2019-06-03 第198回国会 参議院 決算委員会 第9号
まず、私もこの子育て支援の問題、これは、平成五年に私は当選しましたけど、そこから厚生委員であるいは社会部会でやってきました。あのときに、エンゼルプランというのを平成六年、たしか初めてやった。あのときは、日本の場合は高齢化が急速に進むから、だから高齢者対策がずっと中心で来た。そして、やっぱり子育て支援、少子化対策が大事だということで政策的に打ち出したのが私はエンゼルプランだったと思います。
まず、私もこの子育て支援の問題、これは、平成五年に私は当選しましたけど、そこから厚生委員であるいは社会部会でやってきました。あのときに、エンゼルプランというのを平成六年、たしか初めてやった。あのときは、日本の場合は高齢化が急速に進むから、だから高齢者対策がずっと中心で来た。そして、やっぱり子育て支援、少子化対策が大事だということで政策的に打ち出したのが私はエンゼルプランだったと思います。
なぜこの富山の問題に思い入れがあるかといいますと、私が市議会からちょうど県議会に上がった年でございまして、こういう問題を本当に、例えば船橋と千葉県の連携、関東近県との連携を図って追跡調査ができるのかどうなのかというところを私は追跡した記憶がありまして、私も、前は厚生委員会という名だったんですが、今地方では健康福祉委員会という名に変わっておるわけでございますが、この席でもずっと問わせていただいたんですけれども
五月十九日には、沖縄県議会の文教厚生委員会に、北朝鮮による拉致の可能性が捨て切れない失踪者の早期救出と真相解明を求める家族会の皆様が出席されて参考人質疑が行われました。家族会の皆様は、昨年十二月の県議会に対する陳情で、第一に、県独自のポスターの制作、第二に、県民大会の開催、第三に、県の専門部署の設置の三点を求めていらっしゃいました。
一九九五年の食品衛生法改正に際し、衆参の厚生委員会で附帯決議がなされています。この既存添加物に対してどのような附帯決議がなされているでしょうか。
そして、今の伊達議長が、厚生労働委員、厚生委員会でもないのにこの部屋に来て、何をしたかといえば、強行採決のための緊急動議をすると、国対をずっとやっていたんだなと、本当にその当時のことをまざまざとこの議事録を見ると思い出させられるんですけれども。 その中で、百年安心と言っていたんですね。
○松本副大臣 先生が、厚生委員会だったでしょうか、この問題に熱心に取り組んでいただいていたときに御意見を拝聴しておりまして、私もインターネット通販の被害者の一人でありまして、お金を払い込んだんだけれども商品はいまだ届かないというような事例、こういったことに遭遇しております。
また、一九五二年の衆議院の厚生委員会で戦傷病者戦没者遺族援護法案に対する公聴会をやっているときに、大学教授などは、これはやはり軍人軍属だけでなく全ての戦争犠牲者に同様の援護を行うべきだと言っております。今の答弁で、生活保護法ができたからという答弁でしたが、承継をされておりません。これは今、もう戦後七十一年目になった今年、もう空襲被害者に対して何かやはりやるべきときだというふうに考えております。
一九九九年十一月二十四日の厚生委員会の矢野年金局長答弁、これは自主運用に積立金を変えたときの答弁ですが、例えば、予定利率の四%を達成できなければ年金財政がおかしくなるということではないと言っている。
佐久の病院につきまして、実は、先生、私も一応、衆議院に最初にいたときも厚生委員会、参議院に移っても厚生委員会でずっとやってきた地味な厚生族でございまして、関心は持ち続けているつもりでございます。ただ、ほかにもいろいろ仕事があって、なかなか十分なことができなかったことは先生お察しのとおりでございます。
平成八年十一月に厚生委員長に就任された際は、終始毅然として、公平かつ円満な委員会運営に努められました。中でも、懸案であった臓器移植法案について審議促進を主導され、異例の本会議での中間報告を経て法案の成立にこぎつけ、我が国における臓器移植の道を開かれたのであります。
