2021-02-10 第204回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第1号
しかも、ステークホルダーの多様化と書きましたが、この北極には、やっぱり国々だけじゃなくて、オブザーバーとか、それから先ほど言った常時参加者といった国ではないような原住民族の組織体というものも入ってきます。
しかも、ステークホルダーの多様化と書きましたが、この北極には、やっぱり国々だけじゃなくて、オブザーバーとか、それから先ほど言った常時参加者といった国ではないような原住民族の組織体というものも入ってきます。
なぜかというと、彼らは、自分たちの裏庭とは言わないけれども、自分たち、土着の住んでいる場所であって、そこを幾ら国際社会が国際化したとかいろんな形で近くなったとはいえ、そこに国際社会のいろんな形での影響が入ってくることに対して非常に慎重なといいましょうか、ある種抵抗感というか、そういうものもある国々や、先住民族、原住民族というのがいるんですね。
今は自分たちで台湾原住民族というふうに言うんだというふうに言いまして、その彼らの少数民族の何といいますかね、誇りの回復運動みたいなのがありまして、それが成功しまして原住民族という自称が憲法にも書き込まれるということになっておりますけれども、その人口は二%ぐらいです。 あと、いわゆる外省人という人がいまして、この人たちは中国内戦の結果、国民党政権が負けて、この国民党政権とともに台湾にやってきた。
今現在、原住民族は三%しかいません。 ところが、明朝末期になりますと中国大陸の力は弱るわけであります。弱りますと西太平洋のパワーが台湾に影響を与えてくるということになるわけでございまして、十九世紀後半、台湾も開港いたします。そして、しょうのうの輸出、お茶の輸出、砂糖の輸出ということで非常に台湾の経済は機敏に反応いたしまして、このころから実は輸出主導の発展だったわけでございます。
原住民族というものもおったのでしょうが、これを非常に同和をさせてそして現在の日本民族になっている。そういう面では私は一番差別のない融和された社会ではないか。したがって、その先住民というようなことに対しましても平等な同じような待遇が一番いいのじゃないか。
もともとの原住民、先住民というよりも原住民族というのはおったのでしょうね。しかし、その人もあるいは北方系から来た人であるか南方系から来た人であるか、あとはその途中から朝鮮半島あたりからも大量に平安、奈良朝時代には来ておりますから、それがもう混然一体になっているのですよ、日本の場合は。だからそういう区別がなくなっちゃったと。
でどうやって調和を図るかという社会の再編成、それから貧困の撲滅、これは、もちろん所得が高くなれば民政が安定するということでございますので、この貧困の撲滅ということを基本理念としているわけでございますが、この中で、特に人種間の所得格差の是正、それから地方、農村を中心といたしました生産性の向上、それから生活の質的改善、雇用におきます人種比率の反映、資本所有におけるいわゆるブミプトラ、マラヤ系及びその他の原住民族
農林省の方が古いし、農林省の方が原住民族みたいなもので、後から環境庁ができたから農林省にうまくやられたのかもそれはわからない。これは権利の争いの問題があるわけですからね。しかし、それはそれといたしまして、現実に農林省の方である程度自由になる地域が多いと、しかもその中で屋久杉を保存していかなきゃならぬと、ごもっともなお話であります。
するとどういうことかというと、原住民族と移住民族の争いになるのです。原住民族は、われわれに黙って移住民族がじゃんじゃか来たものだから新築になったけれども、もともとここに住んでおった原住民族の方のは——これは言葉が悪かったら直してください——いつまでたっても直らない、地方財政が悪いから。
同僚議員諸君の御承知のように、最近の人類学者の指摘によりますと、日本本土の原住民は、幾つかの原住民族がおりましたが、北海道と沖繩に原住民族の遺跡が最も広く残っており、一部はまたメキシコのほうに南下して、メキシコの民族と日本の原住民族と非常に深い血のつながりがあることなどを論証しております。
私がある角度をもって歴史をながめれば、これは単なる民族の移動ではなくて、やはり東征という名のごとく、その原住民族に対してある種の武力を行使してこれは私の郷里ではそういう史実が非常に伝わっておりますから、そういうようななにから考えてみても、やはりこれを平定したということが当てはまるのではないか。これは私の一個の考え方ですが、そういう考え方もあります。
特にこの中で学者たちが様々に議論をしておりますのは、午前中のあなたのお話しと若干違うかもしれませんが、神武天皇に反抗した当時の原地人と申しましょうか、原住民族で、兄猾、弟猾という二人の兄弟があって、兄の方は反抗したのに対して、弟が裏切った例があります。
あるいは戦争で戦死したのではございませんけれども、二十年の八月十五日以降、祖国に帰って参りまするまでに、かつての日本の国策の遂行によりまして、原住民族の考え方が非常に圧迫を受けた、非常な無理をされた、それに対する民族的感情の反撃というものがございまして、そのために、言いかえまするならば、国民の代表というような意味でさいなまれ、生命を失った者か相当あるわけです。
○古屋分科員 特に私から要望を申し上げたいのは、ただいま私がお尋ねいたしました、終戦後健全なからだを持っておりましたけれども、原住民族その他の者から命を奪われて日本に帰ることができなかった者の遺族がおるわけなんです。この遺族の者たちは、他の戦傷病者その他旧軍人その他の戦争の犠牲になりました方々と同じに、特別な処遇というものを受けておらないわけです。
歩きおる人間の千人に一人が天皇族なんだが、われわれは原住民族の一人なんです。それで天皇は日本人すべての親である、そして天皇は親切な方だ云々とその徳をたたえておるのでありますが、日本の道徳教育のもとに、天皇に関連して道徳教育を教えようということは私は間違っておると思う。
東南アジアの外交を推進するためには、過去の、歴史を基盤として、この歴史の上に立った東南アジア原住民族の心理というものがどういうふうに動いていくか、その動いた先端に日本というものが乗っていかなければ、東南アジアの貿易の推進なんかというようなものは決してできるものじゃない。従ってこの点を巧妙に利用しておるのがソ連である。