1988-12-06 第113回国会 参議院 文教委員会 第9号
○国務大臣(中島源太郎君) いつもながら、下村先生の今お読みいただいた中で、教育の原点、これはみずから体得された貴重な経験を内村先生はされたな、こう思います。
○国務大臣(中島源太郎君) いつもながら、下村先生の今お読みいただいた中で、教育の原点、これはみずから体得された貴重な経験を内村先生はされたな、こう思います。
この二年につきましては、当時三池災害あるいは他の炭鉱災害の経験から、東大精神科の内村先生あるいは北大の諏訪先生、九大の黒岩先生等、専門家の御意見を拝聴して、およそ二年間、健診義務を課せば、異常者の発見が可能であるというような御意見をいただきまして、規定されたというふうに承知しております。したがいまして現在のところ、この健康診断の期間について適正なものと考えておるわけでございます。
昔の小作というのは内村先生は御存じないかもしれませんが、私たちは年代が古いからよく知っている。これは地主さんの言うとおりですよ。どこへ持って行くといったら、その倉庫に持って行かなければならない。それ以上です、これは。そういう漁業協力なんというようなものがあるかというのです。
の担当している主たる番組は「ふるさとの歌まつり」でして、これはその地域地域の聴取者が中心となって地方色を豊かにしていく番組でございますので、そういう意味では、宮田君のその地域に、地方に参りましての話しことばが、NHKが大体きめている、長年研究の結果きめている話しことばと多少ニュアンスが変わってくることもあり得るかというように私は考えますし、まあ、ことばからくる官僚性という点については、むしろ私も内村先生
そこを私は内村先生がついたのだと思うのです。せんだってもある司会者が−船頭というのがありますね、船で川を渡っていく船頭ですね。これをわれわれは普通船頭と、こう言う。これを「セン」にアクセントをおいて「センドウ」さんと、船頭さんと「センドウ」さん、発音のしかたですけれども、女のアナウンサーでしたけれども、「センドウ」さん、こういうふうに使っておりました。
しかし考えてみますと、当時私が入学しました北海道の内村先生の教室は、医局員が八人でございまして、ほんとうに自由に六年間勉強したのですが、もうそういう歴史を戻すことはできないと思うのです。私が東京大学におりましたときには、医局員は百四十名ぐらいで、その中には一週間に一ぺんか二へんしか勉強に来ないという諸君もおりました。ほうとうに働いてくれる人は助手の数が十二人で、それですべてをまかなう。
○山手国務大臣 御承知のように沖中先生や内村先生は、最高の顧問といいますか、うしろ立てのような立場にお立ちになったわけでございますが、何と申しましても現地では最高のスタッフと思われる大学病院の先生方が三年近くにわたってずっと見てきておられます。
○村上説明員 内村先生などは、現地に行かれました際に、症状の型に応じまして——もちろん八百二十二名全員内村先生がごらんになったわけではございません。型に類別いたしまして、その型ごとにいわばモデル的な患者の状態を診断せられた、こういうふうな事実はございます。
○河野(正)委員 その三池医療委員会が非常に権威あるものというふうにいわれておるのですが、それは内村先生あるいは沖中先生が所属されておるということだろうと思うのです。それならば、この内村先生、沖中先生は実際にどの程度患者に接触されておりますか、その間の事情をひとつお答えいただきたい。
○小柳勇君 私は、大臣が方々で言われる、内村先生、沖中先生に判断をしていただいたのだから、もうこれ以上労働省としては手はございませんと言われることばは、ただいまの証言によって撤回してもらいたいと思うのです。そういうことで、これはごまかしですよ。病人対医者との関係は一対一ですよ。そのために医者は自分でちゃんと、どんなに御老体でも聴診器を自分でもって診察される。
内村先生とか沖中先生、日本で有名な先生が診断されているのだから、それを信ずる以外にないとおっしゃる。八百二十二名の方を内村博士、沖中博士が直接診察された事実はあるのですか。
今回の医学的所見の基礎になりましたものは、二十数項目にわたる精密な検診の結果でありますが、内村先生などが患者の診察をしたことがあるかどうかということでございますが、内村先生は患者の型と申しますか、幾つかのタイプがございますが、そういった特有の型の種別に応じまして、もちろん全部ではございませんけれども、そういった患者について診察をされた事実はございます。
