1956-03-30 第24回国会 衆議院 本会議 第29号
今回繊維製品検査所の出張所を設置しようとする和歌山県高野口地方は、戦前から輸出入絹シール織物の生産が旺盛でありましたが、戦後においても、昭和二十五年ごろより輸出の引き合いがあり、その生産高も逐年増加し、昭和三十年における出張検査高は約四百五十万ヤールに達し、戦前に比較し約五倍の検査高であります。
今回繊維製品検査所の出張所を設置しようとする和歌山県高野口地方は、戦前から輸出入絹シール織物の生産が旺盛でありましたが、戦後においても、昭和二十五年ごろより輸出の引き合いがあり、その生産高も逐年増加し、昭和三十年における出張検査高は約四百五十万ヤールに達し、戦前に比較し約五倍の検査高であります。
今回繊維製品検査所の出張所を設置しようとする和歌山県高野口地方は、戦前から輸出入絹シール織物の生産が旺盛でありましたが、戦後においても昭和二十五年ころより輸出の引き合いがあり、その生産高も逐年増加し、昭和三十年における出張検査高は約四百五十万ヤールに達し、戦前に比較し約五倍の検査高であります。
今回繊維製品検査所の出張所を製置しようとする和歌山県高野口地方は戦前から輸出入絹シール織物の生産が旺盛でありましたが、戦後においても昭和二十五年ごろより輸出の引合があり、その生産高も逐年増加し、昭和三十年における出張検査高は、約四百五十万ヤードに達し戦前(昭和十三年)に比較し約五倍の検査高であります。