2014-02-26 第186回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
他方、今のように、だんだん定員が満たせないとか、それは高齢化もあると思いますが、例えば昔はやはり地域の名望家みたいな方、かなり自分のお住まいなども広くて、ある程度、観察対象者のお世話をするゆとりもあったんでしょうね。それが、もう皆、住居も狭い、そうすると相談に乗るにも場所がないとかいうようなこともございます。
他方、今のように、だんだん定員が満たせないとか、それは高齢化もあると思いますが、例えば昔はやはり地域の名望家みたいな方、かなり自分のお住まいなども広くて、ある程度、観察対象者のお世話をするゆとりもあったんでしょうね。それが、もう皆、住居も狭い、そうすると相談に乗るにも場所がないとかいうようなこともございます。
よく考えてみますと、多分戦前は明治、大正、昭和の初年はある種の農村の自然共同体の中で名主か庄屋か、あるいは区長か何か知りませんけれども、その地域の地主さんが、地主さんで名望家が村人を動員して用水を造ると、だから何とか用水というふうに名前の付いたのがいろいろ全国各地で残っていますよね。
山県有朋自身が地方制度をつくるに当たって、どんどん政党化していく国の政治に対してこれを地方に及ぼしてはいけないということで、そのセーフガードとして地方の有望家たちが、名望家というんですか、その人たちが中心になって地方自治というものをつくっていくということを考えたわけですから、基本的には中央集権的考え方、しかし制度そのものは非常に地域集権的な考え方でできていたんだと私は思っております。
そこで貯金も行われ、簡易生命保険も行われたということでございますから、これは、私は郵政の文化、郵便の文化ということをいつも申し上げているわけで、とりわけそこに生まれた、今御講演をいただいた三等郵便局の局長さんたち、特定郵便局長さんたちは、まさしく先生が今お話をされましたように、最初、明治五年に各地の名望家が、いわゆる自分でもうけるということではなくて、名誉としては官吏としての立場をもらったということではありましょうが
これは、各地の素封家、名望家の信用を利用して、立ち上げの段階では若干の手当はあったんではないかと思います。しかし、それではとても十分ではないという中ではございますが、国の責任として、このインフラを整備するために、官員に準じる待遇を与えた、官職を与えたということですね。
私どもが若いころ地方に行きますと、収入役さんというのは大体地域の名望家、そして資産家。で、いざ何か事故があったときは自分の財産を売ってでも払ってやるというような気概の方がおられたわけです。もうそれはもう時代が違いますから、今はそういうことは言えませんけれども。
他方、郵政事業は、明治の初頭、先覚者前島密が、当時この分野で既得権を持っていた飛脚の人々を説得し、あるいは庄屋、名主や本陣など当時の地方名望家の善意に頼んで、粒々辛苦のうちに構築し、今なお国家財政と国民生活に深く根をおろした公共のシステムの一つであります。今回の法案による改革は、このような郵政事業百三十年の歴史を転換しようとするものであり、まさに画期的な改革ということになります。
ある意味で、スンニ派の間では、いわゆる政党結成の経験がこれまで余りない、むしろ個人政治家として、個人の名望家あるいは都市の知識人というふうな形で政権中枢に活躍してきた人物が多いということになりますから、ではスンニ派の比率が少ないので、閣僚にこの人を入れてやれとかあの人を入れてやれというような形で入れたとしても、もともとその人たちは支持されていない人たちになりますので、閣僚にピックアップすることで物事
○魚住裕一郎君 地方議会の人、どういう来歴かというか、いろいろ見ますと、地域の名望家といいますか、そういう方もいるかもしれませんけれども、最近、やはり都市部等においては、例えばサラリーマンやりながら地元の市町村議会できちっと発言をする。ですから、逆に夜とか日曜日に議会やったらどうかみたいな話も出てくる。
今度の利用契約という形でございますけれども、考えてみますと、明治以来といいますか近代国家になりまして、福祉というのは慈善博愛なり宗教理念をもとにした宗教団体でありますとか地域の名望家、お金持ちが余力をもって、いわばお恵みのような形で福祉をするというような体制を変える、そういう効果があるというふうに期待しております。
