2019-11-19 第200回国会 参議院 厚生労働委員会 第4号
そこで、復旧が進むにつれて、手の届かない、なかなか一律的では手の届かない分野、きめ細かい被災者の支援活動はどうしてもボランティア活動に頼りたいんだという、ちょうど私も行ったときに、床上浸水のお宅で、ちょうど玄関先で家族と自分の学校の卒業アルバムを干されていた方に、こういうのってなかなか一律な支援じゃ受けられないし、自分たちだけでは大変なんだよねということで、ボランティア是非お願いできればなという声、
そこで、復旧が進むにつれて、手の届かない、なかなか一律的では手の届かない分野、きめ細かい被災者の支援活動はどうしてもボランティア活動に頼りたいんだという、ちょうど私も行ったときに、床上浸水のお宅で、ちょうど玄関先で家族と自分の学校の卒業アルバムを干されていた方に、こういうのってなかなか一律な支援じゃ受けられないし、自分たちだけでは大変なんだよねということで、ボランティア是非お願いできればなという声、
問題なのは、これ調査は現在進められているんですが、問題は、今卒業式です、この亡くなった女子生徒の写真が卒業アルバムから一切消えていたんですね、消えていたんです、遺族の了解も取らずに。遺族は、ここに書いてあります、写真載せてほしかったんですよ。
小学校、中学校、高校の卒業アルバムをゲットしたそういう業者が間違いなく送るわけです。就職のためのサイト、何とかナビとかいうのもありますけれども、なぜか就職の時期の大学三年生になると必ずそこに届く、こういうふうになっているわけです。これ買いませんか、あれ買いませんかというのがじゃんじゃん来るというのはもう皆さんよく御存じだと思います。
ですから、財源確保もしっかりして、やはり国が五から八に上げたわけですから、それは学用品だとか修学旅行だとか卒業アルバムだとか、もう本当にお金がかかるわけですから、とりわけ大変な御家庭ですので、ぜひ見切っていただきたいなというふうに思います。 高市大臣に、この点での財源との関係など、ぜひ御答弁をいただきたいというふうに思います。
参考人質疑でも、赤石参考人から、行動経済学の観点からも、貧困であればあるほど目先のニーズに対応して行動してしまう、あるいは、三月という入学・進学時期に一番お金がない、本当に卒業アルバム代も払えないので卒業アルバムがもらえない、制服も手に入らない、そのようなまさに悲痛な訴えがございました。
本当に卒業アルバム代も払えないので、もらえない。代引きで制服をいただく、なので、代金が払えないので制服が手に入らない。こういった御家庭のお話を聞きます。では、七月末から八月初めはどうでしょうか。夏休みになります。お子さんは給食がありません。この時期に御飯とふりかけだけで過ごしているような一人親もおります。 やはり電気代、それからガス代、携帯料金、こういったものは全て月払です。
実際にこの支給が必要なところに行っていないために、例えば修学旅行に行けないとか、卒業アルバムのお金が出せないから卒業アルバムがもらえない、写真に写れないというような、もう具体的な話を言い出すと切りがないぐらい学校現場でこの貧困の問題が影を落としているということを是非認識をして取組を進めていただきたいなというふうに思いますが、文科大臣、もう一回、この件について。
そうしたら、何かことしの厚生労働白書、長妻大臣の卒業アルバムみたいだと言うんですよ。何でかと見ると、おととしの二十一年版は写真を全然使っていない。写真は全然ないんですね。一カ所だけ、当時の大村副大臣の写真があるんです。 ところが、二十二年版は長妻大臣の写真だけで十三ページあるんですよ。
茨城でも、卒業アルバム、三人、ある学校でアルバムがもらえなかった。教材費、そういうのを親が払わないでもらえなかった子供もいるんです。学校の主任の先生が負担したという実例も新聞に出ていました。いろんなことがやっぱり現場はあると思います。学校給食の未納だって、子ども手当がじゃ交付されれば給食費未納減るんでしょうか。少しは減るかもしれない。
