2021-08-26 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 閉会後第3号
だから、今回こういう事態が起こってしまったこと自体についての全ての責任を私は政府に押し付けるつもりは一切ありませんけれども、起こってしまったことに対してのきちっと後の始末をする、関係者の方々に対して後フォローをきちっとするということはこれは私は必要だと思いますので、厚生労働省の姿勢として、この職域接種の関係のことについては、従来の流れの中でやるということだけではなく、困っている方、相談したくてもどうしていいのか
だから、今回こういう事態が起こってしまったこと自体についての全ての責任を私は政府に押し付けるつもりは一切ありませんけれども、起こってしまったことに対してのきちっと後の始末をする、関係者の方々に対して後フォローをきちっとするということはこれは私は必要だと思いますので、厚生労働省の姿勢として、この職域接種の関係のことについては、従来の流れの中でやるということだけではなく、困っている方、相談したくてもどうしていいのか
武田大臣とNTTとの会食も報じられ、ようやく認めたと思ったら、誠実さのかけらもない同じ答弁を何度も何度も繰り返し、関係業者と会食で一緒になっても、国民の疑念を招いていないと開き直る始末です。 国民のために働くといいながら、総理の肝煎りである通信や放送分野で癒着が相次ぎ、国民のためではなく、身内のために働いていることがはっきりしました。
やったらやった分の後始末をしてください、反省、分析してください、そういう仕組みをつくっていただきたい。でないと、今後も失敗は続くことになります。 以上です。
例えば、分別を市町村が税金で行うといったら、それでもう始末できるのであればそういうものを作って、自分は始末しなくてもいいという観点でいきますから。そういうものを見極めて、公平な、公正な中でこのプラスチックが減っていくような仕組みを是非考えていきたいと思いますので。 そんなことで、終わります。
具体的には、資料の下線部分でありますけれども、事業者の不始末について規制当局が常に一定の責任を負うと考えてしまうと、それこそ規制のとりこです、規制のとりこに陥らないためには、事業者の不始末は事業者の責任として突き放す姿勢が規制当局には必要とし、規制当局が一定の場合に免責されることが規制のとりこ論から導かれるかのように主張しています。
規制当局が事業者のとりこになってしまうメカニズムは様々なところに潜んでいると考えるべきであって、その一つとして、事業者の不始末について規制当局も常に一定の責任を負うと考えてしまうと、不始末を小さく収めたいといった考えが規制当局に生まれてしまうことへの懸念を述べたものであり、撤回する考えは持っておりません。
○川崎参議院法制局長 インターネット選挙運動の導入の際の関係議員の先生方の御労苦と当該制度への思いを重く、深く受け止めさせていただきますとともに、私どもの不手際、不始末によりまして罰則規定の適用に疑義がある状態が続き、その御労苦や思いに水を差してしまいましたこと、心よりおわび申し上げます。
提出会派としてどう感じておられるのか、二点目は、今後、提出会派の議員として再発防止策をどのようにされていくのか、三点目に、やはり参議院法制局、今作業をすると言われておりましたけれども、そこに任せていたのでは彼らの自己満足に終わらせてしまう可能性もあるわけでありまして、第三者の目でチェックした方がよいと思いますので、この問題の経緯からして、発議者の責任でまずチェックしていただいて、二度とこのような不始末
○川崎参議院法制局長 この度は、私どもの不手際、不始末によりまして、罰則規定にミスのある状態が続いておりますこと、また、衆議院議員の先生方にも御迷惑をおかけすることになりましたこと、心よりおわび申し上げます。
今日、梶山大臣に残っていただいているのは、要はこれ、原子力のこの後の始末の話は環境省であったり復興庁であったりいろいろするんですけれども、是非政府全体として福島のこの取扱いを考えていただきたい。今のように原爆手帳を一つの参考例としてやることもできますし、何よりも、実際問題、健康被害出ていないのに帰れないというのは本当に悲劇ですよ、これは。そこをちゃんとしていただきたいんですね。
○法制局長(川崎政司君) この度は、私どもの不手際、不始末によりましてこのような事態を生じ、法案審議をお願いすることになりましたこと、心よりおわび申し上げます。 この間における私どもによる誤りの第一は、平成三十年改正と平成二十七年改正において公職選挙法の条文の誤りを生じさせたことでありまして、これは、作業体制、チェック体制の不十分さによるものでございます。
