1967-04-21 第55回国会 衆議院 決算委員会 第5号
その後、追加担保の徴求といたしましては、共和糖化工業の神戸工場、同じく水戸工場、同じく千葉工場、共和製糖の宮崎製糖事業所の社宅用地、それから同じく東京工場、そのほか共和製糖の本社ビル、それから兵庫県芦屋所在及び滋賀県所在の山林を、昭和四十一年十一月から四十二年一月の間に担保に徴しまして、それぞれ登記を完了いたしたのでございます。
その後、追加担保の徴求といたしましては、共和糖化工業の神戸工場、同じく水戸工場、同じく千葉工場、共和製糖の宮崎製糖事業所の社宅用地、それから同じく東京工場、そのほか共和製糖の本社ビル、それから兵庫県芦屋所在及び滋賀県所在の山林を、昭和四十一年十一月から四十二年一月の間に担保に徴しまして、それぞれ登記を完了いたしたのでございます。
ただいま御指摘の私のほうの金庫の融資は共和製糖ではございませんで、同じグループの共和糖化工業に対する融資でございまして、調査報告書にもございまするように、昨年の八月末の残高が二十七億八千万円になっております。
○大和田説明員 共和グループ関係、特に共和製糖、共和糖化工業あるいは共和産商を含めまして、借り入れ金の現在高は、私ども調査報告書の三十二ページに詳細報告申し上げております。
○大和田説明員 これは特別の方法ではなくて、共和産商が、いわば同一グループの共和製糖なり共和糖化工業に株式を譲渡したという次第であります。
東食が四十万株、菅貞人氏が二十二万九千四百株、東洋棉花が十万株、なお、共和糖化工業について申し上げますと、資本金三億で株式総数六十万株で、株主は共和産商が一名、全部六十万株を持っております。
○説明員(大和田啓気君) これはなかなか人の心境をうかがうということはむずかしいわけでございますけれども、私は、いま申し上げましたように、従来いわばホールディング・カンパニーとして共和製糖なり共和糖化工業の株を相当たくさん持っていた共和産商が手放したことによって、今後も共和産商がこの共和グループの中核としてやっていくかどうかということについては疑問を持っておるわけでございます。
○渡辺勘吉君 しかし、少なくとも菅貞人氏が共和製糖なり共和糖化工業の代表取締役たるものを辞任したという意思表示は、これは、従来も数々の政府をだまし、金融機関をだまし、そういう多少の反省があってやったことでしょう。だとすれば、なぜこういう共和産商とかその他の代表取締役も辞任しないのですか。どう理解しますか。
○渡辺勘吉君 次に、ちょっと角度を変えて一、二お伺いをいたしますが、過般、新聞発表等によって菅貞人氏が共和製糖とかあるいは共和糖化工業の代表取締役を辞任したと伝えられるのですが、真相はどうですか、現実に辞任さしていますか。
○大沢説明員 細島以外、共和グループ関係の共和糖化工業十二億——ちょっと正確な数字を私覚えておりませんが、十一億幾らかの融資をしております。
それから千葉共和糖化工業の工場には一億五千五百万出しておる。南島開発に一億七千万のうち、設備が一億で七千万が運転資金だと理解するのですが、そのとおりですか。
○渡辺勘吉君 もう少し詳しく伺いたいのですが、共和グループの融資の中で、共和糖化工業の千葉の設備が一億五千五百万、南島開発が一億七千万、あとは、あれですか、全部細島ですか。
○参考人(楠見義男君) それ以外の、いまお話しになりました以外のものは、共和糖化工業それから共栄糖化に対する貸し付けでございまして、その二十九億一千五百万円の内訳は、共和糖化工業が二十七億八千万円、共栄糖化が一億三千五百万円、合計しましてただいま申し上げました二十九億一千五百万円、こういう数字でございます。
それから、そのほかに共和糖化工業が千葉に持っておる土地がございますが、それを取っております。簿価で合わせて二十四億九千九百万円、こういうことでございます。
この点は数字のいろんな関係がありますので、少し私の誤解が伴うかもわかりませんが、かりに四十八億円といたしましたならば、八十億円の担保能力があって、その六割が融資されておる、こういうふうに見るべきでないかと思うのだが、この共和グループなるものが、共和製糖、それから共和糖化工業、共栄糖化の三つに集約されておりまするが、一体この設備の評価額というものはそんな膨大なものなんでしょうか。
