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288件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2003-05-28 第156回国会 衆議院 文部科学委員会 第14号

周知のことですが、田中耕太郎文部大臣のときに、教育基本法教育刷新委員会、その中には、皆さん御存じ安倍能成氏、南原繁芦田均氏、天野貞祐、務台理作関口鯉吉森戸辰男氏など多くの方々の真摯な論議の中から生み出されて、そしてその後、閣議、枢密院、第九十二回帝国議会審議、私も最近機会がありましたので、当時の会議録を読んでみて、この前の議論でもその一部を紹介しましたが、そういうものだと。  

児玉健次

2003-02-27 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第2号

昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣臨時教育制度審議会設置法案提出の中における、国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な日本人をつくる観点から基本法検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる憲法調査会法

赤松正雄

2001-06-06 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号

今回の教育改革国民会議分科会、それぞれ持たれて、そこで資料を配付したということを記録として私は見ていますが、例えば、国民実践要領、一九五一年の天野貞祐文相作成のもの、「期待される人間像」、これが六六年中教審答申、五つの大切、十の反省、これが七四年田中角栄作成が配付されたのだけれども、残念ながら、政府も批准している肝心かなめの子どもの権利条約参考文献として配付されていないということを、私は愕然としていましたが

山内惠子

1999-07-16 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

そもそも戦後の国旗国歌問題の発端というのは、「学校における「文化の日」その他国民祝日の行事について」という例の昭和二十五年の天野貞祐文部大臣談話にさかのぼるわけですが、そのときの大臣談話は、「祝日の意義を徹底させ、進んで国家及び社会の形成者としての自覚」、形成者としての自覚ですよ、「を深くさせることはきわめて必要なこと」「その際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することもまた望ましい」、また望ましいということでした

比嘉良彦

1997-10-30 第141回国会 衆議院 予算委員会 第4号

今思い出しますのは、吉田内閣時代昭和二十五、六年ごろでありましょう、天野貞祐文部大臣国民実践要領を提案しました。これは猛烈な反対を受けた、このことを思い出します。さらには、先ほど述べました佐藤内閣時代中央教育審議会が、昭和四十一年だったと思いますけれども、「期待される人間像」というものを作成、発表いたしました。

平林鴻三

1986-12-12 第107回国会 衆議院 文教委員会 第5号

井出委員 私の郷里の信州の片田舎なんですが、母校の校長室応接室ですが、そこには天野貞祐文部大臣の「正直勤勉」という額がかかっています。当時私は小学校の五年か六年生でございました。しかし今でも、天野先生が、「新しい時代少年少女たちに望む」というような題だったんじゃないかなと思います、ちょっとあいまいですが、こうしたテーマで講演してくださったときのことを記憶しております。

井出正一

1979-11-30 第90回国会 参議院 本会議 第3号

文部行政は、本来、政治中立性、政党からの不当支配を排除することを旨とすべきであり、それゆえに、文部大臣は、天野貞祐氏を初め、近くは永井道雄氏などの教育者が起用されたことは御存じのとおりであります。このきわめて責任の重い文部大臣の席を派閥政治、政争の具に利用した大平総理は、歴代総理中最も教育の本旨をわきまえないものと言わざるを得ません。これについて総理答弁を求めたいのであります。  

阿具根登

1979-11-30 第90回国会 衆議院 本会議 第4号

その中で、教育について総理大臣のやらなければならない最も大事なことは、全国民から信頼される文部大臣を選任することである、戦後、教育の大転換が無事にできたのは、当時田中耕太郎安倍能成天野貞祐等のりっぱな文部大臣が事に当たったからである、総理はほかのことは何もしなくてよいから、広い視野で、全国民から信頼される文部大臣を選任してもらいたいと申し上げました。  

湯山勇

1977-10-25 第82回国会 参議院 内閣委員会 第2号

政府委員諸沢正道君) 公式制度調査会の御審議、御検討の様子は当事者でございませんのでつまびらかにいたしておりませんけれども、いまの「君が代」に対します文部省の考え方というのは、実はずっと前から明らかにしておるわけでございまして、昭和二十五年、当時天野貞祐先生文部大臣でありましたときに、その年の文化の日を控えまして、国民祝日等においては国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましいという談話を発表

諸沢正道

1974-02-08 第72回国会 衆議院 予算委員会 第15号

そのときの文部大臣を見てみますと、たとえば安倍能成だとか、田中耕太郎とか、それから最後に天野貞祐そういったように、いままであの大きな戦争教育を進めてきた、その教育を大きく転換していって、教科書も塗りつぶして、いままで軍国主義戦争教育してきたのを、今度は戦争はしないのだと、こんな大きな転換をやっていくときに、だれからも信頼される、すべての教師から信頼されるような文部大臣がずっと就任しています。

湯山勇

1972-02-29 第68回国会 衆議院 予算委員会 第6号

たとえば官房長官対立して罷免をされた平野力三農林大臣遺家族援護の問題で党と衝突をしてやめた橋本龍伍厚生大臣文教政策対立をした天野貞祐文部大臣、麦価、麦の値段、これで対立をいたしました内田信也農林大臣、あるいは吉田総理懲罰委にかけられるので、これに同調をしたというのでやめさせられた廣川弘禅農林大臣、あるいは国防会議構成法を提案をしたけれども、それが国会で審議未了になったというので直ちに辞表を

西宮弘

1971-04-20 第65回国会 参議院 文教委員会 第11号

特に大臣の御指示もございまして、適当な教育者文化功労者に含まれますように、昨年の功労者審査会におきましても事務次官から特にその点に言及をいたしまして、文化功労者には教育関係功労者も含まれるんだ、そういう前提で御選考を願いたいということを特に申し上げておる次第でございますが、その結果、というわけでもございませんが、従来の選考の例から申しますと、小泉信三先生天野貞祐先生高橋誠一郎先生麻生磯次先生

安嶋彌

1967-07-12 第55回国会 衆議院 文教委員会科学技術振興対策特別委員会連合審査会 第1号

剱木国務大臣 文部省の所管の特殊法人の中で、会長に当てられております方で天野貞祐先生とか森戸辰男氏とか、いろいろ有名なりっぱな方がおられますが、これらの先生がなっております会長は大体非常勤でございまして、いろいろ兼職がございましたりお忙しい方もございますけれども、しかし、おのおのやはり会長としての職務は十分にお尽くしをいただいておると確信いたしておるのでございます。

剱木亨弘