2014-03-25 第186回国会 衆議院 法務委員会 第6号
子供たちは大人不信です。信じられない大人にはうそをつきます。しかし、本気で、さまざまな試し行為にさらされながら、本当に大人の方も必死で子供に向き合っていくとき、子供たちは真実を語り出します。追及したり、尋問したり、その中では真実は発見されてこないのです。冤罪の危険もそこから高まっていくだろうというふうに思います。
子供たちは大人不信です。信じられない大人にはうそをつきます。しかし、本気で、さまざまな試し行為にさらされながら、本当に大人の方も必死で子供に向き合っていくとき、子供たちは真実を語り出します。追及したり、尋問したり、その中では真実は発見されてこないのです。冤罪の危険もそこから高まっていくだろうというふうに思います。
人間不信だとか大人不信、あるいはゆがんだ男性観が形成されていくという問題です。これは、メールによる一種のカルティベーション効果じゃないかなというふうに私は思っています。
虐待を受けた子供は、極端な大人不信や対人関係の形成がうまくできないなど、多くの課題を抱えていたり、情緒的にも困難な問題を抱えていることが多く、施設入所後も特別なケアが必要となります。そういう意味では、施設職員のかなりの手がかかるわけでございます。また、専門的な治療機関にかかる必要があることもまれではありません。 現在の施設の人的、物的条件では容易でないことは事実だと思っております。
それは嫌と言えない押しつけやあるいは絶体絶命の追い詰めになってしまって、かえって子供の自尊心を傷つけ、大人不信を高める結果を招きます。時には反抗するしかないという状況になってしまうものです。 こうした問題が保護の運用を通して明らかになったことを受けて、今日では、保護を保護たらしめるためには子供の意向を踏まえることが欠かせないというふうにされていると思います。
政治不信、人間不信、大人不信、道義の退廃、失望感。で、国民はもちろんのこと、特に日本の次代を担う青少年に及ぼす影響はまことに重大であると思います。まさに、その罪万死に値するという言葉がありますが、私はそのとおりだと信じております。そこで、総理はどのようにこの責任をおとりになるのか、具体的に答えていただきたい。