2020-03-11 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
○萩生田国務大臣 大学の作問をされる先生が、自分が作問者だと牧先生とのお酒の席で言ってしまうのはちょっとどうかな、こう思いますけれども、いずれにしても、さまざまな学校の知見によって、それを教育産業が二次的に使っているという実態はあると思います。
○萩生田国務大臣 大学の作問をされる先生が、自分が作問者だと牧先生とのお酒の席で言ってしまうのはちょっとどうかな、こう思いますけれども、いずれにしても、さまざまな学校の知見によって、それを教育産業が二次的に使っているという実態はあると思います。
前回言ったように、作問者と採点者が、採点者が民間になることを含めて全く分離すれば、こういう問題というのは消えないですよ。結局、守秘義務があったといっても、共通テストで採点業務を請け負った採点者が模試の採点を行う。否定しませんでしたから。そうなれば、ベネッセの模擬試験をグレードアップさせることになる。営業で明示することなどしなくても、受験産業の中でベネッセ優位をつくり出すことになる。
先ほどから申し上げています参議院の文教科学委員会の参考人質疑において、木村参考人は、各大学が行う個別試験では、作問者は採点全般に責任を持って、広い会場で一堂に会して、個別じゃなくて採点をする。採点中に基準の訂正が必要となれば全体を見直すのは当然であるし、記述採点者は作問者と同じレベルで出題を理解する、そういうことが必要であるというふうにおっしゃっています。
その対話を成り立たせるためには、作問者には解答者の学力を的確に測れる問題の作成能力が求められ、採点者には解答の論理を読み込み、解答者の学力を測る能力が必要である。これらの能力の育成には、大学教員といえども一朝一夕にはいかないということを実感している。入学試験という場面において、公平性と公正性を担保することの重要性は論を俟たない。
先日の参議院の参考人質疑の中で、福井県立大学教授の木村小夜さんが、各大学が行う個別試験では、規模はさまざまですが、作問者は採点全般に責任を持ち、一堂に会して採点をする、採点中に基準の訂正が必要となれば全体を見直すのは当然で、枚数が限られているからこそそれはできます、また、記述採点者は作問者と同じレベルで出題意図を理解し、出題と採点は一体であることが大前提です、採点基準というのは、あくまでも出題意図を
作問者と違うじゃないですか。作問者というのは顔を出しちゃいけないんですよ、非公開ですよ。 じゃ、その二十日間の間で五十万人を見たときに、さっきの南極の話じゃないけれども、いろいろな個性的な答えをする人がいるでしょう。基準には書いてなかったことが、五十万人いたら五十万人出るかもしれない。
各大学が行う個別試験では、規模は様々ですが、作問者は採点全般に責任を持ち、一堂に会して採点をする。採点中に基準の訂正が必要となれば全体を見直すのは当然で、枚数が限られているからこそそれはできます。また、記述採点者は作問者と同じレベルで出題意図を理解し、出題と採点は一体であることが大前提です。こうやって各大学はこれまで採点をやってきました。