると、先ほど申し上げましたように学歴偏重の中で、そういう職人さんたちがだんだんいなくなっていく、寂しい思いをしているわけでございます。 例えば、漆かんなをつくる職人にしましても、そういうものがなくなると日本文化は衰退していく。
当たり前の話なんですけれども、そういった意味では、何となく学歴偏重になってみたりいろんな問題を我々は抱えていることは事実だと思っております。 また、今言われたように安けりゃいいだろうと、インフレの時代とは今は違いますから、そういった意味で大きく時代が変わったという中にあって、いろいろな意味で対応が遅れている。
それから、高校新卒者の採用試験と思っていたのに大卒予定者や社会人経験者との混合採用試験で大変な苦労をしたこと、それから、買手市場の傾向が強まるばかりで、いわゆる採用者側のめがねにかなう者が出るまで採用試験が延々と繰り返されていく、学歴偏重の是正という掛け声に反して大卒者重視の流れが固定化されてきたこと等々を述べられておりました。
(田島(一)委員「学歴偏重について」と呼ぶ) 学歴偏重をしないような人間から成る社会をつくらなければしようがないんでしょう。
だからこそ、この学歴偏重に対して、受験競争に対しては危機感を覚えなければならないなというふうに私は思うわけであります。模範解答のつもりで言ったわけではないんですけれども、ぜひ大臣、現実から目をそらさない、そういう改革に私は着手をしていただきたいと思うわけであります。 対処療法として劇薬をとおっしゃいました。
それは、学歴偏重社会という問題が非常に大きいと思います。 そういう中で、子供が遊ぶということ、人間全体そうですけれども、遊ぶということがいかに重要なのか。遊ぶことの中でいろいろなことを感じ、それが自分の生き方につながっていくということもございます。ですから、プレーパークというのは、そういう意味で、ハザードは取り除かなきゃいけないけれども、危険なことに挑戦するというおもしろみ、楽しさもあります。
○小林(千)委員 ぜひ、この学校選択制というのが学歴偏重社会というものを助長するものではないものにつくり上げていただきたいと思います。 最後に、ぜひこれは大臣にお伺いをしたいわけなんですけれども、公教育としての国の責任といいますか、国が本来持つべき教育に対する責任というものをお伺いしたいと思います。
我が国においては、学歴偏重の風潮がやはり根強いものがございます。子供の教育についても悩みを持っている親御さん方も多いわけであります。こういう中で、これらのことは子供も親にもゆとりを失わせて、子育てに関する大きな心理的な負担を構成しているものと考えております。学歴偏重の風潮は、親が産む子供の数を少なくする方向に働いていると考えられても不思議はないと思っております。
子育ての孤立化、子供に対する暴力、学歴偏重社会、経済的負担、仕事と家庭の両立が容易でない職場環境、住宅事情等々、子育てを困難にさせている原因は枚挙にいとまがありません。 こうした問題の解決こそ、国が積極的に乗り出し、各省庁が積極的に施策を講じることで出生率低下を食いとめるなら、社民党は大賛成です。
そこでなんですが、今、「教育の内容及び」云々はこれからの検討課題だというふうなお話がございましたけれども、まさに学歴偏重教育の中で、入学者の選抜方法の改善なども必要となってきますが、まさに今学校現場で必要となっている、それこそ長年の願いは三十人学級の実現ですとか、それから、先日は大阪池田小の事件をもとに文部科学省との協議の結果が発表されたりいたしました。
内容についてはこれから具体的に議論していきたいと思いますが、ここで述べておりますのは、いわゆる学歴偏重の風潮が依然として強く、子供の教育について悩みを持つ親も多く、そのことが子供にも親にもゆとりを失わせ、子育てに対する大きな心理的負担を構成している、こうした学歴偏重の風潮というものが結果的には産む子供の数を少なくする方向に働いているというところから、こうした全体的な現在の日本のありようというものについて
それで、まさにゆとり教育とゆとりある教育というのはほとんど言葉としては同じなんですが、私どもが使っている場合には、例えば、学歴偏重とか出身校を重視する社会の風潮とか、そういうことが親にも子供にも心理的な影響を与えるわけでございますけれども、それをやはり取り除かなければ親子の生活にゆとりが出ないということでありまして、今、同一かどうかというお尋ねですので、私は必ずしも同一でないとお答えしたいと思います
憲法にある人権、例えばモラルの低下でいいますならば、学歴偏重社会あるいは偏差値教育ということが盛んに言われたし、そして、今盛んにやられようとしているのは競争社会における競争のできる人間ということで、この考え方を導入しようといたしています。ですから、結局、利益のためには手段を選ばないという体制が大きく拡大をされています。
しかし、学歴偏重の相も変わらない採用の仕方をやっているのは、実は霞が関そのものじゃないかという話になりますよ。いかがですか。次は四倍もふやしたって、一次試験に受かった者を四倍もふやしたって、これは自動車免許じゃないんですよ、総務大臣。そうでしょう。その人たちから見たらどうなんだという話ですけれども、このことについてだけちょっとコメントをください。
五年で大体五万人を養成したいというお話なんですが、簡単な数じゃないと思っていまして、先ほどアメリカで約十七万人というお話がありましたが、これは何も私、学歴偏重を言うわけじゃないんですが、大半の方が四大卒以上で、一部の資格に関して言えばマスター以上でありますから、そうそう簡単に育成できる話じゃございませんで、日本で、じゃ、どうやって五年で五万人を育てるつもりか。
そして、児童の健全育成の観点からも、幼児期から家庭や地域社会において子供が生活習慣であるとかあるいは自立心であるとか、それから礼儀、マナーなどを身につけて、いわゆる子供の他人に対する思いやりであるとか優しさであるとか、こういうものが、非常に学歴偏重といいますかそういうものが重視される中でややもすると軽視されてきているのではないか、そしていわゆる自己中心的な考え方というのが強まっているのではないか、こういう
こういうような学歴偏重社会が是正されて、そして、いつでも好きなときに勉強できる、そういういわゆる生涯学習社会を形成していくということが大事だろうと思います。 委員がおっしゃいましたように、そういう上で今いろいろ弾力的に行っておりまして、例えば中高一貫教育とか、あるいは、お話しありました入学や編入学制度の弾力化、飛び入学も行われるようになりました。あるいは昼夜間大学もあります、大学院もあります。
学歴偏重主義の弊害、そう言われてもいたし方ない面が一面にあるのではないかというふうに思います。 このような状況の中で、家庭、地域、学校における作物を育てる、収穫をする喜び、そういう初等中等教育の中における一つの体験活動を通じて、子供たちが生きる力をはぐくむ心の教育の充実が図られることは大切であるということは言うまでもありません。
企業側も学歴偏重的なところがある。そういうものがこういうところにあらわれているのではないかとは思います。 しかし、いずれにしても、世界に比べて、経営者もそういうふうに思っているということは、これは大きな問題であります。
ところが、戦後の大量生産、学歴偏重主義、能率主義といったものは、職人さんを社会の片隅に追いやり、社会的評価を確立する制度もいまだ生まれておりません。したがって、わざに魅せられたり学んだりする機会もごくごく限られています。
学歴偏重のことにつきましても、学歴そのものが確かに一つのメルクマールになることは事実でありますが、余りにもそれが、学歴であり、ある一定の名門校を卒業したがゆえにすべての人生を決定づけるというようなことがあってもならないということで、これまたある意味で、のりを超えたことは望ましいことではないのじゃないかと思います。 それから、外国の例を取り上げられました。