1975-11-13 第76回国会 衆議院 社会労働委員会 第2号
すぐ医者に行ったが、左目が失明という診断を受けたとか、あるいは佐世保の堀本芳高さんの長女、美由紀ちゃんと書いてありますが、この二歳のお子さんも、やはり乾燥剤の紙袋をもてあそんでおって、袋が破れて顔にかかって右眼球を痛めた。
すぐ医者に行ったが、左目が失明という診断を受けたとか、あるいは佐世保の堀本芳高さんの長女、美由紀ちゃんと書いてありますが、この二歳のお子さんも、やはり乾燥剤の紙袋をもてあそんでおって、袋が破れて顔にかかって右眼球を痛めた。
それで、あとから来た中学下級生三人がそのたき火にさらにたきぎを加えまして、そして火を燃しておったところ、十分くらいたちまして、先ほど入れておきました弾頭部分が突然破裂いたしまして、三人のうち一人は死亡、それからもう一人は顔面爆焼、右眼球破裂、それからもう一人は、たまたま一人先に帰ると言って帰りがけまして、現場から二十メートルぐらい離れたところにちょうど立ち去りかけておりました関係で、これは幸いにして
○鈴切分科員 そこで、私は、死亡いたしました前田国徳君、そして顔面に爆焼、右眼球破裂の重傷を負いましたところの宮川橋一君の御両家にたまたまお伺いをする機会がありました。それで、死亡されました前田君の御両親は、国徳君を非常にたよりにしておったわけでございますが、三年たった今日、非常に明るかった国徳君の家も、国徳君がなくなってからというものは非常に暗い生活に変わっているという事実を見てまいりました。
彼は、右眼球摘出手術を近く受けねばならない。彼は、いまそれを知らぬ。彼は、右眼がまったく動かない、右半分の歯もぜんぜん利かず、右頬も、要するに右顔面全部の神経をやられていると語った。「ぼくの右眼はダメになるんでしょうか」と彼は医師に聞いた。医師は黙って答えなかったという。彼の左の眼も二、三日はぜんぜん開かなかった。指で無理にこじあけるようにして彼はものをみた。」
○楢崎分科員 それでは、この右眼球摘出、失明は知らないとおっしゃるのですか。東大病院のただいま申し上げました戸張、清水両先生に連絡をとられればすぐわかることですが、全然御存じないですか。