みんなディスカッションしているところに出ましたのは、結局、町村では町の顔役というかそういう方たちの指定席になっている、無投票当選が多い、そこに割り込んでいくと非常にその町や村に住みにくくなるというようなことで、その地域のやっぱり名望家というかそういう人たちがその議席を占めていて、なかなか女性がそういう地位にいないので入り込む余地がないということを言っておりました。
○政府委員(本江威憙君) この具備条件については、法律が制定された時代もあわせて考えると、あたかも各地方の名望家を念頭に置いてつくられたかのごとき印象を与えかねないという面は確かにありますので、今回の全国保護司連盟との六回にわたる協議会の中でその点も検討したところではありますが、現実に無職の人、主婦の人なとたくさんの方、またはサラリーマンの方なども既に保護司として入ってきてくださっておりますので、現時点
一方、当時の名望家政党であったところの保守政党は、名望家だから、だんな様だから、一々貧民どものところへ行って頭を下げるなどということはしない、演説もうまくないという人たちにとってみれば、無産派が出てくるということに一種の恐怖心を抱く、選挙運動の形としてですね。その結果として、戸別訪問を禁止し、演説会には必ず警官が臨席して弁士注意をやるというふうな、相当ひどい弾圧的選挙をそこでやってきた。
むしろ、そういう経験については、私などよりは地方の名望家の方々とお会いになったりして、いつも聞いている先生方の方がお詳しいのかもわかりませんけれども、そういうものをどう吸収し、またどういうふうに分析し、どう理論づけ、そしてどう制度化していくかということが大事なことかと思います。
そういう意味では、名望家が集まったクラブから組織政党になり、社会が豊かになるにつれて価値観も多様化し、政党がだんだんと整備されてきた、そういうことがございます。しかし、また一方におきまして、社会の発展と産業社会の内容が充実してまいりまして、階級への帰属感とか宗教心が薄れるというような現象がヨーロッパでは特に顕著でございまして、政党組織は次第に弱まってきているという状況がございます。
かつてのように、地方名望家などが功成り名を遂げて議員になって、赤じゅうたんを踏んでというころとは全く違った様相を示しているのではないか、かような認識を持っております。
結局、農協というところは、昔からの姿を引きずってきておるものですから、上に行けば行くほど地域の名望家というか偉い人が上になって、しかも組合長や常務さんがほとんど関連農協の当て職というんですか、そういうところの兼務で、もう会議会議で余り農協にいないんですよね。
そこに労働組合の組織率はどんどん落ちてくる、そして、自治労などのような、田舎の名望家がなっているような、エリートがなっているような地域では社会党が強くて、都会ではむしろ社会党が弱くなっている、こういうようないろいろな野党にも変質がある。
それまでの名望家といいますか、そういうものに依存していた選挙のやり方では、これだけ選挙権が拡張されたらもうだめだということで、新しい保守党の近代化ということがそこでなされまして、集票組織の組織化ということについて組織政党に、この一八六七年の選挙法の改正の機会に脱皮していくのであります。
これがヨーロッパ諸国の教育と日本の教育の大いに違うとしろでございまして、ヨーロッパ諸国の場合には、御存じのように依然として貴族制度が残っておりますので、名望家の子弟は、そのまま自動的に名門校に入るという仕掛けになっております。しかしながら、日本の国は明治維新直後から、人間を実力によって選抜するという大変すばらしい方法を採用いたしました。
それから、その相談事業をやるに当たりましては商工調停士という人を、各地域のいわば名望家といいますか、いろいろなことについて金融機関にも話をしていただけるあるいはいろいろな方にも指導ができるというふうな方を商工調停士という形でお願いをいたしまして、そういう人が主として相談に当たり、そしてまた、もし法律的な案件がございますれば委嘱しております弁護士の活動を願うというようなことで、法律的な措置もやっていくということをやっておるわけでございまして