2015-05-28 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号
さらに、アメリカは、これを契機に北ベトナムへの爆撃、いわゆる北爆を開始し、地上部隊の大量派兵に踏み出していった。トンキン湾事件は、そういう決定的な契機とされた事件であります。 しかし、米国政府の当時の発表は捏造だったことが今では明らかになっております。
さらに、アメリカは、これを契機に北ベトナムへの爆撃、いわゆる北爆を開始し、地上部隊の大量派兵に踏み出していった。トンキン湾事件は、そういう決定的な契機とされた事件であります。 しかし、米国政府の当時の発表は捏造だったことが今では明らかになっております。
私も実は、一九七一年だったと思いますが、北爆の時代に、ベトナム戦争の時代にハノイで一カ月半ぐらい過ごしたことがありますが、実際の枯れ葉剤の使用というのは、ベトナムではすさまじいものだったんですね。いまだに影響が残っております。
それは、北爆とか、ああいうふうに無差別に爆撃をして民間の人も全部殺りくをする、そういうような戦い方ではない。今の精密誘導兵器の使い方というのは、どうやって民間人の犠牲を少なくし、どうやって自軍の犠牲を少なくするか、そのために考えられたものだと私は思います。
いや、それどころか、九条があったおかげで、今の現状よりも、小泉内閣の現状よりも、はるかに当時の日本政府はアメリカ軍に対して、九条というものを背景にしながら、日米安保条約を守れと言って、嘉手納基地から出撃しようとするアメリカ空軍の飛行機、北爆に行こうとするのを、直接行くことを拒んで、アメリカは仕方なくフィリピンのクラーク空軍基地で給油をするという形で北爆をした。
また、科学技術、特に電子技術を使った戦争で、ベトナム戦争のとき、私もベトナムへ行って、もう一週間か十日で北爆で殺されてしまったところですが、病院攻撃の中で。しかし、結局、そういう力によってベトナムに対する戦争をやっても敗北をしていった。
ベトナム戦争当時はまだ、北爆に行くのに日本の基地から出てクラーク基地に寄って、ワンクッション置いて行くというようなアメリカなりの配慮はあったと思いますが、今は全くそれなしにイラクに在日米軍が直行しているという事実があると思いますが、この点はどうお考えですか。
日本が戦前に行った戦争、例えば中国東北部への侵略戦争の始まりとなった満州事変でも、アメリカのベトナム戦争における北爆、トンキン湾事件でも、いずれも謀略宣伝によって開始されたことは厳然たる歴史の事実です。政府はこの歴史から学ぶべきです。 重大なのは、川口外務大臣が、大量破壊兵器を口実にしたアメリカによるイラク攻撃の最も良き理解者として、一貫してこれに協力、支援をしてきたことです。
それで、F4の場合は、一つは空中給油装置がついている、F4ファントムの場合はいわゆる支援戦闘機的機能、つまり爆撃機能が非常に強いので、これはベトナム戦争の北爆の主力爆撃機ですから、私も北側でそれを目撃しておりますのでよくわかります。
例えば、一九六四年からいわゆるベトナム戦争が勃発しまして、沖縄県の基地から北爆ということでB52が飛び立ちました。そのときに基地に働いている従業員諸君が、例えば向こうから故障して送られてきた重火器の修理とか車の修理とか戦車の修理とか、そういうものを直してまたベトナムに送る。
その最終局面がやはりベトナム戦争の村落の焼き討ちであるとか激しい北爆の活動であったというふうに理解しますが、その結果アメリカは、にもかかわらず負けたということの分析の中で、自国の兵士の生存はもちろんのこと、相手国における非武装市民の犠牲も出してはならない。なぜならば、それが反戦世論につながるからだという理解なんです。
トンキン湾に出ていったのが一九六四年、そして一九六五年から一応北爆が始まるわけなんですね。そして一九七三年まで、一応和平が成立するわけでございますが、長い八年間にわたる戦闘になるわけです。 これのさなかにそんな生易しいことではないんです。本当に議会が右往左往しながら、どうしたらいいんだろうか、そしてまた時の大統領もいろいろ考えるわけでございますが、大統領はとめようがないんです。
これは、例えば、最近言われていることでは、ベトナム戦争のときのトンキン湾事件、おとりの船を出して、それを理由に北爆を行ったということで、こういうケースがあるわけでございます。 このケース、五番目まではかなりアメリカの行動というのははっきりしているわけでございますが、だんだんやはり中には怪しげな行為、行動もあるわけです。
そして、横須賀寄港、それからさらにベトナムで北爆、当時ですからヤンキーステーションに帰るのですが、その間にどこにも寄り道をしておりません。航海日誌から地図に落として、全部私どもやってみましたが、どこにも寄り道はしていないですね。横須賀に来るまで寄り道はしていない。行くときも真っすぐ行っている。それから、ほかの船に荷物を積みかえたということも、記録には全然ございません。
その戦争の最も責任者だったマクナマラさんと、それからボー・グエン・ザップさんは最後に出られましたが、関係者が集まって三日間缶詰でハノイで、あれは何だったんだろうか、北爆をした、あのときにペンタゴンはこう思った、あなたはどう思ったの、違うよ、ああそうかとか、いろいろな議論を三日間にわたってやりました。またやろうとなっております。
そして、一番最後にマクナマラさんが、あの北爆のときその他、どんな敵でもコミュニケーションは大事だ、これがわかっていたらあんなたくさんの犠牲者を出さなくて済んだのにということを言われました。そして、なおかつこれを続けていこうというふうな話がございまして、その番組を編集した方が最後のコメントで、残念ながら日本にはこれがなかったという言葉を言われたことを非常に記憶をいたしております。
しかし、最後に申し上げたいのは、過去に、ベトナム戦争のときに私もこのことについて、つまり日本の基地からベトナム北爆にB52が直接参加することは許されないということで厳しく議論をした記憶があります。どうぞ、このことを政府は厳格に守っていただきたい、そしてアメリカに対しては毅然とした態度をとっていただきたいということを申し上げて、終わります。
最初に私が沖縄へ行ったのは総理よりも遅いのでありますけれども、それでもベトナム戦争真っ最中で、北爆の真っ最中でした。やはりあのB52が、あの黒い戦闘機が嘉手納から飛び立っていく。下から見ると弾薬が見えましたね。そして、嘉手納で友達と泊まってみると、本当に夜を徹して、朝早くからあの爆音の、調整音、すさまじい音でした。
嘉手納基地はベトナム戦争のときにB52の北爆基地に使われておりました。それから、湾岸戦争のときには米海兵隊は沖縄の海兵隊基地から出撃をしておりました。他国を攻撃するための日本にある軍事基地が公共のためかどうか、それは公共性があるんだとおっしゃるならそのとおりお答えください。
タイは、ベトナム戦争のとき北爆の拠点だったんですけれども、その米軍の基地を撤去させて、私がフィリピンの基地撤去のことを言ったら外務次官は私に、タイも米軍基地を撤去したことを忘れないでくださいと、そういうことまで言われました。そのクイも去年、九五年に非同盟諸国会議に参加したんです。
ちょうど私がやっていたころに、ベトナム戦争の北爆が再開をされたら、CBSテレビの著名なニュースキャスターであったウォルター・クロンカイトという人はとうとうとその事実だけを報道します。しかし、彼は絶対に意見を言わない。しかしそのときに、それじゃこれをどう考えたらいいか、我が社のニュースコメンテーターに聞いてみようと。