2017-04-12 第193回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号
城山三郎先生のこの本を見れば、そこなんですよ。 経済を発展させると言うけれども、何のために経済を発展させるのか。あるいは、産業を発展させると言うけれども、何のために産業を発展させるのか。
城山三郎先生のこの本を見れば、そこなんですよ。 経済を発展させると言うけれども、何のために経済を発展させるのか。あるいは、産業を発展させると言うけれども、何のために産業を発展させるのか。
恐らくそこにはあの作家の城山三郎さんなんかの働きかけもあったというように言われておりますけれども、共謀罪は駄目なんだと当時の自由民主党、小泉総理はそう判断をなさっていた。だけど、今、皆様方が準備をされているのは、この共謀罪と本質的に変わらない。正確に言えば、当時の共謀罪の延長線上にあると言わざるを得ない。そのことを今から証明をしていきたいというふうに思います。
あの悲惨な大戦を志願兵として経験した作家の故城山三郎氏は、戦争は全てを失わせる、戦争で得たものは憲法だけだと断言しました。まことに言い得て妙であります。 日本国憲法は、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
実は、こういう質問をさせていただくのは、私は、役所に入ろうと思ったのは、「官僚たちの夏」という城山三郎さんの本を中学校のときに読んで、官僚になろうと思いました。その中にこういうシーンが出てくるんですね。主人公の事務次官が、時の大臣そして総理に対して、総理が役所の人事に口を出すとは何事だと言う、そういうシーンがあります。正直それは言い過ぎだろうと思います。
○茂木国務大臣 長妻委員は、NECの後、日経ビジネスで記者として辣腕を振るわれまして、お話を伺っていると、城山三郎の「官僚たちの夏」の時代を質問の中で再現していただいているように見えるんです。 自動車とコンピューターは基本的に違うと思うんですね。
恐らく、城山三郎さんが「官僚たちの夏」を書いた状況と今の日本は少し違っている、こんなふうに思っておりまして、産業競争力の強化に向けた個々の企業の具体的な取り組みはあくまで民間の自発的な判断によって行われるべきものであり、政府の役割は基本的にこのような民間の活力であったりとか努力、イニシアチブというものを支援するための環境整備ということになってくると考えております。
高度成長期をリードしました通産官僚を描きました城山三郎さんの「官僚たちの夏」、これに憧れて官僚になった方々は多いと思いますし、私自身もそうでした。しかし、今四十二歳の私が霞が関に入りました平成六年なんですけれども、平成六年、その年に、実は官官接待という大問題が起こりました。食糧費を地方自治体が多額に計上いたしまして中央官僚を夜な夜な接待するという問題でございます。
それから、年が明けて、新年の訓示の中で、先生も城山三郎の「官僚たちの夏」、これに憧れて経産省に入ったという話でありますけれども、私もその話を引用させてもらって、当時、時代もよかった、そしてやはり官僚も、風越信吾を初め輝いていた、やはりもう一回ああいう時代を取り戻そう、こういう話をさせてもらいました。
それから、今の松下であるとかシャープであるとか、日本の白物家電が空前の赤字を出しているということを考えたら、かつて城山三郎さんが「官僚たちの夏」で、当時の商工省の活躍……(発言する者あり)当時。もう通産省になっていましたか。その事務次官までされた方ではありますけれども、あのころと経産省の役割そのものがもう変わってきているんじゃないだろうかと思うんですよ。
城山三郎さんの「もう、きみには頼まない」という本は、私はもうバイブルのように、持っておりますけれども。 中山素平さんというのは、国際大学をつくるために七百件、自分一人が資金集めに回った、これぐらいの方ですよ。ですから、今の地銀さんの苦労を見て、メガもどれだけの支援体制をしているのかなと。聞くところによると、会社で三億、何億とかという話を聞きますけれども。
かつて城山三郎が書いた「官僚たちの夏」の中では、昭和三十年代に、既に当時の通産省におきまして保護貿易を擁護する国内派と自由貿易を主張する国際派の主導権争いがありまして、最終的に国際派が勝利することになりました。同じ公務員でも、こうした通産省のような経済官庁系と、私の出身、厚生省なんですけれども、旧内務省系とは傾向が異なります。
今度の十二日もあるそうですが、私も城山三郎さんの「官僚たちの夏」という本は読んで大変感銘を受けまして、今いろいろ言われている官僚の問題とは裏腹に、昭和三十年代、あすの日本をどう築くかというので非常に熱心に行動していた官僚たちの姿が映し出されているんです。
私は週末のテレビの放映は見ておりませんけれども、私の周りには、城山三郎の原作を読んで、それで国の機関で働くことを動機づけられた人間が多くおりますし、私もその一人でございます。 そういった中で、物づくり産業の今をどう考え、今後をどう展望するのかという御質問かと思います。
城山三郎の「落日燃ゆ」、広田弘毅の外交官としての生きざまが描かれておりますけれども、そういう覚悟、意気をいま一度、外務省の職員一人一人が胸に手を当ててしっかり頑張っていただきたいと思っております。
三月の半ばごろでしたかね、私が宿舎に帰りましてテレビを見ておりますと、城山三郎の「落日燃ゆ」というテレビドラマがあっておりました。私もその本は何度も読み返したんですが、俳優が、これは広田弘毅の半生を描いたドラマでございまして、広田弘毅役にたしか北大路欣也、それから盟友の吉田茂役に津川雅彦だったと思います。
ですから、城山三郎さんの書いた「官僚たちの夏」じゃありませんが、そういう方向に向かって、場合によっては、政治家は目の前のことしか考えないのに対して、官僚は十年、二十年、三十年先の、傾斜配分などを含めてやった時代もあったと思うんです。
昔、小説で、城山三郎の「官僚たちの夏」に描かれたようなああいう世界ですよね。 私も、新聞記者として十数年前、経済産業省を取材したときには、ぽつらぽつらとそういう官僚の方がいらっしゃいました。
お亡くなりになりましたが、城山三郎さんがかつて「官僚たちの夏」という、これは通産官僚をモデルにしたものですけれども、要するにナショナルゴールが非常に明確である、先進国に追い付き追い越していく、そのために我々が中心に立たねばならないのだと。こういうときには確かに、国あるいは国家への貢献でそれなりの頭脳を持った人間が集まってくる、これは当然だと思います。
先般お亡くなりになりました故城山三郎氏の著書「雄気堂々」、その主人公でもある近代日本資本主義の父、渋沢栄一翁は、私利を追わず公益を図るの信念のもと、官界にとどまるのではなく、官界から、みずから実業界に身を転じました。もちろん、それは天下りではありません。
この広田弘毅は、城山三郎さんの「落日燃ゆ」によれば、一切の言いわけをしなかった。これは大変なことだなと、自分がある意味で、人によったらおれの責任じゃないよと言ってしまいそうな状況のときに、あえて一言も言いわけせずに十三階段を上っていったその心というのはどういうことだろうか。
城山三郎先生はもうお帰りになりましたし、参考人として数時間いろいろ質問に答えたんですけれども、そのときも、結局はメディアは適用除外だということで、メディアの適用除外の項目に出版社という名前を入れてくれということを言ってきたんですけれども、最後は附帯決議の中に加えられるだけで、やはり条文は変わりませんでしたので、なかなかこういう審議というのも反映されないものだなということをそのときにもちょっと思ったんです