2008-11-05 第170回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
○犬塚直史君 そうした困難な状況の中、二十五年余にわたって、まさに現地化というよりも土着化して、これは中村先生がおっしゃったことですが、土着化して頑張っている活動に心から敬意を表したいと思います。
○犬塚直史君 そうした困難な状況の中、二十五年余にわたって、まさに現地化というよりも土着化して、これは中村先生がおっしゃったことですが、土着化して頑張っている活動に心から敬意を表したいと思います。
しかし、こういう形で言わばお客さんとして、現地で本当に活動して現地化をして土着化をして本当に現地のことが分かっているのかといえば、それは国会議員という立場ではなかなか難しいと。
したがって、この北方四島の返還問題というのは、六十年もたってしまうと、何かもう固定化された状況というもの、そしてロシア人の島民の皆さんがもう自分のふるさとだと言い始めますと、島民にとっても、あるいはロシア政府当局にとっても、返還などということができるのかどうかというやや悲観的な感じを持ったわけでございまして、今、私が申し上げたように、やはり風化というか、土着化というか定着化というものが進んでいる今日
しかし、東京は一方で、西洋の文明を見事に日本化した、土着化させた。すなわち、日本人が、背広も音楽会もそれから料理のマナーも含めて、国際都市でありながら、ここはすべて日本人が西洋の文明を、いわば日常生活の中でつくり上げているわけであります。
これは非常に長い歴史的な背景を持ち、もっとフォーカスを当てるにしても、少なくとも四二年、四三年、四四年ぐらいから用意され、そして、これから申し上げます土着化と国際化という二つの外側からの入力によって日本国憲法の普遍性が生み出されたのだというふうに御理解いただきたいと思うのですね。そう理解することなくして、日本国憲法の制憲過程における本領といいましょうか、本質を理解できないというふうに思います。
土着化、国際化と、もう一つのキーワードとして先生は戦略化というお話をされております。私はこれにも着目をいたしました。 先生の本の中で、「敗戦の逆説 戦後日本はどうつくられたか」というのがございます。その百九十八ページに、一九四七年に始まる冷戦の本格化の渦の中で、戦略化の動きに制憲過程がさらされることになるということが出てまいります。
先生のきょう配っていただいた中に、「森戸辰男と鈴木義男はGHQ改憲案の欠落部分を執拗につき、それを日本の土壌に植え直し、」これは土着化ということの表現と同じかと思いますが、「より普遍的なものに変えようと議論を挑み続けている。」それをレジュメの中の一ページ目に提起されております。
ですから、ある意味でそういう独立という言葉を使いますとまた話が若干違ってきますが、むしろやっぱり台湾人意識のある種のコンセンサスといいますか、そういうものがこの李登輝体制の中でかなり定着してきた、つまり土着化という、そういう方向に向かってきたということですね。台湾人の国家としてのアイデンティティー、それもかなり育ってきたと。
○立木洋君 先ほど言いました韓国商工部の機械育成総合支援対策の発表によりますと、「昌原基地の早期建設で機械工業の構造革新と早期の土着化を期しながら、すべての機械工業を防衛産業に活用する」というふうに対策では発表されております。また、七六年の秋、外国人記者が同団地を神察して、その後外国人記者からここには軍需工場はないのかという質問をされたときには、全く存在しないというふうに答えていた。
という記事の中で、この対策によれば、育成の基本方向として1国内二千四百余の機械類生産工場中育成価値がある二百から三百の工場をその専門化企業として、指定、集中育成し2昌原基地の早期建設で機械工業の構造革新と早期の土着化を期しながら3すべての機械工業を防衛産業に活用するように、指導・育成することにした。という報道があります、これはおととしの報道ですけれども。
二番目は、昌原基地の早期建設で機械工業の構造革新と早期の土着化を期しながら、三番目として、すべての機械工業を防衛産業に活用するように指導育成することにした、こういうふうにあるのです。 そういう点、韓国の特にこの商工部の発表によりますと、機械産業という字句がありますから、韓国の機械産業への投資は特別にチェックをしないと、防衛産業に組み込まれていく危険があるのです。