2018-03-29 第196回国会 参議院 文教科学委員会 第4号
そもそも、こういうことをやりたくて文科省に来ていると、それぞれの分野でですね、そういう職員も少なからずいるというふうに接していて感じておりますので、今年のたしか年頭の御挨拶をするに当たって、そういう専門性を生かしながら、私の好きな言葉でございますけれども、任怨と遠慮と。
そもそも、こういうことをやりたくて文科省に来ていると、それぞれの分野でですね、そういう職員も少なからずいるというふうに接していて感じておりますので、今年のたしか年頭の御挨拶をするに当たって、そういう専門性を生かしながら、私の好きな言葉でございますけれども、任怨と遠慮と。
一つは、「任怨分謗」という教えでありました。「大きな仕事をやろうとする時には、決まって誰かの怨を買う。だが、怨を気にしていたんでは仕事をやれない。そんなときは敢えて怨を受けるべきである。ただ、大事なことは、仕事をともにやっている仲間が怨を分担して受けてやり、一緒に火の粉をかぶってやる気概が必要だ。」ということでありました。
その中に、任怨という言葉があるのですよ。怨みに任ずるのです。責めに任 する程度の話じゃないのです。しかし、政治家として一番厳しい局面に立ったときには、国民の怨みに任ずる気持ちすら持たなければ政治の道はやっていけないのだということを私はその為政三部書の中に見出して読んだことがあります。
為政三部書に、責任どころじゃない、任怨という言葉がある。うらみに任ずるです。うらみに任じましょう。為政者の片棒をかついでいる陣がさ代議士かもしれないけれども、一員だ。だから、うらみに任じましょう。任怨ですよ。皆さん、そういう気持ちが与党議員の気持ちだということを知ってもらいたいということであります。
日進月歩の近代医学の習得に追われ、多くの患者に接して心身を消耗し尽くす医師の生活実態を見るとき、あえてこの税制を取り上げるのは心情的に忍びないものを感じますが、政治には任怨が必要であります。個の立場を尊重しながらもなお全体を考える私どもは、あえて論じているのであります。 ぜひ今会期内には体制を整え、十分な審議を尽くして昭和五十四年に備えるべきであるという意見を申し述べて、討論を終わります。