2001-03-16 第151回国会 衆議院 厚生労働委員会 第5号
そのため、地区の作業隊三万九千人の一割以上が死亡いたしました。その大部分は、下屋敷さんと同じように、敗戦直前に召集された初年兵だったということであります。彼は、凍土の荒野をさまよう戦友たちの霊を思うにつけ、シベリア抑留捕虜にはいまだに戦後はないと訴えております。 政府は、この人々に何をしたのか。
そのため、地区の作業隊三万九千人の一割以上が死亡いたしました。その大部分は、下屋敷さんと同じように、敗戦直前に召集された初年兵だったということであります。彼は、凍土の荒野をさまよう戦友たちの霊を思うにつけ、シベリア抑留捕虜にはいまだに戦後はないと訴えております。 政府は、この人々に何をしたのか。
ウッドピアというのは、ウッドというのは森、ユートピアのピア、理想郷、合成語でございますけれども、森林理想郷、ウッドピア諸塚という、これは国土保全森林作業隊という名前で最初スタートいたしました。
例えば愛知県なんかは、連日、各消防隊なり医療救護隊なり給水隊なり衛生防疫隊なり土木作業隊なり建築作業隊なりが、いつから行ってこういう作業をしていますとか、いろいろな義援金がこう集まってこうやっておりますとか、いろいろな情報が全部もらえるわけですね。
諸塚村などというのは、諸塚村国土保全森林作業隊というのをつくっているのですね。二十代の若者が毎年その作業隊に入っている。それは、そこの給料だけでは大変だから村もお金を出して基金を積んで、そして五十歳定年にして、社会保険もきちっとやっているし、退職金も出るし年金も出る、こういうことになっているのです。そういうふうに民間が一生懸命やっているわけですし、それから、森林交付税という案もありますね。
○小澤政府委員 先ほど先生の方からもお話のございました新しい芽生え、息吹が出ておるわけでございまして、宮崎県の諸塚村の国土保全森林作業隊のような、若い方々が中心になって、新しいグループで森林の整備や維持に活動していただく、このようなことは私どもも積極的に支援をしてまいりたいと思っておるわけでございます。
ことし宮崎県では、諸塚村というところで国土保全森林作業隊、こういうようなものをつくりました。地方公共団体として山を守っていきたい、そういうような制度が発足したわけでございまして、宮崎県でも同じようなものを考えておるわけでございます。
他方、このような英軍占領下にあった南方作業隊については交付されておりますし、片っ方につきまして、シベリア抑留者については支払われていないという御事情があることも先生の御指摘のとおりであろうかと思います。
この地点のことをいろいろ調べてみますと、これは戦後一年半ぐらいの期間にわたって南方作業隊という団体を米英軍が組織させまして、日本軍が港にあるいは鉄橋にいろいろな阻害行為をした、そのしゅんせつあるいは復旧工事のために残された、そういう人々がこの労働に服した、その方々に対しては日本政府が補償するという建前のようであります。
その問題について厚生省に、何か作業療法と称してやられた作業というものの事実を教えてもらいたいという要求をしましたところ、報徳産業グループに対する宇都宮病院からの患者作業隊の派遣者数及び患者一人当たりに対する作業手当という報告をいただきました。 それでまずお伺いしますが、報徳冷凍冷蔵庫株式会社における患者の運搬作業、六人従事しておりますが、これはその作業療法と考えられる範囲のものかどうか。
そして、報徳冷凍冷蔵庫での運搬作業というこの中身ですね、それが患者作業隊というふうなものでもって派遣していくという形態が、あなたは精神医療にとって非常に作業療法は重要だと今おっしゃいましたが、そういうようなことに該当すると思いますか。調査を待たなくとも……。
患者作業隊なんというものを編成して、そしていろんなところに仕事に行くなんということ、それは医療上必要な作業療法というようなことは出てこないですよ、これは。 さらに申しますと、宇都宮病院における作業隊の実態という問題をもっともっと調べてもらいたい。私たちの耳に入っているのにはこういうこともあるんです。
