2021-03-02 第204回国会 衆議院 予算委員会 第18号
じゃ、オリンピックについてちょっと聞きたいんですけれども、橋本聖子参議院議員が東京オリパラ組織委員会の会長としての給与を辞退したという報道がありますけれども、公選法は、当該選挙区内にある者に対して、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならないというふうに規定していますけれども、橋本さんは参議院全国比例区の議員ですので、本来もらうはずの報酬を受け取らない場合には、組織委員会に寄附したことに当
じゃ、オリンピックについてちょっと聞きたいんですけれども、橋本聖子参議院議員が東京オリパラ組織委員会の会長としての給与を辞退したという報道がありますけれども、公選法は、当該選挙区内にある者に対して、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならないというふうに規定していますけれども、橋本さんは参議院全国比例区の議員ですので、本来もらうはずの報酬を受け取らない場合には、組織委員会に寄附したことに当
○宮本周司君 自由民主党、参議院全国比例で活動しております宮本でございます。 まず、質問に入ります前に、今回の地震で犠牲となられた尊い御霊に対しまして心より哀悼の誠をささげますとともに、また、被災された皆様方には心よりお見舞いを申し上げます。 今年に入りまして、私も党の仕事等で二度三度と熊本県訪れておりましたので、私自身も大変今つらい思いをしております。
参議院全国比例区の柘植でございます。よろしくお願いしたいと思います。 今日、話を聞いておりまして一つ感じたのが、いわゆる学問的見地から見る分権の形と住民サイドに立って住民と間近に接しておりながら考える分権の形というのはかなり違うんじゃないかということを、よくしっかり確認させていただいたわけでございます。
私が選挙というものに初めて深くかかわるようになったのは、一九七四年の市川房枝先生の参議院全国区の選挙でありました。市川先生は、従来から理想選挙という言葉を使っておられました。
○平岡委員 一般論としての答えであるから、私が質問したことについては必ずしも答えていないので、ちょっと事務方でも結構ですけれども、この佐藤正久当時の自民党参議院全国比例区総支部長が講演を行ったこと、このこと自体というよりは、むしろ、これを自衛隊の施設内で、自衛隊の司令官の招集に基づいて行わせた、そこに自衛隊員を招集させて聞かせたということについては、これは国家公務員の政治的行為の問題、あるいは公職選挙法上
思えば、昭和五十二年参議院全国区で当選させていただいて以来、その来し方を振り返れば、いま私があるのは、多くの先輩、同僚の御指導、御鞭撻の賜であり、地元神奈川を始めとする方々の暖かい友情の支えであることをしみじみと感じます。 私が生を得た一月前、時の犬養総理大臣が凶弾に倒れられました。いわゆる五・一五事件です。
これも委員の御指摘の中にございましたが、手話通訳者という方々、正式に認定を受けた人の数が地域的に偏在している、やはり首都圏に多い、そして、参議院全国比例の場合には、東京で録画いたしますものですから、そういった面では手話通訳ということが確保しやすいといったことで、申し込みがあったときには手話通訳をつけられる、こういうふうになっているものだと理解しております。
政治に一身をささげ尽くすその姿を目の当たりにし、小ざかしい理屈で政治に絶望などという己の愚かさを悟り、父の残した道に従って、夏の参議院全国区選挙に立候補。今も本院に御在職の田英夫さんに続き、百三十九万余の皆さんの御投票で、第二位当選の栄誉を与えていただきました。社会市民連合という新党で、当選は私一人。翌年、田さんたちと社会民主連合を立ち上げましたが、長くミニ政党のままでした。
○参考人(岩井奉信君) 御指摘のとおりで、代表をどういうふうに出していくかということでございまして、私自身は、先ほどからお話をしておりますとおり、やはり個人の識見というのがどういうふうに生かせるかということでございますから、一つの面では確かに昔のような参議院全国区という選挙の在り方というのもあるかなと。
