2020-05-22 第201回国会 参議院 地方創生及び消費者問題に関する特別委員会 第6号
住民が主人公の町、住民自治、民主主義の当たり前の憲法上の町から、憲法が保障する民主主義の町から、まさに城下町、企業城下町、企業がデザインしていく、首長は入っているかもしれないけれども、まさにその事業者がビジネスをやっていく、企業が主権者になっていく、そんな町になっていくんですよ。それでいいんですかという話ですよ。
住民が主人公の町、住民自治、民主主義の当たり前の憲法上の町から、憲法が保障する民主主義の町から、まさに城下町、企業城下町、企業がデザインしていく、首長は入っているかもしれないけれども、まさにその事業者がビジネスをやっていく、企業が主権者になっていく、そんな町になっていくんですよ。それでいいんですかという話ですよ。
例えば、そういう城郭を復元したりして、それで、城郭だけじゃない、町、城下町全体のネットワークを使って観光をしてもらう。そういう意味では、私は、お城というのはすごく可能性がある歴史的な観光資産だというふうに思っています。 今、デジタルの世界でも、アニメとかですね、なると、戦国武将、物すごい人気で、そうすると、今、侍とかあるいは忍者なんていうのは、これもう世界語ですよ。
現地においては、今後の復旧の見通しや、上田駅から城下駅間の代行バスの運行費補助も含めた復旧事業への国の支援のあり方について、意見交換を行いました。 次に、東御市海野地区については、今回の視察箇所では、最も千曲川の上流部に当たるもので、長野県が管理をする部分となっております。護岸が大きく欠損したことに伴い、しなの鉄道上にかかり海野宿につながる市道白鳥神社線の道路橋が崩壊しました。
その本は、石光真清という熊本出身の軍人が書いた「城下の人」という、熊本城が炎上するときのことを書いた手記でございます。この「城下の人」というのが、その復刻版でございます。 明治十年二月半ばでございますけれども、薩摩の西郷軍が二万五千人の大軍を率いて熊本に迫っているという情報が広がりますと、熊本城下は騒然となります。
質問の前に、私は、自由民主党でございますけれども、愛知県の豊田市というところにおりまして、選挙区は豊田、みよしというところで、まさに企業城下町のようなところでありまして、私自身も二十四年間、部品をつくっている会社に勤めておりまして技術屋として働いておりましたけれども、その間、二年間、購買をやらせていただきまして、仕入れ先さん等とたくさんおつき合いする機会がありました。
例えば私の地元の酒田港では、城下町あるいは北前船の寄港地としての歴史文化、鳥海山を望む勇壮な景色、米やサクランボなどの自然の恵み等、地元ならではのすばらしいコンテンツがそろっておりまして、海外からのお客様にも喜んでいただけるものだと確信しております。
これは、つまり七〇年代、八〇年代の企業城下町の、そしてリゾートの失敗をもう一回大規模な形で、しかも依存症という深刻な社会問題を生み出すこういう形で進めようとしているのかと、本当に憤りを覚えます。 参考までに申し上げますと、例えば和歌山県の高野山、非常に訪日外国人によって好評なんです。でも、高野山を訪れる訪日外国人というのはフランス人なんですね。
また、私が居住する太田市は、自動車産業の企業城下町。大変産業活動も活発、今でも人口が増加して、若年人口も多いところでありますけれども、ここを合わせても百三十六人というふうな状況であり、群馬県の首都である前橋市と比べますと、医療格差は三倍というふうな現状でございます。 このような現状をどのようにお考えになられるか、厚生労働大臣の御所見を賜れればと思います。
例えば、具体的な優良事例としては、兵庫県の篠山市におきまして、城下町を一つのホテルに見立てて、官民連携して古民家等を活用して宿泊施設やレストラン、カフェ、工房などを配置することで、町中に新たな事業や雇用を創出して若者の地方回帰に寄与している事例などがございます。 内閣府では、こうした稼げるまちづくりの百の優良事例につきまして、本年三月に事例集取りまとめて公表しておるところでございます。