○大和田説明員 いわゆる共和グループというのは、なかなか複雑なようでありますが、私ども資料として差し上げましたように、ただいま三行関係で問題になっておりますものは、共和製糖と共和糖化工業、共栄糖化でございます。それ以外にこのグループに関係いたしておりますものの二、三を申し上げますと、一つは南島開発株式会社ということで、これは鹿児島の与論島にございます、甘蔗糖の製造をしておる会社であります。
農林漁業金融公庫は、共和糖化工業に対しまして十一億六千八百万円の貸し出し残高を持っております。農林中金は、共和糖化工業と共栄糖化と合わせまして三十億七千万でございます。 なお、共和糖化工業の二十九億三千五百万円に対しましては、そのうちの設備資金は約一億五千五百万円で、あとは、短期資金でございます。
○参考人(大沢融君) 公庫からいまおっしゃる共和糖化工業へ七億七千百万円貸しまして、三月三十一日現在の残高が六億四千八百万円ちょっとでございます。それから、これは貸し付け当時は独立の会社であったわけですけれども、その後共和糖化と一緒になった会社ですが、日本糖化、もとの名前が明利酒類と申しますが、これに一億五千九百万、残高一億二千七百万ちょっとでございます。
共和糖化工業は連年欠損申告でございます。それから共和産商も同様でございます。それから日本糖化も四十年九月期は所得の申告がございますが、それ以前は欠損申告でございます。九州食品、四国糖化、いずれも欠損申告に相なっております。それから共和糖化工業に合併されるまでの東洋果糖という会社がございますが、これも連年欠損申告になっております。それからこれは農林開発興業、これも連年欠損申告に相なっております。
先ほどおっしゃった、いろいろの履歴があると言われたんですが、共和糖化工業、これに対して三十四年ころから、ほかのブドウ糖企業をやられる方と同じように融資をしてまいった。また先ほど申し上げた日本糖化という名前ですが、当時は明利酒類という名前で、これもそれの一つとしてやったということでございます。
ブドウ糖との共用の施設があるわけですが、そういうものについても物的担保として抵当権を設定しているというようなことでございますが、先ほど申し上げましたように、いろいろな事情で償還を多少延ばすというような事情もありますので、つなぎ担保として何らかのものをさらに取ったほうがいいということで、これはだいぶ前から東洋果糖、現在の共和糖化と交渉いたしまして、逐次十分なものを取りたいという気持ちで、さしあたりは共和糖化工業
○参考人(大澤融君) 融資の申請をしました会社は現在は共和糖化工業に合併を受けておりますが、東洋果糖でございます。それからブドウ糖全体の計画としては約十三億を計画しております。そのうち公庫は八億の融資ということで申請があったと思います。
三十四年には共和精糖の社長、三十五年には社団法人日本ぶどう糖工業会の副会長、三十六年が共和糖化工業の社長、三十六年は日本甘庶糖工業会の理事、三十七年が社団法人甘味資源振興資金管理会の理事、同じく三十七年が全国澱粉糖工業会の振興会会長、同じく三十七年が新日本シュガー協会の理事、同じく一二十七年が南栄糖業取締役副社長、三十七年が社団法人日本農林規格協会副会長、三十八年が南島開発取締役会長、三十八年同じく
しかし、工業会自身として設備を持っているわけではないので、その傘下の共和糖化工業に委託をしてやるという形をとったわけでございます。工場そのものとしても非常にりっぱなものでございます。
○牛田寛君 もう一つお伺いいたしますが、ブドウ糖とまぜるための試験研究と理解していたわけなんですが、共和糖化工業は、ブドウ糖の工場として特に優秀であると認められる理由がおありだったのですか。
○政府委員(大沢融君) 共和精糖とおっしゃいましたけれども、これはブドウ糖を作っております千葉の工場で、共和糖化工業——そこへ五千トンの割当をしております。これは事実でございます。
このことは工業会そのものがやるのではありませんで、一昨日もお話いたしましたように、千葉県にあります共和糖化工業、ブドウ糖会社でありますが、そこへ委託をして試験をする、そういうことを五月の終わりごろに工業会がきめまして、食糧研究所あるいは役所の指導を願うというようなことをいってきたわけでございます。
○大澤(融)政府委員 千葉で試験をしておりますのは共和糖化工業株式会社、ブドウ糖の製造の会社でございます。それから、精糖しておりますのは共和精糖、ここへ割り当てられたものを共和精糖に委託して精糖している、そして消費税を払ってそれを使っている、こういうことでございます。