2021-06-09 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第26号
そして一方では、体育祭、運動会を中止しているんです。その矛盾たるや、どうやって説明するのかと私は思いますが、尾身会長、この子供たちの動員、児童生徒の動員ということについてはどのようにお考えでしょうか。
そして一方では、体育祭、運動会を中止しているんです。その矛盾たるや、どうやって説明するのかと私は思いますが、尾身会長、この子供たちの動員、児童生徒の動員ということについてはどのようにお考えでしょうか。
若者は、スポーツ大会、体育祭など、おじさん、おばさんのGoToトラベルはオーケーで、若者は一年間様々なことを犠牲にしてきた。おじいちゃん、おばあちゃんはカラオケで楽しんでクラスターを起こしているが、若者は、給食や食堂では、警備員や先生に監視され、黙食をして、学校ではおしゃべりもしていない。 別に若者は重症化しませんから、医療に負担もかけていないわけですね。そういう状況がある。
修学旅行や体育祭などのような行事は精選されてどんどんなくなっていくことによって本当にいいんだろうか。子供たちは、インターハイもない、総合文化祭もない中で、もう本当に今悶々としていると思います。昨日は甲子園も中止になりました。
私は、中学校や高校の文化祭とか体育祭に行くのが大好きで、よく地元で文化祭や体育祭を見て子供たちからエネルギーをもらうんですけれども、すごい僕らが気づかないことに対する気づきを与えてくれるし。
世界一安全な東京とアピールをしておきながら、たった数週間の体育祭を開催するのに、国民を監視し、密告制度で相互監視までさせ、相談しただけでアウトという、権力が思想、信条の領域にまで足を踏み入れるとんでもない法律が必要な理由は何なんでしょうか。 東電原発事故による放射能汚染水問題について総理にお聞きします。
「体育祭の練習中に、組体操の練習をしていたところ上に乗っていた生徒がバランスを崩して落下した際、下にいた本生徒の首に当たり頸椎を脱臼骨折した。」 まさしく、こんな事故は一件でもあってはならないのが、教育行政を所管とする文部科学省の姿勢だと私は認識をしております。 したがって、今現在、この日本スポーツ振興センターの医療費等の支給件数を分析しております。
それから、子供たちも、ちょうどそのときが屋久島の方のいわゆる体育祭というか運動会があっていたということで、口永良部から避難してきている子供たちはちょうど避難所にいたんですね。それでいろいろなことを話せたわけでありますけれども、確かに、交流をやっていたそうですね、以前から。交流をやっていたから非常に楽しいとは言っていました。
それはどういうことかというと、子縁とありましたが、子供の縁に触れて、そういう独り暮らしのおじいちゃんたちが学校との縁を結んで、体育祭に不満を持っていた人が変わっていく、まさにそういう触れる縁によって変わるわけですよね。
○那谷屋正義君 北陽中学校というところの体育祭は秋じゃなくて春ということのようですから、一応それが終わっていますので、体育祭をやるには支障はないんですが、ただ、日常の体育、部活動等に、やはり子供たちが楽しみにしていることが一刻も早くできるように更にそこに拍車を掛けて頑張っていただけたらというふうに思いますし、いろいろな対応をいただいておりますけれども、今後とも被災者が一刻も早く元の生活ができるように
多分、一年間で数十時間、道徳の授業がありますけれども、恐らく一部は、学園祭の準備に使われたり、体育祭の準備に使われたり、テスト前は自習の時間に使われたりというのが現状だと思います。
そういう実際に中に大人の方に入っていただいてその議論をすると、子供たちの日常の中にある文化祭も体育祭もすごく生きたものになるなということの一つの事例だったなと感じています。
娘の通う養護学校の体育祭に手作りのお弁当を持っていく優しいお父さんだったといいます。一体どんな気持ちでと思うと、胸が詰まりました。 総理、さきの参議院選挙で与党が大敗した根底には、二〇〇六年度決算でも明らかな、こうした政治の冷たさ、負担の重さにあえぐ無数の民の怒りがあることを肝に銘じるべきではありませんか。そして、参議院での決算審議を生かし、これまでの政策を転換する決意はありませんか。
儀典的な行事であったり、また体育祭、文化祭等、様々なところで、いろいろなところでいろいろな角度から子供たちに光を当てていくところに対して、もう少し学校全体で、勉学が大変だ、いろいろあると思うんですけれども、いろんなところの部分で教師自らそういった学校行事に対して力を入れていくところからいろんな光を当てていけば、今まで見えなかった輝きというのがどんどん出てくるのではないかなと思っております。
あるいは、中学校二年生の十月の体育祭が終わった後に何となく学生たちが不安定になってそのときにいろんなトラブルが起こるという、まあ、これは余り根拠のない話でありますけれども、しかし、こういう専門家というか関心のある有識者がこういう指摘をしておりまして、それが一点です、理由の。 もう一点の理由が、兵庫県でトライやる・ウイークというのが既に導入をされております。
私自身も、若いころは本当に、子供の体育祭であるとか父親参観だとかといったって一回も行ったことがございませんで、父親参観に母親に行かせておるというふうなことをずっと続けてきたわけでありますから、余り偉そうなことは言えないわけでございますが、最近は、若い御夫婦の中では男性が育児のために休みをとられるというふうな例もかなり出てきておるというふうに見受けられるわけでございます。
私が今住んでいるところはそういうことはどんどんやっているんですけれども、例えば地域の住民参加の体育祭であったり、それから夏は盆踊りであったり、あるいは地域のお父さん、お母さん、お友達みんな含めた日帰りのバス旅行であったり、そういうことをやっております。
それから、体育祭、文化祭、修学旅行なども、なぜそれが必要かというところから生徒たちと一緒に話をして、生徒とそれから学校の共催で行うというような形でやっていまして、そういうふうにできるところもあるんですよ。私は、これこそ子どもの権利条約で言っているような学校のあり方じゃないかなという実感を持ちました。
だから、去年の十二月から神奈川県の教育委員会は、この日が試験の日です、体育祭はいつあります、配慮してくれということを要請しているんです。去年の十二月から要請しているんですよ。それで、たびたびまた繰り返し中止を要求してきたんです。 今度の訓練は、私の方から言いますけれども、キティーホークの甲板を修理して、出動する前の試験、テストの訓練なんですよ。
秋田市の中学校総合体育祭で、君が代を斉唱しない人が退場させられました。教育の現場と地域社会との接点で、このような排他的な状況がもたらされていることは非常に残念であります。国旗・国歌法が制定されれば、地域社会で君が代を斉唱しない人たち、国旗を掲揚しない人たちが村八分にされないという保証はありません。
だから、甲子園の地区予選の応援に行かない、合唱コンクールもない、体育祭の応援団で燃えないとか、何か汗をかいた思い出がない。言うならば、教科の中で英語と数学で自信を持つというのは全体の大体二〇%なんですよ。これは無理だろうと。