2009-02-23 第171回国会 衆議院 予算委員会 第18号
吉田自由党ももちろんそうですし、片山内閣もそうですし、戦後もそうなんです。五五年体制まで、その憲政の常道が確立して実行されていたんですよ。 しかも、その後、伊東正義さんという政治家がおられました。この人が首のすげかえに完全に拒否をして、表紙だけかえてもだめなんだというふうに言って拒否をされました。まさに、この人の姿勢が大政治家としての姿勢ですよ。
吉田自由党ももちろんそうですし、片山内閣もそうですし、戦後もそうなんです。五五年体制まで、その憲政の常道が確立して実行されていたんですよ。 しかも、その後、伊東正義さんという政治家がおられました。この人が首のすげかえに完全に拒否をして、表紙だけかえてもだめなんだというふうに言って拒否をされました。まさに、この人の姿勢が大政治家としての姿勢ですよ。
いっとき、戦後の一時期、この官僚支配からの脱却が一つの政治の主流になったこともあったわけでございますけれども、歴史的に言ってみると、一九四八年の七月に吉田自由党への官僚一斉入党ということがございました。佐藤栄作、池田勇人等の名立たる官僚出身の政治家が一斉にこのときに入党をしたわけでございます。それ以来、政策面、人材面での官僚と与党政党との間の緊密な合体関係ができ上がってしまいました。
それで、昭和三十年、一九五五年に緒方竹虎先生と三木武吉先生が自主憲法を制定しようということで保守合同をされ、吉田自由党と鳩山民主党が現在の自民党の結党につながり、そして自民党の党是として、憲法を改正して独立国としての自主憲法を制定するということで自民党が発足、結党されました。
○国務大臣(田川誠一君) かつて中曽根康弘先輩が改進党当時、吉田自由党を大変批判をされ、吉田茂に対しても予算委員会で猛烈に批判をしたことを私は新聞記者として傍聴しておりまして、いまだに頭に鮮明にこびりついておるのでございまして、政治はそのときどきのことによりまして痛烈に批判をしますけれども、また、かつての吉田総理をあれだけ批判をした中曽根総理大臣がその後は吉田さんに対して非常に尊敬の念を持つようになった
いまから二十年前、沖繩が吉田自由党政府によって、サンフランシスコ条約第三条によりアメリカに売り渡されてこの方、沖繩県民は、米軍の野蛮な軍事支配のもとで言語に絶する屈辱と苦痛を負わされてきました。現在、米軍が基地としてわがもの顔に占拠している膨大な土地の強奪こそ、その最たるものであります。
これは吉田自由党内閣の問題であり、以来鳩山内閣になり、村上郵政大臣 以来の、あなた三代目の大臣として今日のこの最も憂うべき状態を遺産として田中大臣がこれを受け継がれている。今あなたのお述べになった苦衷はまことに私ども御同情にたえません。
これはわれわれといたしましては議運においてもこの問題をさらに提起いたしたいと思いますけれども、単なる一方的に通知をする、しかも国会において何とか審議をして下さいと言いながら、何らの意思表示もしないうちに、いや、われわれの方でできましたから、さようなら、こういうことでは――今までの扱い方というものは慣例ではありますけれども、これはいわば吉田自由党内閣が絶対多数を誇っておったときの産物であって、こういうことは
それじゃあなたは、かつて民主党の総裁であって、百二十名の議員しかなかった当時、吉田自由党は百八十名で第一党であった。第二党のあなたが第一次鳩山内閣を組閣したのは、一体だれのおかげで組閣したか、社会党が協力したからじゃありませんか。そのときあなたは何と言ったのですか。
そしてそのあとに「吉田自由党の持永委員それ自身が、この法案につきまして、間に合せのずさんな法案であるということを指摘される点を考えましても、この法案がいかに不備であるかのよき証拠であるといわざるを得ないのであります。」そして最後のところで「労働者の利益を守り、労働者の勤労意欲を簡易せしめるがごとき、抜本的労働政策を樹立すべきことを、強く政府に要望するものであります。
「それは明らかに吉田自由党政府が政治権力をもって教育を不当に支配し、ひいては思想言論の自由までも押えつけようという専制的な権勢へのほしいままなる意図から生まれたものであるからである」というのであります。もう一つ引用します。
