2015-05-13 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
吉田茂総理は西側諸国との単独講和を決意していましたが、学者、知識人や革新陣営の間では全面講和論が強まり、国論が二分をしておりました。 そうした中、吉田総理は、自由党の両院議員総会において、全面講和などというのは言うべくして到底行われないことだ。それを南原繁東大総長などが政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは、曲学阿世の徒で、学者の空論にすぎないと発言しました。
吉田茂総理は西側諸国との単独講和を決意していましたが、学者、知識人や革新陣営の間では全面講和論が強まり、国論が二分をしておりました。 そうした中、吉田総理は、自由党の両院議員総会において、全面講和などというのは言うべくして到底行われないことだ。それを南原繁東大総長などが政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは、曲学阿世の徒で、学者の空論にすぎないと発言しました。
そして、日本のそのときの選択について他に選び得る手段、全面講和論その他をここでする時間はありません。しかし、少なくとも八九年のベルリンの壁崩壊以降の冷戦の終結以降の日米安保の役割というのは、私は歴史的使命を終えたと考えております。 それは、つまりNATOと同様の位置にあります。
たとえば二十六年のサンフランシスコ平和条約の締結にいたしましても、当時全面講和論というものがございました。これはソ連を加え中国を加えよというふうな意見だったんでございますが、かりにそれを待っていたとしたならば、少なくとも三十一年までは日本は平和条約を締結できなかったのではないか。三十一年には今度は日ソ国交交渉が行なわれまして、共同宣言案の締結を見ておるのであります。
そうして全面講和論、単独講和論というものがあったときに、向こうから示されたのかどうかわかりませんが、日本に対する賠償は免除をしない、ただしその優先債務として規定をするものがあったようであります。優先債務とは何か。
今の国際的な情勢から見ると、インドにしてもアメリカと協調するとか、ソ連にしてもポーランドやチェコと協調するという態度が出てきておるのであって、この際われわれが過酷な、あるいは不当なひもがつかないという状態のもとにおいて、アメリカとの協力を拒否することは、ちょうどかつて平和条約のときに全面講和論と単独講和論が対立していたようなもので、全面講和でなければいかぬといって、もし単独講和、アメリカその他の国との
さきの問題でありますが、平和論が全面講和論となる、必ずそういうところへ行く。そういつたような場合に、あなたはこれは平和教育の逸脱であると考えておるかどうか、お伺いしたいのであります。
(拍手)かかる情ない、属国のような日本の実情は、岡崎外相の無能もさることながら、根本的には吉田政府がわれわれの全面講和論に反対をして、米英陣営だけとの多数講和を強行した結果にほかならないのであります。
一例を言えば昭和二十七年一月一日発行の「裁判所時報」第九十七号に載せられている「新年の詞」の一部を指摘して読み上げますと、「わがインテリゲンチャの平和論や全面講和論くらい、その倫理的無確信を暴露しているものはない。」これはだれかが曲学阿世の徒と言つたのと軌を一にしていると思う。
にんじんのにおいをかがされて行政協定に判こを押し、三国一の富士山まで捧呈し、日中貿易を熱望する資本家を無理に押えつけ、共産党を初め全面講和論者を彈圧する。このにんじんの魅力、これが吉田政府の政策を貫く経済的裏づけになつているのであります。 かような次第で、外資が入らぬことは明々白々なんです。
さらにその次には「わがインテリゲンチャの平和論や全面講和論くらい、その真理への不忠実と論理的無確信を暴露しているものはない。彼等の中のある者は、真理とか平和とかの抽象的な言辞によつて自己の主張を粉飾する。
さらに「わがインテリゲンチヤの平和論や全面講和論くらい、その真理への不忠実と論理的無確信を暴露しているものはない。彼等の中のある者は、真理とか平和とかの抽象的な言辞によつて自己の主張を粉飾する。もし彼等が真に真理と平和に忠実ならば、共産主義者でない限り平和條約や安全保障條約に批判を加える前に、それ以上の熱意をもつてまず共産主義の理念及びこれを奉ずる国々の現実に批判を向けなければならぬはずである。」
われわれが全面講和を主張したのは、ソ同盟、中国が入らないと全面的な講和にならない、日本が完全にソ同盟、中国との関係においても独立関係を保つためには、これをも含めての講和関係を結ばなければならないというのが、われわれ全面講和論者の主張であつた。
この絶対平和論に共鳴する学者が多いから、この矢内原君のような学長が出て来るし、前の学長は、所もあろうに、アメリカへ行つて、全面講和論を唱えたりした。もつとも前学長は演説もうまいそうだが、ソビエトへ行つて全面講和論を説くならいいけれども、アメリカへ行つて説くというような調子である。歴代の学長がかくのごとき人間である。これによりまして東大の性格もうかがうことができる。
というような、全面講和論者あるいは再軍備反対論者に対して、これはまつたく一方的な批判を行つている。われわれ国会の中には、全面講和を主張する者があり、憲法第九条に対しては、自衛権の名のもとに再軍備することについて反対だという者もあるのは明瞭であります。そういう国会の中のいろいろな論議があるにもかかわらず、外務省の情報文化局がこのような出版物を出すということ、これは明らかに公務員法違反だ。
(「そうだ」と呼ぶ者あり、拍手)要するに、全面講和なるものの実体は、報復と懲罰と━━━━━とを本体とする(「多数講和が好きか」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)ソ連提案を、全部の国が呑むということにほかならないことが、サンフランシスコで証明された今日、世のいわゆる全面講和論者は一体如何なる顔色があるのでありましようか。
そういう全面講和論者がいるために、大学に赤旗がひらめいたり、わつしよわつしよやつたり、インターを歌つて騒ぐようになつて来ている。こういうような実情はどうですか。最近私が調査した範囲によりますと、名前を申し上げることだけは差控えますが、平和問題懇話会という会ができて、人が集まつているようです。私が拾い上げたところでは大学の連中が四十名ばかりいる。
○一松政二君 然らばあなたはいわゆる全面講和論者と存じますが、全面講和論は、これから先、日本が努力の如何によつてはできるとお考えになつておりますか。
この講和條約が全面講和でなかつたことに甚だ不満であるというお話でありますが、併しながらそれは、全面講和論は、しばしば繰返されたところであります。すべての国が講和條約に加入して、参加してくれたならば、誠に結構なことでありますが、併しながら参加しないという国に対して、これを強制することはできないことは当然であります。
(拍手)全面講和論者がまだおるといたしましたならば、それら全面講和論者は、全面講和でさえあるならば、ソ連の持ち出した、あの代案による平和條約でもけつこうであるというのでありましようか。(拍手)日本国民として、一体そんなことが言えると思うのでありましようか。
そういうことから、今たまたまあげられているこの全面講和の問題——私は全面講和論者ではございませんが、この問題に議題が行つておりますので、ひとつ文部大臣にお伺いしたいと思うのであります。