この間、木村先生は、衆議院におきましては、逓信委員長、厚生委員長及び災害対策特別委員長等の重責を担われ、また、厚生政務次官及び厚生労働副大臣として国政の中枢に参画され、その卓越した政治手腕を遺憾なく発揮してこられました。 このように、木村先生は、高い見識と豊かな政治経験に基づき、我が国の議会政治発展のため多大の貢献をしてこられました。
ところが、今の現状はそうではないということを聞いておりまして、様々、昭和の時代からこの指導の対象が長くつながったことによって、ずっとやったことによって、医師、歯科医師の自殺者というものもいるということで、これは、この厚生委員会、昔でいう厚生委員会、そして厚生労働委員会でも大きな問題となっているわけです。
健康寿命を延ばすということが一番であって、やっぱり元気でいて、今先生PPKの話がありましたが、私も一年生議員のときには厚生委員会で視察に長野県に行って、ここがPPKだということで、佐久病院とかいろんなところに行って学びをいたしましたし、いまだに医療費の割合を見てみると、長野県は大変効率的な医療をやり、また元気な高齢者が多いというふうにも聞いているわけであります。
しかし、一年ぐらいたったところで、たしか厚生委員会に変わりまして、その後参議院に移りましたけれども、その後も、参議院は一つしか常任委員会は所属できませんでした、そういうことで、私は厚生委員会を選んだわけであります。
今度の塩崎大臣の場合は、御本人もおっしゃっておりますように、参議院の旧厚生委員会に所属をされていた時代が三年間程度おありだということですが、それ以外はほとんど当委員会以外の分野でございます。大蔵政務次官とか外務副大臣とか、さらには内閣官房長官、衆議院では法務委員長ということで、かなりばらばらな経歴をお持ちでございます。
決してGPIFだけでやっているわけではなくて、さっき申し上げたように、私は元々、衆議院に初当選のときから厚生委員会で、参議院に移っても厚生委員会でやってまいりましたので、今のような児童養護、それから私は、障害者施策については随分、田村前厚労大臣が社会部会長というのをやっていたときに一緒にタウンミーティングなどをやって、全国を回って自立支援法の成立に向けて障害者の皆様方から生の声を聞くということもやってまいりました
私も参議院におったときは厚生委員会に武見先生と御一緒に席を並べて仕事をしたことを覚えているわけでございまして、何とぞよろしくお願いいたします。
九七年四月九日の衆議院の厚生委員会の議事録見ますと、ここでは総理はこう言っているんです。薬価差は一兆円あると。それがそのままお医者様の懐に入っているわけではなくて、その根底には、現在の診療報酬が果たして適正であるかどうかということになってくると。
○政府参考人(原徳壽君) 公表されている議事録等により計算しましたけれども、それによりますと、第一次医療法改正では、参議院の社会労働委員会、ここで七時間程度、それから第二次医療法改正では、これは厚生委員会になりましたけれども、十六時間程度、それから第三次医療法改正につきましては、介護保険法案、それから介護保険法施行法案と一括審議で合計で三十八時間余り、それから第四次医療法改正につきましては、これは健康保険法等
今、矢倉委員のお話を聞いていて私も思い出したんですが、私も国会議員になる前に都議会議員をしていたときがありまして、そのときに文教厚生委員長をしていたんですね。私が委員長になって初めて東京都の教育委員と一緒に議論する場が、初めて提案して、非公式だったんですが、あったんですね。
非常に小さな委員会で、半年後には厚生委員会と一緒になって厚生労働委員会に。その後の議論は、ほとんどが年金、介護、医療。厚生の議論が非常に多くて、この衆議院議員の、委員会あるいは本会議でも、労働法制について論じる場が少なくなってしまったのかなと思っております。 きょうは、私、ずっと現場を見ておりまして、さまざまな意見を聞きながら、この場に臨ませていただいております。
大臣も、介護保険が誕生する前、平成九年四月二日、厚生委員会で小泉厚労大臣に対して質問をしていらっしゃいますよね。保険料を払うと、当然、給付に対する期待は深まるけれども、サービス自体が充実されていないと制度自体が成り立たなくなるということを大臣自身が指摘されていらっしゃる。まさに、私たちがよく、保険あって介護なしと言っていることを懸念されていたのではないか。