衆参の定数是正、衆議院の小選挙区比例並立制、参議院全国区制を拘束名簿式比例代表制に変える問題、選挙の公営化、政治資金規正法の強化など、数々の改革に関与してまいりました。 今振り返ってまいりますと、今回の非拘束名簿への改正は、来年七月の参議院選挙を控え、拉致三国発見説、中川スキャンダル、KSDと、三点セットに支持率が低下を続けております森内閣を支える与党三党の断末魔のあがきとしか私には見えません。
第三に、かつて銭酷区と酷評された参議院全国区制度で問題にされた、選挙運動に金がかかる、候補者の肉体的負担が余りにも大き過ぎるという重要な問題を抱えた制度が、また復活しようとしているのであります。 公党であれ一般社会の契約であれ、お互いの約束を勝手に破るのでは、社会は成り立ちません。
次に、参議院全国区というのは、当初、全国的知名度の高い学識経験者と職能代表を選出させようとした制度であったと思っています。ところが、選挙区が広過ぎること、有権者にとって候補者の数が多く選択が困難であること、当初からいろんな問題が指摘をされました。
現在の制度は、残酷区、銭酷区とも言われたかつての参議院全国区を比例代表制に改め、金のかかる選挙の一掃を目指したものです。ところが、与党三党が打ち出している改正案は、それを逆行させ、再び天文学的な金のかかる選挙を復活させるものになっています。与党案は、たぐいまれな天下の悪法にほかなりません。民主党は、与党三党がもくろんでいる非拘束名簿方式の導入には断固として反対します。
当時、サラリーマンであった私は、やがて政界を退く父栄作の意志、自由を守り、平和に徹するとの政治信条を受け継いで、参議院全国区選挙に出馬し、当選することができました。昭和五十四年秋からは本院に新たな舞台を求め、今日まで通算二十五年、みずからの信ずる道を進んでまいりました。父も表彰されたこの議場で、父子二代にわたっての栄誉、ただただ感無量のものがあります。
そして、その翌年、昭和四十三年の参議院全国区に立候補、当選し、後に衆議院に転じて、以来今日に及びます。私の政治家への転身の動機は、その後の日本の発展と安定を眺めれば、幸いにも杞憂に終わりました。すべて国民の英知ある選択と、やむことのない努力のおかげであります。
総理、私は今から二十数年前、あなたが自由民主党公認候補として参議院全国区に立候補した折、千葉県の細川護熙遊説隊の責任者として県下を回り、応援をした一人でございます。自由民主党の旗のもとで日本の政治をよりよくしようという情熱に共鳴し、若い世代が結集しての応援でしたが、細川さん、あなたは華麗なる転身を重ね、今新党のもと、総理としてそこにお座りであります。
昭和五十七年、参議院全国区制が現行の比例代表制に改められたときは、与野党の激しい対立もありましたが、しかし法案が衆議院に送られた後は、可決までにはそれほど時間がかからなかったように記憶をしております。
この間に、参議院全国区、地方区、比例代表区、そして衆議院、お立場も与党、野党、そして前とは別の与党、さらに知事選挙、まさに選挙制度を総なめしておられ、ギネスブック物でいらっしゃいますが、国政では参議院の御経験が圧倒的に長く、参議院については豊富な知識と無限の愛着を持っておられることと拝察をいたします。
今、参議院全国区比例代表という制度がございますが、第六次の選挙制度審議会のときに私の試案ということで提案をいたしました案がございます。
(拍手) 私は、一九六八年、参議院全国区に初当選させていただきまして以来、東京地方区、衆議院東京二区と、国政選挙のすべてのタイプを経験させていただいた唯一の者でありますから、本日のこの栄誉は、本院の先輩、同僚の皆様方、並びに参議院の先輩、同僚の皆様方に心から感謝しなければなりません。
私が昭和三十五年に公選の特別委員になって今日まで三十年以上終始言っているのは、政党本位の選挙制度にしようということを言って、そして選挙制度審議会をつくって、特別委員になって、その中で、お配りしてありますけれども後で触れますが、今の参議院全国区比例代表というのは私が政策審議会長のときにつくった堀私案なんです。