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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2008-02-26 第169回国会 衆議院 財務金融委員会 第6号

どうして政府税調がそういう程度の提言にとどまっているのか、その背景を考えてみますと、もと政府税制調査会長であった加藤寛氏の回顧談というものが参考になります。加藤氏は、道路族によって二度おどされたということを申しております。旧国鉄長期債務の返済にガソリン税自動車重量税を充てようと主張したときは、自民党から都内のホテルに呼び出され、どなられ、あげくに灰皿まで飛ぶ様相だった。

安藤實

2008-02-26 第169回国会 衆議院 財務金融委員会 第6号

安藤参考人 私は、もと政府税調会長加藤寛さんの回顧談というのを紹介しましたけれども、あれと似たようなことが小泉首相安倍首相にも生じたのだろうと。これは新聞報道なので、別に私が確かめたわけじゃありませんが、小泉さんの場合は、特にトヨタの奥田碩さんの意向が影響を及ぼしたんだ、そういう記事を見たことがあります。

安藤實

1986-12-11 第107回国会 参議院 内閣委員会 第6号

この固有事務の中にさらに行政事務という区分がありますが、実質的な意味はないようで、これを入れた当時の法制定の議論やこれの解説書、そのほかの回顧談によると、あのときあれを抜いておけばよかったなという話が出ているぐらいですから余り実質的に意味はない。固有事務は地方の事務団体委任及び機関委任は国の事務とされてきたんですね、今まで。

志苫裕

1985-10-17 第103回国会 参議院 本会議 第2号

そこで、回顧談として、我々は若いころやはり戦争というものによって鍛えられましたね、若い人がたくましく成長するためには何かそういう試練というものが必要である、今会社でいろいろ試練を受けておりまして、会社というものはそういう意味においては非常に大きな役目を果たしておりますね、そういう話をしたのでありまして、前後の発言を御検討くだされば十分御理解できることであると思っております。  

中曽根康弘

1985-03-20 第102回国会 参議院 予算委員会 第11号

ところが御存じのように、低成長時代に入ってこれだけ時間がかかったけれども、たしか坂田君のあのころの談話か、議長になってからこの間の回顧談か何かで、三、四年ぐらいで達成できると思っていたというようなのがたしか回顧談か何かに載っていたと記憶しておりますし、三原防衛庁長官金丸防衛庁長官、その後の長官考えも大体五年前後ぐらいで達成できるという考えを漏らしておりました。

中曽根康弘

1982-08-20 第96回国会 衆議院 外務委員会 第25号

その記述の仕方を見てみますと、たとえば、沖繩県史の中に登場してくるだれだれさんの回顧談によれば次のようなことが述べられているという形で一ページあるいはもっと小さく半ページ程度を割いて書いているとか、これが、こういうものからとって、その中にこういうことが書いてある、すなわちその資料批判ができるような形で提示されているものであれば、そういった記述というものはこれまでも認めてきているということでございます

藤村和男

1982-07-30 第96回国会 衆議院 文教委員会 第17号

というその原稿本記述に関連するものと考えられますけれども、これは沖縄県史に掲載されました伝聞を含む種々の個人の回顧談等を特に史料批判を加えることなくまとめました歴史学研究会編太平洋戦争史第五巻、これは青木書店から出ておるわけでございますが、その中にその数が出ているわけでございます。

鈴木勲

1978-04-06 第84回国会 衆議院 地方行政委員会 第9号

当時の衝に当たった方の回顧談がありますけれども、これをいま引用するのもむだではないと思います。これは当時の知事さんでありますけれども、「皆さんはいきなり三里塚案が出てきたという奇異な感じを抱かれたかもしれないが、その一、二ヵ月前から、実は佐藤首相のお使いという人が何回もきていた。

新村勝雄

1972-08-22 第69回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

たしかそれから十年たった三十七年に私吉田さんにお目にかかって、新聞記者のころですけれども、回顧の話を伺ったことがありますが、吉田さんは、やはり単独講和全面講和というあの世論の中で、だれが考えたって全面ができりゃあそれにこしたことはないとおれだって思っていた、こういう回顧談をされたことがありますけれども、いまひるがえってみると、サンフランシスコ平和条約を結んだ時代、そうして同時に結ばれた安保条約、そうして

田英夫

1972-03-28 第68回国会 衆議院 社会労働委員会 第10号

この人が回顧談をずっと書いておられる。当時亀井さんは労政局長であります。私は過去のことをほじくってどうこうするということではなくて、私がいまから申し上げる亀井さんの態度が実は県政というものに対する姿勢になっているだろう、こう思うから、そのことに対する見解をお伺いするわけであります。  ここにこう書いてある。一回、二回、三回、いままでにいろいろなことで決断をしたことがある。

山本政弘

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