1989-06-20 第114回国会 参議院 外務委員会 第5号
で、そういう中国がいい悪いじゃなくて、現在そうでありまして、私は戦争前の中国に行ったこともあるし、それから戦争中に戦場で中国の軍隊とぶつかったこともありますし、それから戦争の末期ですが、当時おりました台北帝大からの官費の視察で北京に行ったこともありますし、それから戦後になると、片山哲さんなんかとも護憲運動をやったときに周恩来から呼ばれて中国に行ったこともある。
で、そういう中国がいい悪いじゃなくて、現在そうでありまして、私は戦争前の中国に行ったこともあるし、それから戦争中に戦場で中国の軍隊とぶつかったこともありますし、それから戦争の末期ですが、当時おりました台北帝大からの官費の視察で北京に行ったこともありますし、それから戦後になると、片山哲さんなんかとも護憲運動をやったときに周恩来から呼ばれて中国に行ったこともある。
○中村哲君 関連質問でさえもないと言えるかもしれませんけれども、私自身本来は政治学なんですけれども、いろんな関係から憲法の講義を台北帝大でしなければならなくなりまして、それでいきなり天皇の講義をしなきゃならなくなりました。
私は、さっきのことに一言関連したことを申しまして終わりたいんですが、旧憲法の講義から始めたものですから、私は美濃部達吉先生の憲法学者としては最後の弟子でありまして、そして天皇機関説が全国で問題になったときに、私は本来は南原繁先生の助手でありまして、ドイツ国家学をやっていたんですけれども、無職だというので、台北帝大の憲法の講座があいたときに、東大の公法の関係から台北帝大の憲法の講義に派遣されたというか
それは建前だけであって、実質的には、殊に台湾の新政府ができてからだと、彼は台北帝大の卒業生であります。そして、台湾は割にナショナリズムが一方で強いんですが、それらも非常に円滑に島内の統治がやれるようになってきているように思います。それからまた同時に、香港や中国大陸との交流をかなりじかにやるとしてきている。そういうときに沖縄が途中に入っても随分事情は変わってくるんじゃないか。
私はたまたま無職の新人だというのと、就職の日が、その当時は大学の職がありませんでしたものですから、たまたま台北帝大の憲法の講座の担当者に行きまして、その関係で憲法論をいたしましたのですけれども、今別に憲法論にこだわっているわけじゃないんです。そのことを一言申し述べておきたい。
その際神川先生は、国際政治の専門の立場からお話しになったのでありますが、私は、戦前台北帝大に十年間憲法を講じておりまして、その後終戦後は、法政大学その他で憲法を講義しております。そういう憲法を講義しております経験からいって、この今の憲法について、むろん批評はあります。憲法の学問をするからには、各国の憲法と比較していろいろ検討しなければならないわけです。