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110件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2010-03-19 第174回国会 衆議院 外務委員会 第6号

笠井委員 東郷参考人は一九八六年七月から倉成外務大臣の秘書官をされておりましたが、いわゆる六八年の東郷メモによりますと、この年の八月四日に、倉成大臣口頭にてブリーフ済みというふうに書かれております。そのときに、実はこの討論の記録というのを承知したんじゃないんですか。いかがでしょう。

笠井亮

2004-04-23 第159回国会 衆議院 外務委員会 第13号

これは一九八七年の六月の話ですが、当時の外務大臣倉成外務大臣、ASEAN拡大外相会議で、今の非核兵器地帯構想、そういう構想について、センチメンタルな意味での構想であってはならないとか、あるいは、公海における航行の自由という国際法の原則に合致するということも必要ではないかと言って、アメリカ立場からこの構想に水を差して、批判を浴びているわけです。  

赤嶺政賢

1997-10-30 第141回国会 参議院 外務委員会 第2号

そのときこれをウルグアイ・ラウンドという形で名づけたのは、当時の倉成外務大臣であったというふうに聞いているわけです。  そのウルグアイ・ラウンドというものが世界の自由貿易流れを大きく加速したということがございますが、この自由貿易を大きく加速するという流れの中でメルコスールというものが一九九五年に発足したわけでございます。

石和田洋

1994-11-24 第131回国会 参議院 世界貿易機関設立協定等に関する特別委員会 第2号

また、プンタデルエステ会議には倉成外務大臣のお供をして参加させていただきました。その後は主として海外勤務をいたしましたので直接ラウンド交渉には関係しておりませんので、交渉の詳細な経緯につきましては必ずしもよく承知いたしておりません。しかし、その前には外務本省あるいはジュネーブでガットを担当しました期間がかなりございますので、本日はこのような国政の場にお招きいただいたものと拝察いたしております。

溝口道郎

1994-10-26 第131回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

木宮和彦君 本日は両大臣を迎えて、当委員会としては大変画期的と言ってはおかしいですけれども、ともかく先ほどの話では、昭和六十一年の十一月に当時の倉成外務大臣がこの委員会にお越しになって一般質問をいたしましたが、以来もう八年間、私も六十一年七月の当選でございますが、外務大臣の顔をまだ見たことがございませんで、きょうは質問するかいがございます。

木宮和彦

1994-06-03 第129回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

くしくもといいますか、七年前、私は農林大臣をいたしておりまして、ウルグアイプンタデルエステにおいて倉成外務大臣があれをお約束して帰られる、これは大騒動だというので、いろいろその間ありまして、特に私としては、アメリカリン農務長官ヤイターUSTR代表日本へお招きして、アメリカのそういう考えにはノーである。

加藤六月

1991-10-02 第121回国会 衆議院 外務委員会 第3号

当時の倉成外務大臣稲村環境庁長官も、その批准に向けて鋭意努力する、そういう答弁をされています。あれから四年が過ぎました。一九七二年十一月十六日第十七回ユネスコ総会で、当時の議長国であった日本萩原大使議長を務められ、そのもとでこの条約が採択されたのであります。それから来年まで二十年になります。  この条約の現在の締約国数は何カ国ですか。

古堅実吉

1990-06-18 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

今北米局長が御答弁申し上げたとおりでございますが、後ほど倉成外務大臣時代に当時の米国大使に対してこの核の問題について確認をいたしたことがございまして、そのときにこの米国大使からは、日本アメリカとの話し合いの、核を持ち込まない、持ち込む場合には事前協議の対象であるということが確認されたということを私は役所から報告を聞いております。

中山太郎

1990-03-29 第118回国会 参議院 外務委員会 第1号

政府委員渡辺允君) ANC東京事務所の方はと申しますか、ANC東京事務所は、これは昭和六十二年でございますけれども、当時のタンボANC議長日本に参りましたときに、先方から事務所を開きたいという話がございまして、それで、これに対して当時の倉成外務大臣から、私的な事務所を開設することは差し支えない、ただ、国ではございませんので、普通外交使節団に与えるような外交特権・免除は与えないということを答

渡辺允

1989-11-01 第116回国会 参議院 決算委員会 第1号

政府委員久米邦貞君) 委員御指摘の日本とフィリピンの間での協議というのは、当時の倉成外務大臣昭和六十二年の六月に訪比をされましてアキノ大統領を表敬した際に、大統領との間にじゃぱゆきさんの問題について話をされ、日本側としては査証審査厳正化等に取り組んでいくという方針を述べられるとともに、ただ、この問題の解決のためには日比双方協力が必要であるということから、日比間の協力必要性を述べられたわけでございます

久米邦貞