したがいまして、空気を遮断し酸素を遮断いたしましても、この方面からの酸素の供給は完全に停止できておる状況にないわけでございますが、いずれにいたしましても、この密閉作業も非常に危険でございましたので、作業終了後直ちに救助の作業隊を退避させ、その後引き続き坑内のガス濃度、温度等の推移の観測を行い、分析を行って現在に至っておるわけでございますが、現在に至るも火勢の衰えを予知させるような状況はなく、情勢の変化
ところが、海上でございますと、なるほどいま船舶局長がおっしゃったように、一応、船長あるいはそこで作業する作業隊の長に対しては一定の枠づけはしております。しかし、本当に今度あそこに入って作業いたしました人たちがそうした危険物に対する知識というものをどの程度持っていたかというと、私はわからないと思う。
それに対して非常に安心感がないといいますか、安全度が低いんではないかという御指摘でございますけれども、従来のやはり小集団の作業というものを、できるだけ見張り員をつけた集団の大きな作業隊に編成するというようなことを第一方針といたしまして、それにいま先生も申されましたけれども、列車接近警報装置とか、あるいは安全さく、安全ロープといったような設備をして安全の確保に努めておるところでございます。
○国務大臣(佐々木義武君) 話は少し長くなりますけれども経過をお話申し上げた方がよろしいかと存じますので、その点に関しましてお話申し上げますが、一月に新定係港を選定いたすべく科学技術庁、運輸省あるいは事業団、三者で推進本部を設けまして、参議院議員で科学技術庁政務次官をやっています片山政務次官を首班にいたしまして特別の作業、専門の作業隊をつくりまして実は鋭意検討に入りました。
ジョンソン「作業隊に関する限りよくバックアップされています」。サイミントン議員「米国はカムラン湾を有している。これもよい港です」。ジョンソン「私が言いたいのは、第七艦隊もあの地域に保持するためには横須賀がきわめて価値のあるものであり、それにかわるものは思い当たらないことです」。次に、フルブライト議員「それはどのくらいの大きさですか。カムラン湾くらいですか」。
「本職顔負けの働き 業務部隊員の手で造園」ということになっておりますけれども、「基地ではこの建立について積極的に支援協力、その周囲を庭園として整備することにし、除幕式までに完成すべく、業務部の「作業隊・清掃隊」が中心となって急ピッチに作業が進められている。
航空自衛隊にも調査隊があり、これは東京の港区、航空資料作業隊というのは東京港区、それから、海上自衛隊にも、資料隊というのが東京港区の赤坂にある。これらを合わせて六百数十名というのですか。
○島本説明員 ただいま林先生のお話しになりましたうち、調査学校、資料隊、資料作業隊は調査隊と全然関係のないものでございまして、調査隊というのは、陸上及び航空にございます中央調査隊及び方面に置かれておるものでございまして、その総数が六百数十名でございます。
とめて、乗っておりました五、六十人の作業隊が線路におりまして、さらに奥に入りまして、五十五キロ五百まで行っておりますから、ほとんど事故地点のところまで入りまして、その付近におられる方はともかく全部一たん収容して、第一回の救援列車が引き揚げております。
次に、小松基地でありますが、当基地は、昭和三十五年四月、航空自衛隊のモデル基地として建設を始め、昭和三十六年二月に完成し、七月に第六航空団が新編成され、小松管制隊、小松気象隊、小松救難隊、小松警務分遣隊及び中部航空施設第二作業隊とともに現在に至っており、裏日本におけるただ一つの戦闘航空団であります。
○東中委員 先ほど陸上の資料隊、調査隊の話がありましたが、従来から海上、航空でもそれぞれ作業隊あるいは調査隊というのがあって、これもそのまま存続されていく、こういうことでございますか。