また、かつて吉田自由党内閣時代、池田特使がニューヨークで、ロバートソン米国務次官と取りかわした、いわゆる池田・ロバートソン会談の中で、日本の政府は日本の再軍備熱を高めるために、教育、広報活動を行うことを第一の責務とすると約束した事実は、当時朝日新聞ですっぱ抜かれまして、ずいぶん世論の攻撃を受けたものでございましたけれども、対米従属をモットーとしている自民党内閣になっても、右の密約が死んでしまったなどとはだれしも
○吉田法晴君 今日と同じ意見で選挙に臨んだと言われますが、在野時代に吉田自由党内閣の施策を批判するときには、憲法違反だと、こう言われたんです。それが政治家としての野党時代のあれでしょう。今日変っておられることを言うんじゃありません。その意見の相違がいつ起って、そして国民に対して在野時代に批判されたその意見についての国民の批判というものをいつ求められたのか、こうお尋ねしておるわけです。
かの政権百年を豪語し、権勢を誇った吉田自由党内閣の屋台骨をゆすぶったところの造船疑獄の実は震源地はまた開銀にあったことは、国民の記憶に新たなところであります。さすがにジャの道はヘビと申しますか、これに着眼した新行政管理庁長官河野一郎君はさすがであると思うのであります。
私がいるのは福島県ですが、福島県はかつて吉田自由党の圧倒的多数を占めた、六十一名の定員のうち自由党五十五名の多数を占めた県です。ですからわが思うことならざるはなしという県ですが、その県において、長い吉田内閣のもとにおいての地方財政措置、あるいはその後のまた鳩山内閣の地方財政の措置のもとにおいて、今日相当多額の赤字を出しているわけです。
かつて、いわゆる吉田自由党政府のときに、やはり二百数十名の絶対多数をもって、政局は安定したかのようでございました。しかしながら、民生は果して安定しておったでありましょうか。全く逆であります。おそらく、鳩山さん初め民主党の多くの方々もそれを否定されはすまいと私は思うのであります。
第三は、この議定書に反対する者の中には、この議定書の親とも言うべき日華平和条約は吉田自由党内閣が米国から圧迫されて締結したのであるとか、あるいは、国民政府は領土を持っておらないから日華平和条約は無効である、こう言う者があるのでありまするが、サンフランシスコ平和条約におきましては、日本が国民政府あるいは中共政権のいずれと平和条約を結ぶかは全然日本の選択にまかされたわけでありまして、日本は、この選択権に
○佐多忠隆君 非常に重要な言明でありまして、これまで吉田自由党内閣のどの大臣も、財政計画の長期財政計画を立てようということはがんとして峻拒してこられた点でありましたが、今大蔵大臣は明瞭に、長期財政計画を長期経済計画に照応しながら立てるということを御言明になったのでありますから、この言明は裏切ることなしに正確にお立てを願いたい。誠実にお立てを願いたい。
なぜこういうことを申すかと申しますと、農産物の受け入れは、法律は異なりますけれども、吉田自由党内閣の遺産でございます。民主党はこの遺産を相続しなくてもよいはすでございます。このような背後に日本をアジアにおけるアメリカの防壁にするような協定に、心から鳩山首相は賛意を表されておるのか、伺うのであります。御返答のいかんによりましては、将来をトしたいと存ずるからであります。
昨年の四月、吉田自由党内閣時代に一四・四%の電気料金値上げについてこれにわれわれが反対するというと、今度七・七%の値上げをしてきたのです。われわれは数字的にその不合理を主張いたしました。と申しますことは、本日ここに提出を求めましたところの資料によりましても、九電力会社に国民の金を貸しておるのは、実に二千四百八十一億七千万円であります。こういうような莫大な税金を電力会社に貸しております。
大体吉田自由党内閣が、日本におりる総合的な燃料政策を間違ったので、日本における中小炭鉱もどんどんつぶれてきておるような現状です。私はやはり総合的な燃料対策というものは、早く樹立しておかなければならなかったのではないかと思うのでありますが、そういう点が、昨年以来の九州における中小炭鉱の崩壊等、非常に悲惨な状態になってきているわけであります。