2019-11-07 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
○国務大臣(茂木敏充君) 松川委員には、外務省時代もまさに女性活躍のシンボルとして御活躍いただき、今は参議院で頑張っていただいているわけでありますが、確かに日本を取り巻く様々な環境、大変厳しくなる中で、北朝鮮問題等について今ほど日韓の連携というのが、日米韓の連携というのが重要な時期はないと、このように考えておりまして、未来志向の日韓関係をつくっていくということが重要だと思っております。
○国務大臣(茂木敏充君) 松川委員には、外務省時代もまさに女性活躍のシンボルとして御活躍いただき、今は参議院で頑張っていただいているわけでありますが、確かに日本を取り巻く様々な環境、大変厳しくなる中で、北朝鮮問題等について今ほど日韓の連携というのが、日米韓の連携というのが重要な時期はないと、このように考えておりまして、未来志向の日韓関係をつくっていくということが重要だと思っております。
私も外務省時代、アフリカに二年勤めておりまして、そして、全然逆側ですけれども、西側のセネガルというところに二年、そして、その間にも、隣国でクーデターがあったとか、今PKOが出ているマリという国が担当だったとかいろいろありまして、いつも感じるのは、なかなか日本で広くアフリカというものがよく理解されない、しっかりと理解されないということについては、私自身よく感じているところであります。
私も、外務省時代に東ティモールで勤務をさせていただきまして、ODAというのがいかに大事なものかというのは自分として理解をしているつもりではございますが、これがなかなか一般の国民の皆様にその重要性を御理解いただけていない面も正直あると思っております。そういった意味で、本当の意味で効果的なODAというのはどういう形が望ましいかということを河東大使の御経験から教えていただければと思います。
むしろ、どちらかというと私は、外務省時代の最後、退職するときが国際法局条約課課長補佐で終わりましたので、条約の側から少しこの件を追ってみたいというふうに思います。 まず、安倍総理に基本的なことからお伺いをいたしたいと思います。
本日はJOGMEC法の改正についての審議でございますが、私自身、外務省時代、アラビア語を専門職として湾岸諸国またイラクに赴任をさせていただき、微力ながら我が国の権益確保、あるいはエネルギーの安定供給、あるいはエネルギーの安全保障といった分野に携わらせていただきました。
緒方先生も外務省時代にいろいろなメモをとられたと思いますけれども、それを全部、行政文書として認識していらしたかどうか、私はわかりませんが、本件はあくまでも備忘録で、次の作業に備えての個人的なメモだと理解をしております。
最初に少し小難しい話をいたしますが、私は外務省時代にWTO協定というのを担当しておりまして、しかも農業交渉担当でありました。 豚肉の関税制度というのは差額関税制度です。WTO農業協定第四条二項には、最低輸入価格制度、これを禁ずるということが書いてあります。どう見てもこれは最低価格制度だと思うんですけれども、条約違反だと思いませんか、大臣政務官。
かつて、外務省時代に、ガッチャマンということについて非常に言及をされていた。こういうことに注目する大臣というのは非常に珍しいなと思ったんですけれども、ガッチャマンに対します思いを一言語っていただければと思います。
是非そこを、外務大臣、意識を持っていただければなというふうに思っておりまして、実は、私も外務省時代、この湾岸諸国を所管している中東第二課という課に配属させていただいておりました。
私自身の外務省時代の経験を踏まえて少し申し上げさせていただきますと、イラクのサマーワで勤務していた折、私自身、現地におったわけですが、同じ現地サマーワからの情報であるにもかかわらず、例えば陸上自衛隊から防衛省に届く情報と、それから外務省の出先機関でありました現地サマーワ事務所からの情報、これが報告が若干異なっていたがゆえに、外務省からの発表、それから防衛省からの発表が異なって、国民の皆様に大変な御心配
私の外務省時代の大先輩が千葉一夫さんという方で、この方は沖縄返還交渉の当時の担当課長でありました。外務省の中でも非常に厳しい仕事ぶりをする方として有名でありましたが、その方がよく言っておられたのは、三週間で仕事が完了しないのは日ごろ準備をしていなかったからだ、三カ月でできないのは能力がないからだ、三年でできないのはやる気がないからだとよく怒られたものでした。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 石川委員はまさに外務省時代はアラビア語の名手として、大変、アラビア語は普通に話す言葉と、ああいうサウジアラビアみたいなところで首脳会談で使う言葉はかなり違うという話を聞きまして、難しいんだなと思いました。イラクにも同行させていただきまして、石川さんが選挙に出るので私、大変驚いたのを今でも覚えているわけでございますが。 そこで、この長引くデフレから脱却をしていく。
私も外務省時代は安全保障課に勤務してこの問題を担当していましたし、その後も絶えず、神奈川県庁に依頼をされて、綾瀬、大和等に出かけていって、この基地問題のお話をしてきましたので、私にとっても人ごととは思えません。
○末松委員 私も、これは留学じゃないんですが、外務省時代にアメリカのプリンストンという大学院に行っていたものですから、そこからいまだにいろいろ手紙をもらったり、寄附をお願いされたり、やっているわけですよ。それはそれなりにプリンストニアンという誇りの中でやってくださいという感じで彼らも来るわけですね。
戦後日本外交の金字塔である沖縄返還交渉を実務的に指揮をとられた元駐英大使の千葉一夫さんは、この九月に亡くなられておりますが、私の外務省時代の上司でもあります。かねがね、我が国安全保障の最先端を担っている沖縄県民の負担を軽減することこそ日本政治の大きな課題の一つであると述べておられました。
まず冒頭、私の外務省時代の同僚でもございました奥大使、それから井ノ上書記官に対して、哀悼の意を表させていただきます。 その上で、先ほど外務大臣が、現地のティクリートですか、あそこで、今、渡辺議員の質問に対して、調査をするという中で、まだ大使館員が一人も行っていない、ただ、大使館員としては、現地に調査をしに行きたいんだという意向は持っていたというお話がございました。
我が国は、本当に偏らない立場というところからアフガン和平のために積極的な支援をしてまいりましたが、私も何かできないかなとずっと考えてまいりましたときに、外務省時代、たしかタジキスタン民主化セミナーというのがあったなということを思い出しました。このセミナーについて、実施の経緯や概要、評価等について、外務大臣、よろしくお願いいたします。
私も外務省時代、しょっちゅう出張しておりました。旅費をもらってやるんですけれども、チェックアウトは自分でやりますから、自分でカードで払って、自分の貯金の中のお金でそこは決済されて、別途もらった旅費、それは封筒でもらうんだったか後で振り込まれるんだったか忘れましたけれども、いずれそういうふうにもらっているわけであります。
私も外務省時代には決して外国語が得意なわけじゃなかったものですから、そういう意味で、先日行った加藤学園では、小学校の一年生から順番にずっと、二年生、三年生、四年生というふうに授業を見ていったんですけれども、ここの教科書というのは大体、日本の検定教科書を版権を買って英訳して使っているわけなんです。
こういうふうな状況で、実は私は外務省時代にいろいろとほかの先進国の人たちからそれで笑われた経験がありまして、何だ、日本というのは個人の社会貢献というものが全くないのか、そういうふうなモラルが少し弱いんじゃないかとまで言われて、そんなばかなという話は一応はしておいたのですけれども、どうも日本も経済成長をばあっと追っかけている時代に、やはり金、金、金という感じになってきまして、どうも物質主義的で、心をどこかに