○法制局長(川崎政司君) 罰則の規定について条文の誤りが存在する状態が私どもの不手際、不始末によりまして続いたことについては、心からおわびを申し上げたいと存じます。 その時々の対応についていろいろ問題があったと思っておりまして、それぞれ関係した幹部についてはそれ相応の責任があるというふうに感じております。
そこに長蛇の列ができて、かえってそこが密になって感染リスクが高まっているんじゃないのか、こんな批判まで出てくる始末でございました。そうした中で、民間金融機関でも、これまでなじみのある金融機関においても政策金融公庫と同等の貸付条件で融資を行えるということになったので、それで、皆さん、ふだんのおつき合いのある金融機関に行かれてということで窓口の混雑も解消できた、こんな経緯もございます。
そうしたら、もう既に、始末するところは全部始末し切っておられるんです。なおかつその中で生活を保つためには、あとはもう食費を削っていく、やはりこういう厳しい方々が現実におられる。そういう方々に受診を更に抑制を起こさせるような、それが果たして今のコロナ禍の時期でいいのかどうかということをやはりきっちり御論議いただきたいと思っております。 以上です。
というのは、例えば、原子力施設でトラブルや不始末が起きると、度々、事業者にだけではなくて、規制当局にも責任があったのではないかという声が上がります。
そして、事業者のトラブル、不始末ができれば小さく収まってほしいと考えることや、本来追及すべき事業者の責任を自分たちも共有してしまうかのように考えてしまうのは、規制のとりこにつながりかねないマインドであるというふうに注意を喚起したものであります。
会食でいろいろ不始末ばかりしでかしている人が多いですよね、そういう人たちはもう去ったりしていますのでこの辺にはいないと思いますけれども。 典型的な例でいえば、私は山に登山に行くわけですよ。散策に行く。
むしろ、皆伐ではなく、間伐の後の始末がよくできていないことが土石流を発生させて被害を大きくしたりとか、そういうことはもうかなり前から議論をされてきたと思いますし、ある意味、そういう意味では人災でもあるのかな、そういうふうに思うんですね。
現に、こうやって、東京電力の不始末があったら規制委員会も規制庁も大騒ぎになっているわけで、当然のことながら、自分が知ってしまった物事を小さく捉えたいという意識が働いてしまう、これもある種の規制のとりこのメカニズムだと思っています。
余り長く解説はいたしませんけれども、突き放す姿勢というのは、何かが起きたときに規制にも足らざるところがあったのではないか、こういう、考えることは必要ですけれども、全ての不始末やトラブルに、規制が事業者の責任を分担してしまうかのような姿勢、規制と事業者の一体化というのはまさに規制のとりこだと思っています。
今後こういう山火事がまた、起こってはならないわけでありますけれども、たばこの不始末とかそういうことで起こり得る可能性は十分にあると思いますが。 ただ、気になった言葉で、これは足利市、市単独の火災だったからというような、何か、弁解か訳の分からぬような対応、その原因についてそういうことをおっしゃった、発言された方がいらっしゃると、どなただということは申し上げませんが。
つまり、就職活動したり子供を保育所に送る等々、そういう部分で必要だということであれば、それは持っていただいても結構でありますとか、あと、個人事業主の事業用資産、これもコロナのときだからお客さんが来なくて結局店閉めなきゃいけないだとかそういうことが起こるわけで、そういうものは全部始末していただかずに持っていただいていいでありますとか、幾つかそういう意味では要件緩和をしつつ、また、今おっしゃられました扶養照会
訂正資料に訂正が更に加えられるという始末でもあります。当法案のような重要法案でこのような事態が起きたことはゆゆしきことで、それにとどまらず、全ての政府提出法案の信頼性に関わることであり、法案審議の前提が崩れることにつながりかねません。
自然災害、それから感染症、そして原発事故の後始末もあります。この国は、本当に様々な困難から、私たち一人一人、国民の命と暮らしを本当に守っていくための政治と行政をしっかりと確立しなければなりません。改めてこのことを肝に銘じて、そして、誰一人取り残さない、そのような強い決意と、そして、実効力ある施策をもって共に生きる社会をつくる、ここに心を合わせていただきたいというふうに思う次第です。
そのことに対する、その当時の財政のかじ取りをやっていた大臣として責任ある考え方を示してほしいし、それから、この議論を、コロナの最中だ最中だということを言いますけれども、やはりどこかでこれに対して、この後始末をするんだということ、それはどういう方法でやるのが一番いいのかということ。私は、また公債に頼るのではなくて、やはり税制の方でやるべきだと思います。 ただ、税制についてはいろいろな考え方がある。