2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
かつて、大平正芳総理は、都市の持つ高い生産性、良質な情報と、田園の持つ豊かな自然、潤いのある人間関係とを結合させ、健康でゆとりのある田園都市づくりという田園都市国家構想の実現を目指すことを訴えられました。
かつて、大平正芳総理は、都市の持つ高い生産性、良質な情報と、田園の持つ豊かな自然、潤いのある人間関係とを結合させ、健康でゆとりのある田園都市づくりという田園都市国家構想の実現を目指すことを訴えられました。
その前に、大臣の国土ビジョンといいますか、私、大臣の本を実は何冊か読ませていただいたことがありまして、何となくこんなイメージを持たれているのではなかろうかというイメージは持っているわけですけれども、歴代総理大臣の多くは長期的なビジョンをきちっとお示しして、中には国土ビジョンと言えるようなもの、例えば、田中角栄総理であれば「日本列島改造論」、あるいは大平正芳総理であれば「田園都市国家の構想」、総理ではありませんけれども
私は、大平正芳総理の薫陶を受けた方からいろいろ教えをいただいてきたことが多かったんですが、大平総理が政治の論点を幾つか立てられまして、環太平洋構想であるとか、あるいは田園都市構想とか、そういう中に一つ、家庭基盤の充実というのがございました。
かつての大平正芳総理が田園都市国家構想という御提言をし、それが三全総という形で、国の地域開発といいますか、国づくりの基本的な方針になった、これを下敷きにしてテクノポリスというものも提案をされているんですが、その背景等を見てみますと、まさに今の時代と非常に似ているように思います。
これは、そもそも一九七八年に大平正芳総理が環太平洋連帯構想を呼びかけたことがきっかけだと言われております。このAPECに加盟をする二十一の国と地域の広域経済圏化を目指すものとしてFTAAP、アジア太平洋自由貿易圏構想があります。
昭和五十五年から続く恒例行事でございますが、当時の総理は、くしくも、総理自身が尊敬をされる大平正芳総理でございました。 ことしは寒さが大変厳しく、七日にお伺いしたときも、例年になく、つぼみのままで総理にお届けをするという形になりましたけれども、しかし、これはむしろ、まさにこれから総理が花を開かせるということを暗示しているとも思えたわけであります。
これは、財政再建を先延ばししていたら日本に大きな危機の波が到来しないとも限らないと指摘、その上で、一般消費税の導入を総選挙で主張した故大平正芳総理を高く評価し、選挙での敗北を恐れる余りに政治家自らが増税や社会保障改革の議論自体をタブーとしてしまうような無責任な在り方には断固としてノーを言わなければならないと明言しております。 国会の場でこそ国民に向かって率直に語るべきではないでしょうか。
歴史的に言って、大平正芳総理が一度会われただけで、後ずうっとだれも日本の政府高官はダライ・ラマと会っていないんです。わざと避けて、中国は一つだというのはほかの国もみんな一緒です。しかし、そうだからといって会わないでいるんじゃなくて、アメリカなどは、ここにも書きましたけれども、二〇〇七年、去年ですけれども、アメリカ議会が黄金章、金メダルを上げたりしている、そうやっていたりする。
最後でありますけれども、この霊安室には歴代総理大臣として大平正芳総理大臣、橋本龍太郎総理大臣がお参りしたというふうに私自身は仄聞しておりますけれども、歴代首相のお祭りについてお伺いしたいと思います。
しかしながら、それから昭和六十年の、五十四年から六十年の中曽根総理の参拝までは、歴代総理としては大平正芳総理、鈴木善幸総理、六年間、中曽根総理も含めて六年間期間がありましたけれども、中国は一回なりともその文句を言ったことはないんです、これは。それが、六十年の中曽根さんの参拝以降に、そうしたA級戦犯を合祀している靖国神社に参拝するのはけしからぬと、こうした問題が出てきている。
皮肉なことに、その選挙中に大平正芳総理が亡くなられたわけです。そうなりますと、内閣の総理大臣がいないわけでありますから、一体だれが内閣を総理するか。こういったときに、伊東正義官房長官が、遺言で伊東さんということに決めてあった、こういうことで一応内閣の総理大臣の臨時代理が決まったわけであります。
それは、故大平正芳総理大臣が在任中に、情報公開問題についてこんなふうにお話しになった。政府が持っている情報の公開は差し支えない限り行うことが行政の公正さを確保する上でも必要だ、こう大平総理がお話しになったじゃないか、その志を生かすのは後輩たちの責任だ、三月二十八日の朝日新聞の社説は、そのように私どもに主張されておるわけであります。
○秋葉分科員 例えば、古いところになって申しわけありません、今覚えているのは、園田直外務大臣がかなり前におっしゃいまして、それから大平正芳総理大臣もおっしゃったと思います。
中でも最大の例は、かつて大平正芳総理が提唱されました環太平洋連帯構想への態度が全くの過去のボイコットの立場から、その中に入って、蚊帳の外からではなく中に入って暴れると申しますか、その利益を均てんしたいという態度に変わってきたことでございます。
あなたが総理になられたとき、国民は、四国の貧農に身を起こし、苦学力行を喜びつつ、弱者の涙をみずからのみがきの砂としてはい上がった庶民政治家、あえて華やかなピッチャーを選ばず、じみなキャッチャー型の政治家、しぶとい二枚腰を持つ大平正芳総理出現に、国民はひそかにある種の期待を抱いたのであります。
八〇年代という時代を大平正芳総理はどう直感していらっしゃるか、あるいは認識していらっしゃるか、どうでしょう。
やや概念的、つまり大平正芳総理の政治観と元号法案というふうな観点で少しあなたの、どこまで聞き出せるかわからないが、伺ってみたいと思います。 どうなんですか、総理、総理の御認識の中では、この八十七国会はほとんど三けたに近い法案があったんだけれども、この中でこの元号法案というのは、最重要、最もという字がつくくらいの最重要法案ですか、どんなふうな位置づけになっていますか。
このことを考えてみたんですけれども、これは大平正芳総理、大平さんお一人の謙虚さの反映なのか、あるいは逆に国民有権者、市民の皆さんを突き放した言辞なのか、私にはまだよくわからない面があるんです。まだよくわかっていない、理解ができていない。ところが、私の主観からすれば、この元号法案というのは、まさに元号推進派の一部の声には過剰にこたえた。
そうおっしゃりながら、だんだん足元を固めていくという方ではないかと私は思うのだけれども、それならば、あれですか、総理御自身の中では、大平正芳総理における思想的ないし政治的な信条に基づくものですか、この元号法案というのは。能動的なんですか、あるいは受動的なんですか、どうなんですか。
だから私の心配は、非公式資料が日本に入ってきても、一貫してお答えになっている当時の外務大臣、現大平正芳総理のお立場からすると、そんなものがどこかからにおっては話は逆になってしまうのですね。これは非常に困るんですね。今回のこの問題の国政調査権という形における国会の質疑の中で大きな壁になるから困る、こう私は思っている。