2018-03-09 第196回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
こういったカタログが配られておるんですけれども、ここにも書いてあるように、そこで何をしたか、民衆法廷で何をしたかというと、その判決は天皇裕仁ら十名の軍責任者の政治責任と日本政府の国家責任を認めて、そういうふうな、賠償、真相究明、記憶、教育などを含む勧告を出したということで、疑似法廷でこれらの、天皇陛下とかを不敬なことに裁いて、そして責任を認めるというか、当然被告人は出てきていない、裁判のまねごとなんですけれども
こういったカタログが配られておるんですけれども、ここにも書いてあるように、そこで何をしたか、民衆法廷で何をしたかというと、その判決は天皇裕仁ら十名の軍責任者の政治責任と日本政府の国家責任を認めて、そういうふうな、賠償、真相究明、記憶、教育などを含む勧告を出したということで、疑似法廷でこれらの、天皇陛下とかを不敬なことに裁いて、そして責任を認めるというか、当然被告人は出てきていない、裁判のまねごとなんですけれども
これは、周知のように、占領軍が日本統治のために天皇裕仁さんを戦犯として裁判にかけないとかいう問題と同じでございまして、当時の日本国民、これはやはり私たち含めてきちっと認識しなきゃいけませんが、国民の大多数は天皇を崇拝しておりました。そして、もし天皇の身が危なくなればゲリラ戦をやるとまで考えた、そういう人たちもいらっしゃったわけですね。
八十七号条約は天皇裕仁と書いてあるわけです。ところが、それが実はごてっと、展示じゃなくて実は物置に置かれている何か雑物のような感じで、今にも見せしめのような感じで実は置かれている。これはILOの方にも参事官を通じて抗議をすべきだ、こういうことを私は申し上げたんです。
最終日に裁判長は判決で天皇裕仁は有罪と宣告をしました。フランスのル・モンド紙は、この昭和天皇に関する有罪判決について「ヒロヒトと日本の健忘症」という評論を掲載しました。 その中でアメリカ人ダウアーは、「ビルマや中国からの帰還兵たちにとって、天皇の免責がどれほど理解しがたいものであったかを示している。天皇の名で彼らは「贖罪的」共鳴をもって戦争を遂行したのだった。
天皇裕仁は戦後自らの神格を否定したが、世論調査では二~三%のごく少数がなおも天皇は「神のようななにか」とみなしていた。 明仁天皇の大嘗祭は「公的性格をもった皇室行事」であり国家儀式ではないと主張することで、政府は憲法上や宗教上の問題を緩和しようと努めている。しかし論点をごまかそうとする試みは左右の過激派を怒らせる結果になるだろう。
そういう中で私たちは、天皇裕仁の名のもとに国を奪われ、言葉を奪われ、民族の名前を奪われ、そして多くの人々が戦争に駆り出されて犠牲になりましたと、こういうことを言っているわけで、そういうことを教えないから、学校の中で教えることをためらっているから、私たちは本当にアジアの国々から批判をされる行為を恥ずかしげもなくやる人たちがふえているんじゃないのか、こういうことを考えているところでございます。
相手の受け取り方というのは、この信任状が直接何々閣下に行くわけですから、日本国天皇裕仁、何々国大統領何々閣下と、こういうわけでございますから、この形式からいけば外国が元首と受け取る、こういうふうに私は思います。 そこで承りたいのは、話題を少し変えますけれども、宗教法人法ができるまでの過程にいろいろな問題がございました。
○大出委員 日本から外国に行って大使、公使等をお務めになる方々、この場合のいわゆる信任状の形式を見ますと、一番先に出てくるのは「日本国天皇裕仁」こうなっているのです。そして「〇○国大統領〇〇閣下」と「閣下」という字を一つ入れて、 閣下日本国政府は、日本国と〇〇国との間に幸に存在する友好親睦関係を維持増進せんことを期し、〇〇を日本国の特命全権大使に任命し、貴大統領の下に駐箚せしむ。
両論文ともに天皇陛下を「天皇裕仁」とか「裕仁」と呼び捨てにした上で、ここで繰返すに忍びないようなあくどい言葉で口汚く罵り、太平洋戦争の「主犯元凶」であり「もろ手が日本人民とアジア人民の鮮血で血塗られている第一の下手人であり」「大戦犯である」とし、「米日反動派は天皇を担ぎ出して軍国主義の魂を呼び戻そうとしている」と攻撃している。 と書いてある。天皇批判について何か御意見ございませんか。
日本の天皇裕仁、その人は好感の持てる人であるという印象を与えたと、こういうふうに総合的に理解をいたしておるわけなんです。そういうことでありますが、私も代議士でありますからね、選挙をいたします。そうして人の顔を——選挙運動に際しまして寄って来る人の顔を見ること、そういうようなことにつきましては、いささか心得があるものという自信を持っております。たいへんな人が出てきてお迎えくださる。
「岸信介等はともかく戦後の一時期スガモプリズンで生活を送ったのであるが、直接宣戦を布告し、無条件降服した当時の天皇(裕仁)に至っては全く無責任である。国体が護持されるかどうかをめぐって紛糾し、ポツダム宣言受諾の可否が論ぜられている間に、広島、長崎では市民の無益な犠牲が強いられた。天皇制維持のためには、国民の存在など第二義的なものであった。
私はそれは何もやつていない、つかまえていないということをつつぱりましたら、その係官は、お前は天皇裕仁からただで俸給を貰つておつたか、こういうことを言いました。
○吉田証人 たとえば例をあげるならば、天皇裕仁をつるし上げろというようなスローガンが出ました。当時日本新聞に、先ほどお話しました友の会等、こればブルジョアのイデオロギーのアジテーションの記事だと思います。日本新聞には、上は天皇で、下は郵便屋の大きなカバンがあつて、ここに帝国ホテルが画いてあります。それに御紋章が入つていて、何万株の株主となつておる。