「呼びかけ文」として、「授業料が払えず、卒業アルバムをもらえなかった」「入学式に着ていく学生服の代金を待ってもらっている」「貧困は、大人にとってはもちろん、子どもにとっても背負うには重すぎるもの」であります。
やはりここをきちんと対応していただいたなと思うんですが、実は、四月二十四日の朝日新聞に、教材費滞納を理由に卒業アルバム渡さずという記事が載りました。
私も、小学校の卒業アルバムなんかを見てみますと、今の職業と小学校のころ目指していた職業とは全然違うわけでございまして、余り人のことを言える立場ではないのかもしれません。
あるいは、また学校のことを言いますけれども、卒業アルバムの顔写真を拒否する人が出てきた。卒業アルバムもできない。あるいは、私たちのかかわりで言うと、例えば一学期、二学期、三学期の、やあい、新学期が始まるよ、元気のいい子がたくさんいるねという写真がありますね、その写真を撮りに行くときでも、学校によっては、あらかじめどの写真を、どの子の写真を載せるか教えてくださいとか。
そうしないと、卒業アルバムができない、これから新学期迎えて学校の連絡網もできない、本当に社会のコミュニティーが損なわれていくと、こういう社会じゃいけないと思います。是非、今まで政府が、私はその辺の周知をやってこなかったツケがこのような社会を招いているんだと思いますから、是非その取組をしてもらいたいと思います。 そこで、竹中大臣に是非、国勢調査の関係、去年の十月行いました。
そういう中で、かなり個人的な話ですが、今の子供と我々、大臣もそんなに年が変わりませんから、我々の子供のときと随分違うなというふうに私は非常に感じるんですけれども、大臣が今のこういう子供を取り巻く状況を見たときに、振り返られて、自分の子供時代はこんなのだったなとかいうことを含めて、何かお感じがありましたらお伺いしたいのと同時に、最近、御自身の卒業アルバムとか文集とか、ごらんになったこともありますか、そういうことを
今、氏名、生年月日等、個人が特定できる生存者の情報ということは法の基本的な概念でありますし、学校において、名簿とか云々の中に卒業アルバムも最近加えられたということは承知をしております。その名簿をいろいろな部分で、商売の目的も含めて、非常な迷惑をこうむるという事例が多発している部分からいって、ここを厳格に管理しなければならないということはそのとおりだと思っております。
実は私自身思いましたのは、あのときに卒業アルバムに、同じクラスに被害者もいる、加害者もいたわけですよね。それで、加害者の子供を写真を載せるか載せないかということで子供たちがみんなが一緒になって協議をして、いや、載せた方がいいんじゃないかと、一緒にやってきたんだと、いや、怖いからとかいろんな意見が出て、結果的にお父さんの意見も聞くようなことがあったそうであります。
そして、六年生のとき、卒業が決定する前にアルバムをつくるので、平成六年の卒業アルバムには載っている、そのアルバムは十万円。そこには、そのときの六年生だった学生の住所録が載っているが、それ以外に同窓会名簿などもなく、他の学生の住所などは一切わからない。 平成八年、卒業できない、これ以上医学部で勉強できない旨の書面が大学より届きます。
ですから、卒業アルバムに名前も写真も出ていないわけですね。校長先生がほかの教員にも全く紹介していない。校長先生が会うのも、二度会ったか三度会ったかなというのが実態だということなんです。研修もしていなければ学校で授業もしていない。 今、矢野局長は、これは県のことだからコメントは差し控えるとおっしゃったわけですけれども、しかしこれも、税金でこの給与というのは払われているわけですね。
そして、卒業直前ということで、昨年十二月に校長先生とお母さんが面談をしたところ、何とか校門までは来れないだろうか、あるいは卒業アルバムに載せるからそれだけは、アルバムに載るということだけはのんでくれというようなお話があったようです。 学校に行けないというのは、実は大変つらい心境で、楽しくて学校に行かないという子が大勢いるというようなことは全くないわけです。