だが、内村先生のお話に、あすこにある家のうち何戸移転するかというようなことを見きわめをつけてまとめるべきだ、こういう御趣旨の御発言と拝聴いたしましたが、この点につきましては、私今申しますとおり、なるべく両院の御意見でありますから、全部を移転できることを目標にして、従来は少なくも私は努力をいたして参ったのであります。そのうち何戸移転すればいいといったようなことでなく私は進んで参ったわけであります。
○政府委員(前田光嘉君) ただいま内村先生から御質問の第一点嘆阪神高速道路の計画につきまして、将来の交通量の増加についてどういう考慮をしているか、一応四車線であるけれども必要に応じてあるいはそれをさらに拡幅、あるいはさらにそれ以上にも使えるような方法を考慮したらいいじゃないかという御質問でありますが、全く同感でございまして、道路はやはり交通の量に即応したものでなければなならないと思います。
○政府委員(前田光嘉君) 目下検討中でございますが、まあ建築の実際から見まして、二千平方メートル以下のような小さい建築物に附置を義務化することは、これは内村先生も先ほどおっしゃっておりましたように、かえって交通の面から見て支障を起こすおそれもありますし、また一面、建築経済上の不経済な面もございますので、その程度の前後において認めるべきではないかと思っております。
○参考人(靱勉君) 内村先生の御意見、私ども実は全く同感でございまして、例の十円募金というのをやったのでございますが、これは十円募金なんてみみっちいという御批判もあったのでございますが、私どもとしては、やはり全国民のひとつ御支持を得たいということで、まあ羽は共同募金でやっておりますので、これは考えまして、シールを出しましてやったわけでございますが、これはいろいろ皆さんの御意見、たとえば共同募金をやられておる
○政府委員(河北正治君) 前回、内村先生から、道路工事をきめて採択していくのに何らか基準があるだろうということで、私の説明が足りなくて申しわけございませんでした。
○国務大臣(中村梅吉君) 今内村先生御指摘のとおり、このオリンピックの諸準備を進めて参りますのには、いろいろな各省に関係し、またがっているわけです。
○政府委員(鬼丸勝之君) 先ほど内村先生からの資料の御要求でございますが、四日までという御注文でございますけれども、内容によりましては、相当これ膨大な資料になりますから、できるだけ急がせますけれども、また御注文に沿い得るように努力いたしますが、あるいは四日まではむずかしいかと思いますが、御了承をいただきたいと思います。
○政府委員(河北正治君) 内村先生からの御注文でございますが、一級国道は、大体あれですが、二級国道は、目下個所付の作業をいたしておりますので、正確のものが今ちょっと出せないかと思いますが、その点お含みいただければ提出させていただけると思いますが。
この土工事は、滑走路、誘導路、エプロン、大体この三つに分かれておるわけでございますが、これが、先ほど内村先生がおっしゃいましたように、三十六年度に完成いたします。で、なお管制施設あるいは保安通信施設というふうなものが三十七年度に完成する予定になっておりまして、従来のローカル空港の建設の態様とほぼ同じでございます。
○説明員(宮崎仁君) ただいまの内村先生の御趣旨は、まことに私ども日ごろ考えておるところでございまするので、そういう方向で努力をいたしたいと思います。先ほど若干触れましたように、こういった都市におきまする建築の形態といいまするか、そういうものが非常に変わってきておる。
かりに具体の問題といたしましては、ただいま内村先生からお話のございましたように、民法の共有関係の規定の関係の条文をお示しになったわけでございます。
それから「国鉄の公共補償(久大線)に怖れなしダムサイトの組合せ外せるか下榎釣を」ということでございますが、これがケほど内村先生からす話がございましたが、日田市のこの地点でございまして、この地点はずうっと川に沿いまして久大線が通っております。
○安田敏雄君 今、内村先生の御質問に関連して、玖珠川と大山川の流量は、先生の質問では、玖珠川の方が流量が多いのだ、御答弁の中では大体同じ流量だと、こう言いますが、下流の合流点がありますが、この地点でもって、大体、両河川の流量は、どれくらいになっているか、数字を示していただきたいと思います。