1996-12-11 第139回国会 参議院 予算委員会 第2号
○及川一夫君 昭和六十三年ですか、その前に昭和四十二年、四十三年ころに共和製糖事件あるいは日通事件という大汚職がございまして、さまざまな政治的な問題になりました。たしか総理も国会に出られたころの話じゃないかというふうに思っております。 当時行管庁に行政監理委員会というものがございまして、ここで何か答申みたいなものを出されておりますよね。
○及川一夫君 昭和六十三年ですか、その前に昭和四十二年、四十三年ころに共和製糖事件あるいは日通事件という大汚職がございまして、さまざまな政治的な問題になりました。たしか総理も国会に出られたころの話じゃないかというふうに思っております。 当時行管庁に行政監理委員会というものがございまして、ここで何か答申みたいなものを出されておりますよね。
その主なものでも、東独カリ輸入事件に始まり、共和製糖事件、ロッキード事件、そして佐川急便事件、金丸事件と、実に三十七年間で主なものだけでも四十件に上るという汚職・疑獄事件を数えるのであります。その都度、政治倫理の確立、政治改革が叫ばれながら、自民党政権はその金権体質を改めることなく、今日まで政界浄化の実を上げることができなかったのであります。
即ち、選挙の直前に国有地払い下げ問題や政府系資金の不正融資をめぐる共和製糖事件等、いわゆる黒い霧が政界を覆い、その 浄化と倫理の確立が叫ばれ政治家の清潔さが問われた選挙でありました。 また、その時代は米ソ対立が極限にまで達し、米国は過日北ベトナム軍がハノイに対し空爆を強行して代理戦争は本格的な世界戦争に発展するかと心配されたときであります。
御承知のように、第五次選挙制度審議会におきましては、あの共和製糖事件の反省の上に立って、緊急に措置すべき事項として、政治資金は個人献金に移行すべきであると、もう緊急課題として答申を出されたわけでございます。ですから、企業献金を禁止すべきであるという声は最近出てきた問題ではない。今回リクルートで再びこのような議論が巻き起こってきたわけであります。
また、委員会における質疑、質問に関することが職務であるという判断をいたしました共和製糖事件がございます。また、他の議員に対する働きかけというものについて職務権限を認めましたものとしては、日通事件あるいは大阪タクシー事件があるわけでございます。こういった判例にぴったり合う事案につきましてはやはり贈収賄が成立する、これは極めて明らかであるというふうに言わざるを得ないと思います。
私はかつて共和製糖事件のときにこれを徹底的に追及した経験があるのですが、やはり金がだぶついてたくさんあると、それを貸して運転しなければならぬというので、無理な融資先をこしらえる。そこに利権が絡んでくる。そういった問題で非常に問題を起こすわけです。
かつての共和製糖事件ございましたね。あのようにその業務が拡大解釈されてまいりますと、そこに政官間の癒着が起きて、そのために黒い霧の事件が発生したと同じようなことになりはしないか。
戦後の日本において国会議員が逮捕されたり、自民党の総裁選挙資金づくりが絡んで政界を揺さぶった疑獄事件を見てみますと、昭和二十二年の炭鉱国管事件、二十三年の昭電事件、二十八年の保全経済会事件、二十九年の造船疑獄事件、三十六年の武州鉄道事件、四十年の九頭竜川ダム事件、吹原事件、四十一年の田中彰治事件、共和製糖事件、四十三年の日通事件、五十一年のロッキード事件等が次々に発生しております。
佐藤内閣時代には、四十二年二月、共和製糖事件。また、四十二年の八月には大阪タクシー事件。そして四十三年二月、日通事件と続いております。 さらに、地方公共団体職員の収賄事件受理処理人員について調べましたところ、四十九年に、通常受理人員が四百九十人、そのうち起訴された者が二百八十七人、不起訴が二百三名となっております。五十年が、受理が六百件、起訴が三百二十八件。
それは、共和製糖事件とかあるいは台湾バナナとか、そういう問題が非常に世論の非難を浴びて、国会はついに四十一年十二月二十七日にいわゆる黒い霧解散ということで解散に追い込まれる、こういうことになったわけでありますが、このとき、当時の総理大臣でありました佐藤榮作さんは、国会の答弁の中で、最近の日本の政治は狂っておる、こういうことを述べておるわけですけれども、一方、幹事長であった田中角榮さんは、調査や公表は
