2017-03-16 第193回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
田中耕太郎、天野貞祐、芦田均、南原繁、安倍能成、こういう人たちが担当したんですね。こういう人たちは、戦争中、命をかけてリベラリズムの思想を守った人たちです。思想の幅は非常にあるけれども、その一点で、戦争に対しては非常に厳しい意見を持っていた人たちです。
田中耕太郎、天野貞祐、芦田均、南原繁、安倍能成、こういう人たちが担当したんですね。こういう人たちは、戦争中、命をかけてリベラリズムの思想を守った人たちです。思想の幅は非常にあるけれども、その一点で、戦争に対しては非常に厳しい意見を持っていた人たちです。
いろいろ調べております中に、敗戦から一年たった一九四六年、日本のために、自己犠牲を求めた教育を展開し、新しい理念をどう打ち立てたらよいかということを天野貞祐さんたちが議論なさいました。 その中で人の尊厳について触れられた箇所がございました。
周知のことですが、田中耕太郎文部大臣のときに、教育基本法は教育刷新委員会、その中には、皆さん御存じの安倍能成氏、南原繁、芦田均氏、天野貞祐、務台理作、関口鯉吉、森戸辰男氏など多くの方々の真摯な論議の中から生み出されて、そしてその後、閣議、枢密院、第九十二回帝国議会の審議、私も最近機会がありましたので、当時の会議録を読んでみて、この前の議論でもその一部を紹介しましたが、そういうものだと。
昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣の国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣の臨時教育制度審議会設置法案提出の中における、国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣の中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な日本人をつくる観点から基本法再検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる憲法調査会法
今回の教育改革国民会議で分科会、それぞれ持たれて、そこで資料を配付したということを記録として私は見ていますが、例えば、国民実践要領、一九五一年の天野貞祐文相作成のもの、「期待される人間像」、これが六六年中教審答申、五つの大切、十の反省、これが七四年田中角栄作成が配付されたのだけれども、残念ながら、政府も批准している肝心かなめの子どもの権利条約は参考文献として配付されていないということを、私は愕然としていましたが
例えば、以前は、ちょっと正確に、私も幼かったのでよくわかりませんが、天野貞祐さんとか森戸辰男さんとかあるいはまた永井道雄さんとか、そういった方がたしか民間御出身ではなかったのかな、こういうふうに思うわけであります。
そもそも戦後の国旗・国歌問題の発端というのは、「学校における「文化の日」その他国民の祝日の行事について」という例の昭和二十五年の天野貞祐文部大臣の談話にさかのぼるわけですが、そのときの大臣談話は、「祝日の意義を徹底させ、進んで国家及び社会の形成者としての自覚」、形成者としての自覚ですよ、「を深くさせることはきわめて必要なこと」「その際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することもまた望ましい」、また望ましいということでした
今思い出しますのは、吉田内閣時代、昭和二十五、六年ごろでありましょう、天野貞祐文部大臣が国民実践要領を提案しました。これは猛烈な反対を受けた、このことを思い出します。さらには、先ほど述べました佐藤内閣時代、中央教育審議会が、昭和四十一年だったと思いますけれども、「期待される人間像」というものを作成、発表いたしました。
○井出委員 私の郷里の信州の片田舎なんですが、母校の校長室兼応接室ですが、そこには天野貞祐元文部大臣の「正直勤勉」という額がかかっています。当時私は小学校の五年か六年生でございました。しかし今でも、天野先生が、「新しい時代の少年少女たちに望む」というような題だったんじゃないかなと思います、ちょっとあいまいですが、こうしたテーマで講演してくださったときのことを記憶しております。
文部大臣も天野貞祐さん、田中さんがなられ、近くは永井さんがなられたということも存じておりますので、これはいま私からとかくのことは申し上げませんが、いまの御意見はそのまま総理に伝えますことをお約束しまして、私の答弁にかえさせていただきます。
文部行政は、本来、政治の中立性、政党からの不当支配を排除することを旨とすべきであり、それゆえに、文部大臣は、天野貞祐氏を初め、近くは永井道雄氏などの教育者が起用されたことは御存じのとおりであります。このきわめて責任の重い文部大臣の席を派閥政治、政争の具に利用した大平総理は、歴代総理中最も教育の本旨をわきまえないものと言わざるを得ません。これについて総理の答弁を求めたいのであります。
その中で、教育について総理大臣のやらなければならない最も大事なことは、全国民から信頼される文部大臣を選任することである、戦後、教育の大転換が無事にできたのは、当時田中耕太郎、安倍能成、天野貞祐等のりっぱな文部大臣が事に当たったからである、総理はほかのことは何もしなくてよいから、広い視野で、全国民から信頼される文部大臣を選任してもらいたいと申し上げました。
○政府委員(諸沢正道君) 公式制度調査会の御審議、御検討の様子は当事者でございませんのでつまびらかにいたしておりませんけれども、いまの「君が代」に対します文部省の考え方というのは、実はずっと前から明らかにしておるわけでございまして、昭和二十五年、当時天野貞祐先生が文部大臣でありましたときに、その年の文化の日を控えまして、国民の祝日等においては国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましいという談話を発表
そのときの文部大臣を見てみますと、たとえば安倍能成だとか、田中耕太郎とか、それから最後に天野貞祐、そういったように、いままであの大きな戦争教育を進めてきた、その教育を大きく転換していって、教科書も塗りつぶして、いままで軍国主義、戦争で教育してきたのを、今度は戦争はしないのだと、こんな大きな転換をやっていくときに、だれからも信頼される、すべての教師から信頼されるような文部大臣がずっと就任しています。
たとえば官房長官と対立して罷免をされた平野力三農林大臣、遺家族援護の問題で党と衝突をしてやめた橋本龍伍厚生大臣、文教政策で対立をした天野貞祐文部大臣、麦価、麦の値段、これで対立をいたしました内田信也農林大臣、あるいは吉田総理が懲罰委にかけられるので、これに同調をしたというのでやめさせられた廣川弘禅農林大臣、あるいは国防会議構成法を提案をしたけれども、それが国会で審議未了になったというので直ちに辞表を
特に大臣の御指示もございまして、適当な教育者が文化功労者に含まれますように、昨年の功労者審査会におきましても事務次官から特にその点に言及をいたしまして、文化功労者には教育関係の功労者も含まれるんだ、そういう前提で御選考を願いたいということを特に申し上げておる次第でございますが、その結果、というわけでもございませんが、従来の選考の例から申しますと、小泉信三先生、天野貞祐先生、高橋誠一郎先生、麻生磯次先生
天野貞祐さんとか、西田剛さん、清水康平さん、りっぱな人だから、それなりに二十数万円の給料をもらって殊特法人の運営をやっておるのです。いまあげた人のことを言うわけじゃありませんが、この人たちはずいぶんいろいろな仕事をやっております。
○剱木国務大臣 文部省の所管の特殊法人の中で、会長に当てられております方で天野貞祐先生とか森戸辰男氏とか、いろいろ有名なりっぱな方がおられますが、これらの先生がなっております会長は大体非常勤でございまして、いろいろ兼職がございましたりお忙しい方もございますけれども、しかし、おのおのやはり会長としての職務は十分にお尽くしをいただいておると確信いたしておるのでございます。
天野貞祐さんをちょっと教えてください。前歴と兼職があるかないか。急いでくださいよ、時間がないから。
先日、天野貞祐氏の、あれはもう何年前のことでしたか、文芸春秋で、お子さまをなくした涙の記録を読みました。