ソ連時代の地方都市や町の多くは、国営企業が君臨する企業城下町でした。ソ連邦の崩壊後に国営企業は民営化されましたが、現在でも町を支える企業もあります。 北方領土にもソ連時代からの国営企業の流れをくむ株式会社ギドロストロイが操業しており、本社はサハリン州ユジノサハリンスクにあります。
逆に、企業城下町のようになっていると、その一番トップにいる大きな工場が縮小されたりすると途端に地域経済は駄目になってしまうという、そういう脆弱性も抱えているという面もあるわけですね。 ですから、基幹産業のあるなしにかかわらず、やはり成長の芽を各地域でしっかり自ら意思を持って見付けていくということが非常に重要なんだろうというふうに思っていまして、そしてそれに対して国がしっかりサポートする。
三菱自動車単体で約二千億円の損失を見込んでいるということでございますが、当然、川上、川下に、下請メーカーでありますとか流通関係の会社、そして、いずれも企業城下町を形成している工場ばかりですので、地域経済に対してもさまざまな大きなマイナスの波及効果があったものと思います。
この上田騒動に至っても、きょうは一ページしか持ってきませんでしたが、峠を越えて城下に出る役目、それから各地域、あっちの集落へ行け、こっちの集落へ行けと、役割分担もしている。 そこで、一揆の目的というのは、言うまでもなく、生活に困窮した農民がその改善を求めて訴え出るものです。
文化財だけ直しても、例えば門前町、城下町、面的な広がりの中で一部の建物の中にある仏像とか建物を直しても、それだけでは観光地の魅力は全然高まらないわけですね。やはりその地域全体の景観、一体的な景観でありましたり、若しくは、そこまではできているんだけれども、全然魅力的な店がないと、こういう地域も多いわけです。となると、滞在時間は全然長くならないし、観光消費額も上がらないと。
藤堂高虎公が宇和島城をおつくりになってありがたいんですけれども、大変巧妙に町づくりをされていらっしゃいまして、急に狭い道ができたり、急に広い道ができたり、今、車社会でございますので、城下町の名残は、非常に、車社会にとっては大変厳しい町づくりになっております。
大和郡山市のごみ収集の特徴なんですが、市の中心部は城下町で古い町並みが残っておりまして、細い路地がそのまま生活道路になっております。ですから、ごみ置場を、集める場所を確保する場所がないために、ごみは玄関前や道路の隅にそれぞれ住民が置くことになっている。
要は、熊本というのは城下町で、今回お城が崩れて、これも大変な被害に遭いました。ただ、このお城の状況の周りに、城下町というのが広がっているんですね。そこに歴史的建造物というのが結構あって、この歴史的建造物は、国の重要文化財とかには指定されていないけれども、景観を、非常に町の雰囲気をつくり出している。例えば百三十年前の町家があったりですね。
私の地元は日立金属の子会社の城下町なんです。いろんなデータベースあるんですね。それで、それ自体は決して世界的な部分というよりも、ある意味じゃオンリーワンの企業なんですね。ですから、そういうデータベースがいわゆる役所にたまっていくわけなんです。ところが、これをそれじゃ私の地元がこういう特定加工でやった場合に、もう認識されていくんですね。
さて、岡山ということを最初申し上げたわけでございますが、地元に帰りますと、今、岡山での一番の皆さん方の共通の話題事項、それは、何と申し上げましても三菱自動車の燃費データ、この改ざん問題にあるわけでございまして、地元そして全国紙の新聞の見出しを見ましても、「生産停止「城下町」悲鳴」といったような見出しであるとか、「下請け、在庫の山・派遣解除」等々、非常に地元経済に大きな影響を及ぼしている、また今後の展開
明治期、西南戦争で天守閣が焼けるさまを見て、熊本の城下の人たちは、本当に膝を折り手を合わせて涙をはらはらと流して、心の支えを失った、それを嘆いたということでございます。熊本城の再建について、何としてでも、心の再建ということでよろしくお願いいたしたいと思います。 さらに、熊本城だけではありません。