たとえば共和製糖事件のときには、佐藤内閣はみずから調査に乗り出した。調査結果の報告を国会に持ってきているんですよ。ところが、三木内閣に至るや、ロッキードについてもすべて法務省あるいは捜査当局任せ、国会任せ。何をしましたか。ミグ25にしてもそのとおり。こういったように、今日の三木内閣という、その状況というものは、全然、みずから進んでいろんなことに手を下すということをなさらないんですね。
それは昭和四十一年のいわゆる共和製糖事件等に行われた俗に言う黒い霧解散でございまして、黒い霧解散、あの解散という名のもとの指揮権がまかり通って、選挙と同時にあのもやもやの黒い霧が全部、道義、正義的ないわゆる追及の範囲から逃れてしまった。
昭和電工事件、石炭国管事件、造船疑獄事件、保全経済事件、武州鉄道事件、売春汚職事件、吹原・大橋産業事件あるいは田中彰治事件、共和製糖事件、タクシー汚職事件、日通事件というように、みんなこれは政府の高官や政治家が介在してかもし出された汚職であり、汚職の疑いのあるものであります。
そうすると、野党の場合ですね、いままで日通事件とか共和製糖事件とか、こういうものが私の少なくとも短い議員経験では経験しているわけですが、それをいまに当てはめるかどうかは別にしましても、ついせんだっての、これもまあ巷間のうわさの一環でしょう、全日空のトップが逮捕されたときに、盆暮れには航空族に、議員に対してはもう五十万や百万と贈られているんだと、しかもそれは三十名ぐらいだと、こんなこともこう活字にすでになって
これが引き延ばされてくると、いま国民が大いに心配している問題は、これまでたとえば共和製糖事件では五十六人の国会議員が調べられながら、起訴されたのは社会党の相澤議員たった一人、日通事件は四十七人の国会議員が調べられながら、起訴されたのは自民党一人、社会党一人、たった二人という、同じような結果にこのロッキード事件がなるのではないかということであります。
過去にさかのぼって、昭和二十三年の昭和電工事件、あるいは二十九年の造船疑獄事件、あるいはその後、日通事件あり、共和製糖事件あり、九頭竜ダム事件あり、吹原・森脇将光事件あり、こういうやや政治家が介入して、構造汚職までいかなくても、やはり構造的においのする汚職については、これは国民の側から見ると、検察当局に対する不信感はこれをぬぐえと言ったってぬぐい得ないものがある。
そして私は、福田副総理が大蔵大臣だったときの共和製糖事件、これをちょっと例に出したいんです。あのときの例を出すまでもありません。三木総理も当然御存じです。当事者の福田さんは大蔵大臣ですから、あのときは。あのときは、この共和製糖事件は刑事事件です、そうですよね、当然ね。で、国会に対して四十一年九月二十九日、政府の責任において本問題の実態を調査する旨の答弁を行った。
○国務大臣(福田赳夫君) 共和製糖事件というのは、私がIMFの総会のためにアメリカへ行っておるその最中に起こったんです。その最中の出来事の詳細は記憶しておりませんけれども、そこにそういう資料があるとすればそれは事実と、かように考えます。
ずいぶん知っておられても、公開の席では圧力がかかってなかなか言えないという立場ではないかと私は思うのですが、これに対しては十分対処しないと、これはたいへんな第二の共和製糖事件になりかねないという心配も私はするんです。そういう意味で、この問題については、御存じのように、飼料で全農もたいへん苦しい立場になられた。
私どもの農林中金は、これだけの大きな資金量でございますので、特に国会でも、かつて非常な御高配を賜わりました共和製糖事件というような前例もございますので、私がその善後措置を引き受けたというてまえもございますが、あれを機会に、従来の監事二名を、系統の信連会長から特に監事一名を増員いたしまして、現在三名の監事で鋭意監査をやっていただいております。
タクシー汚職とか共和製糖事件とか日通汚職など、これまでもいろいろ政界と財界との結びつきの問題が、社会ではもちろんのこと、国会の中でも問題になってきました。財界、独占資本と政界とのきたない結びつき、それが政治腐敗の直接の重要な根源をなしてきているということは、今日では天下周知の事実となっております。
吹原事件、共和製糖事件、日通事件等々を通じて、その根本が政治資金規正法の抜本的改正にあることが指摘され、政治家がえりを正すことを申し合わせたはずであります。その際、佐藤総理は小骨一本抜かないという名せりふを残されたのであります。佐藤さん、いまあなたが総理の席を去られんとするにあたって、その理由はいかがあれ、その御答弁がいかにそらぞらしいものであったか、御自身が身にしみておられることでありましょう。