2006-05-23 第164回国会 参議院 法務委員会 第19号
江戸時代に、自殺した人が落ちて、その落ちたところがお寺の境内か町の道路かで所管が寺社奉行と町奉行が分かれて、どちらにするかというのをもめたことがあったようでございますが、上の方の公事方の判断がございまして、首の落ちた方の場所で所管を決めろというふうに名判断があったようでございます。
江戸時代に、自殺した人が落ちて、その落ちたところがお寺の境内か町の道路かで所管が寺社奉行と町奉行が分かれて、どちらにするかというのをもめたことがあったようでございますが、上の方の公事方の判断がございまして、首の落ちた方の場所で所管を決めろというふうに名判断があったようでございます。
これはずっと大きな目で見ますと、かつて中国から律令の制度を継受しましたのが、やがて日本で御成敗式目でありますとか、公事方御定書てありますとか、そういう日本的なものに変質してくるという過程もあったかと存じますけれども、同じようなことが明治の時代にはフランス法、ドイツ法への接近とそれからの離脱、戦後はアメリカ法の継受とさらにそれからの離脱という形で起こっているのではないかというのが第一点でございます。