1950-04-29 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号
その後におけるところのその民主運動者は反フアシストなるものを追究し、第一回目の反フアシスト委員長が兒玉六三郎が当選しまして、ロシヤ式民主主義、即ちロシヤ国内で通用するところの民主主義を普及し初めたのであります。それで労働大隊長に及川敏郎以下、委員は覚えておりませんが、御要求があれば私は材料を持つておりますから、提出いたします。
その後におけるところのその民主運動者は反フアシストなるものを追究し、第一回目の反フアシスト委員長が兒玉六三郎が当選しまして、ロシヤ式民主主義、即ちロシヤ国内で通用するところの民主主義を普及し初めたのであります。それで労働大隊長に及川敏郎以下、委員は覚えておりませんが、御要求があれば私は材料を持つておりますから、提出いたします。
そうして元陸軍少尉、主計の山口県の出身兒玉六三郎、これが証人を立ててこれをでつち上げ、米軍の通信をやつておつた者が帰り、ソ連の通信をやつた者、これを結局留置したのであります。 それからその中で帰ると言つて皆ハバロフスクに出発しましたが、十二名だけ船に乘りましたが、あとの十八名というものが殆んど残されております。